空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

「恩を覚えていてくれるなら、恨みだって忘れてくれる筈も無い」と知るべきだ

 この12月5日の土曜日に、実話をもとにした二本の映画が公開された。
 まずは紀州沖で沈没したトルコの軍艦エルトゥールル号の乗員を、付近の住民たちが懸命に救助した『海難1890』。それにリトアニアの日本領事代理が外務省の訓令に反して、ナチスの迫害から逃れて来たユダヤ人たちを助ける『杉原千畝』である。
 平たく言えばどちらも日本人が多くの外国人の命を救う、「やっぱり日本人は凄い!」とウヨクの人達が大喜びしてしまうような“美談”だ。

 いや、エルトゥールル号の乗組員を助けた紀州の住人たちや、杉原千畝氏が立派である事に関しては、筆者にも異論は些かも無い。
 だがだからと言って、まるで自分もその当事者であるかのようにイイ気分になり、さらにそれを日本人の民族性にまで結びつけ、「やっぱり日本人は優しくて立派だよね」と短絡的に考えてしまうのは、どんなものだろうかと筆者は疑問に思うわけだ。

 かのウィンストン・チャーチルが残した様々な言葉の一つに、こんなものがある。
三十でリベラルでない奴は冷たい、四十でまだリベラルな奴は知性が無い
 生まれてからずっと一貫して保守思想の持ち主で、サヨクやリベラルに属した事がただの一度も無い筆者は、そのチャーチルの言葉に従えば、知性の有無はどうあれ冷たい人間のようである。

 ただ筆者は思想的には間違いなくサヨク嫌いの保守だが、理屈抜きで「日本は世界に誇るスゴい国だ!」と素直に信じて他国を叩き他民族を貶める、脳の皺の数が明らかに少なそうなウヨクの国粋主義者たちも大嫌いである。

 天皇を現人神として拝み、「日本は神国だ!」と本気で信じ込むような、戦争が終わるまでの日本の社会には吐き気すら感じる。
 同時に、「日本には三千年来の国体がある。米国には国の芯がない。この違いがきっとでてくる」などという神懸かり的な精神論を言い、軍事力や物資の差を無視してあの無謀な戦争を始めた東条英機だけでなく、彼も含めた戦犯たちを、彼らの犠牲になった一般の兵士らと一緒に神として祀る靖国神社の遊就館の戦争観にも、ただ嫌悪感しか覚えない。

 また、その東条英機を初めとする刑死したA級戦犯らを、「今の我が国の繁栄の礎を築いた昭和殉難者」と称える安倍首相の政治思想や戦争観や歴史観にも、戦前の日本に近い危ういものしか感じられないし、だから安倍内閣は全く支持できない。
 筆者はサヨク嫌いの保守だが、思想的には自民党ハト派の宏池会に近く、同じ自民党でもウヨクに近いタカ派の清和会は大嫌いである。
 だから小泉純一郎氏が政権の座について以来、清和会の支配する自民党には一度たりとも票を投じた事が無い。

 さて、その清和会に属する安倍首相は、今年の戦後70年談話の中で、こんな事を言った。

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を越えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。


 これを「もっともだ」と思いながら聞いた日本人は、おそらく数多くいるのではないだろうか。
 実際、筆者も若い中国人や韓国人らに、怒りの籠もった口調で日本の侵略や植民地支配を責める言葉を言われると、「戦後かなり経って生まれたこの俺が、同じ戦後生まれのアンタに何をしたよ?」と言いたくなってしまう。
 日本に怒りをぶつける権利があるのは、実際に日本兵に酷い目に遭わされた元捕虜や、日本軍に占領されたアジア各国に住んでいたお年寄りだけではないかという気持ちもある。
 また、かつての戦争に責任がある日本人は、現在も生きている人々の中では少なくとも九十代以上の後期高齢者ではないかとも思う気持ちもある。

 しかしだ、ここで冒頭に取り上げた史実を基にした二本の映画、『海難1890』と『杉原千畝』を思い起こしていただきたい。
 遭難したエルトゥールル号の乗員を救助した紀州の人々も、ナチスに迫害されたユダヤ人を救った杉原千畝氏も、どちらも立派である事には間違いない。
 だが1940年に杉原千畝氏が救ったユダヤ人は、今では殆ど生き残っていない。
 1890年に救われたエルトゥールル号の遭難者に至っては、ただの一人も生き残っている筈もない。
 そしてエルトゥールル号の遭難者を救った紀州の人々も杉原千畝氏も、今はみな故人となっている。

 もしも安倍首相が戦後70年談話で語ったように、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」のだとしたら。
 同時にエルトゥールル号の遭難者の救助にも、杉原千畝氏が領事代理を務めるリトアニアの領事館に逃れて来たユダヤ人を救った事にも何ら関わりのない今の世代の日本人には、彼らの業績をまるで我が事のように誇りに思う資格も、トルコ人やユダヤ人たちに感謝される資格もまるで無い筈
ではないか。

 にもかかわらず、日本人は自分に「何ら関わりのない」昔の紀州の人や杉原千畝氏の行為を誇りに思っている。「同じ日本人として」と称し、まるで自分や身内が成し遂げた手柄であるかのように思って。
 そしてトルコの人達やユダヤ人達もまた、紀州の人々や杉原千畝氏の行為は今も偉業として語り伝え、それに「何ら関わりのない」今の世代の日本人に対しても感謝の気持ちを抱き続けている。
 それもただ感謝の気持ちを抱かれているだけでなく、現実に日本人は恩返しもされているのだ。

 1980年に始まったイランイラク戦争が激化した1985年に、イラクはイランに対して無差別攻撃を始めた。そしてイランの首都テヘランに住む外国人たちは、一斉にそれぞれの母国に避難を始めた。
 しかし無差別攻撃がされている戦争の最中であるから、無論危険である。だからどこの国の航空会社も、自国の国民を優先して乗せた。そして危険を恐れる日本の航空会社は飛行機を飛ばさず、テヘランの日本人は戦火の中で孤立しかけた。
 そこに手を差し伸べてくれたのが、トルコであった。何と95年も前のエルトゥールル号の乗員を救助してくれた恩を返す為に、わざわざ危険をおかし特別機を飛ばして日本人を助けてくれたのである。
 例の『海難1890』という映画の中で、トルコの大使館員はこう言う。
祖先は日本人に助けられた

 もう一方の杉原千畝氏も、ただイスラエル政府から“諸国民の中の正義の人賞”を授けられただけではない。杉原千畝氏に救われたユダヤ人やその子孫と、杉原千畝氏の子孫との交流は今も続いている。
 この12月2日の毎日新聞によると、杉原千畝氏の孫の杉原まどか氏は現在、NPO法人「杉原千畝命のビザ」の副理事長を務めている。そして杉原まどか氏の大学生の長男は、昨年と今年、杉原千畝氏に救われたユダヤ人の一人の故ドラ・グリンバーグ氏の孫にあたる、オーストラリアのシドニーに住むダニエルさんの自宅にワーキングホリデーで滞在した。
 その際、ダニエルさんはまどか氏の長男にこう言ったそうである。
「いつでもいらっしゃい。あなたの家はここにあるのだからね」

 杉原千畝氏に救われたのはダニエルさんの祖母であって、ダニエルさん自身ではない。
 確かに今ダニエルさんがこの世に存在するのは杉原千畝氏のおかげだろうが、ダニエルさんの祖母を救ったのは杉原千畝氏であって、その曾孫(まどか氏の長男)には何の恩義も受けていない筈である。
 にもかかわらずダニエルさんは亡くなった祖母の恩人の杉原千畝氏の、その曾孫に対しても今もまだ感謝し続けているのである。
 トルコ人に至っては、直接の先祖でも何でもないエルトゥールル号の乗組員に日本人がした事を今もって忘れず、95年後にしっかり恩を返したのである。

 さて、ここで貴方にお尋ねしたい。
 貴方は自分が受けた恩は終生忘れずに孫子にも語り継ぐが、酷い事をされた恨みは綺麗さっぱり水に流して忘れられるほど“できた人間”だろうか?
 聖人君子ならともかく、恩を覚えているなら恨みも同様に忘れないのが普通の人間だと筆者は思う。
 そして中には、「恩はすぐに忘れるが、恨みの方は決して忘れない」という困った者までいるのが現実だ。

 先週、「筆者は執念深い方で、お客として行った店や会社から受けた嫌な対応は何年経っても決して忘れず、その店や会社は二度と利用しない」と書いた。
 誰かに酷い事をされても、恨みは早く忘れて水に流すのが、日本では美徳とされている。
 しかし世界的には筆者のような人間や民族の方が多く、恩も恨みもどちらも忘れず世代を越えて覚えているのが当たり前なのである。

 だから安倍首相が戦後70年談話で語った、「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を越えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」というあの言葉は、世界的には、特に日本に侵略を受けた国々や奇襲攻撃を受けた国には、決して受け入れ難い言葉であろう。

 考えてもみてほしい。
 トルコは95年も前に殆ど血縁も無い祖先が受けた恩を忘れず、命の危険もおかして見ず知らずの日本人たちを助けた。
 75年前に杉原千畝氏に命を救われたユダヤ人たちもまた、孫子の代になってもその恩を忘れずにいる。
 にもかかわらず、70年前に日本が犯した、何十万、何百万という他国の人を死なせた戦争責任を「もう水に流して忘れてくれてもいいじゃないですか」と言わんばかりの戦後70年の安倍談話が、世界の感覚からどれだけズレているか、同じ日本人として想像ができないものだろうか。


 今から一世紀よりずっと前の1890年に紀州の人達に救われた、エルトゥールル号のトルコ人は数十人である。
 75年前に杉原千畝氏が救ったユダヤ人は、約6千人である。
 その恩を彼らは孫子の代になってもまだ忘れていないし、その業績を直接には「何ら関わりのない、子や孫、そしてその先の世代の子どもたち」である日本人もまた誇りに思っている。まるで己がした世界に誇るべき事のように思い、映画にまで作って。
 ならば紀州の人や杉原千畝氏が救ったよりはるかに多くの人を死なせた先の大戦に関する、日本に対する他国の恨みはもっと深く残っている筈だと理解できないとしたら、その人の感性は鈍すぎるし「身勝手で厚顔無恥だ」と言わざるを得ない

 以前、テレビのニュースで中国人の青年が「祖母が戦争中に日本兵に酷い目に遭わされた、だから日本は大嫌いだ」と、怒りの籠もった目で吐き捨てるように言ったのを見たことがある。
 思わず筆者は、「悪いのはその日本兵で、俺や今の若い世代の日本人が君のお祖母さんに酷い事をしたわけじゃないんだけどな」と思ってしまった。
 しかしトルコ人や、杉原千畝氏に救われたユダヤ人の子孫達が今もって恩義を忘れていない事を考えれば、「中国など侵略を受けた国々の人々が、孫子の代まで日本を恨むのも仕方のない事だ」とわかる。

 だから安倍首相が戦後70年談話で示唆したように、「あの戦争に何ら関わりのない子や孫の世代の日本人は、もう謝らなくていいダロ」と思うのは、世界的にも人間としてもおかしいのだ。
 繰り返すが、「世代が変われば恨みはもう忘れるべきで、だが恩だけはいつまでも覚えていてほしい」などと求めるのは、虫が良すぎるというものである。
 戦争の加害者である日本が「過去の過ちはもう謝らなくて良いよね」と言えるようになるのは、被害者の国に買ってしまった恨みを越えるだけの恩と善意を与えてからだと、筆者は考える。それで初めて過去の過ちを水に流してもらえるのだと思う筆者は、いわゆる“反日”で“自虐史観の持ち主”なのだろうか。

 杉原千畝氏と言えば、ユネスコ世界記憶遺産の国内候補に決まった。
 しかし同時に、日本政府は同じユネスコ世界記憶遺産に中国が申請して登録された南京大虐殺に、証拠の根拠が不十分だと反論している。
 しかし殺された中国人被害者の数はどうあれ、虐殺そのものがあった事は日本の大多数の学者も認めている。南京での日本軍の虐殺を否定しているのは、理屈抜きで何が何でも「日本は絶対に悪くナイ!」と言い張りたいネトウヨと、日本を戦前の“神の国”に戻したい軍国主義者だけである。

 確かに中国側が主張する、30万人以上という犠牲者の数には疑義がある。
 しかし主張する犠牲者の数が疑わしいからと言って、「虐殺が無かった」という事には、絶対にならない
 例えば例の戦争法案でも、国会前で幾日もデモが続けられた。
 ただそのデモに集まった人数については、主催者や警察、それにマスコミ各社によってかなりの違いがあった。報道と言論の自由がある我が国ですら、立場によって主張するデモの人数にかなりの差が出て来るのである。
 そしてその人数に差や違いがあるからと言って、「デモが無かった」という事には決してならないように、日中で主張する犠牲者数に差や違いがあるからと言って、「南京大虐殺は無かった」という事になる筈もないのだ。
 だから中国側の主張する犠牲者数の疑わしさを根拠に南京大虐殺そのものまで否定するのは、絶対に間違っているし、頭がおかしいと言うレベルの無茶な主張だ。

 実際、2010年の日中歴史共同研究でも、日本側は南京大虐殺を認めた上で、その犠牲者数については20万人を上限に、2万から4万人と推計している。
 その日本が認めた少ない方の「2万から4万人」という数字でも、南京で日本軍が虐殺した中国人は、紀州の人たちが救ったエルトゥールル号の数十人のトルコ人はおろか、杉原千畝氏が救った6千人のユダヤ人より遙かに多い
 そして日本軍は南京でのみ戦ったわけではなく、中国各地に攻め込み、何百万人という数の中国人を殺している。
 にもかかわらず「トルコ人にはエルトゥールル号の事を覚えていてほしいし、杉原千畝氏の功績は歴史記憶遺産にされて当然だ。けど中国が南京大虐殺を歴史記憶遺産に登録したのは不当で、中国人もいつまでも恨んでいないで戦争の事は早く水に流して忘れるべきだ」と思うのが、いかに愚かで不当な事か、まるで理解できない日本人が存在する現実が情けない

「自分や日本から受けた恩だけ孫子の代まで覚えていて、恨みの方はさっさと忘れて水に流してほしい」
 人間も世界も、そんなに甘く都合良くできてはいないのだよ。


 今月公開された、『海難1890』と『杉原千畝』の二つの映画を見て、ただ「うん、日本人はやっぱりスゴい、世界に誇るべき国だ!」と良い気分になるだけでは、生きた反知性主義とも言うべきネトウヨや戦前の大日本帝国大好きの軍国主義者と大して変わらぬ。
 トルコ人やユダヤ人が、一部の日本人から受けた恩を孫子の代まで心に刻んで感謝してくれるならば。
 同時に日本人や日本軍から酷い事をされた国の人達は、その恨みも孫子の代まで心に刻んで反日の気持ちを持ち続けるであろう
事にまで思い至らぬ人は知性が足りないと、少なくとも筆者は思う。

 しかし我ら日本人は、ろくな戦略や確かな勝算も無いまま、物量や国力や戦力の差を無視し、愚かな精神論と日本にのみ都合の良い甘い期待に縋って無謀な戦争を始め、そして三百万人を越す同胞を死なせたA級戦犯らが靖国神社に“神”として祀られてもさして怒らず、さらにその刑死したA級戦犯を昭和殉難者と称える首相に四割前後もの高い支持率を与え続けるような国民だから。
 そんな日本人に「恩を孫子の代まで忘れないなら、恨みだって孫子の代まで忘れないのだぞ」といくら言っても、そもそも無理な事かも知れぬ。
 そう悲しく思いながら、先日封切りされた『海難1890』と『杉原千畝』の、観る人に知性と考える力が欠けていればただ「日本バンザイのお国自慢」になりかねない二本の映画の広告を眺めた。

 我が日本国は言論と表現の自由が保障されている国の筈だが。
 しかし現在は、ちょっとでも日本が過去に犯した過ちに触れれば“自虐史観”だの“媚中の売国”と罵倒され、安倍首相を批判すれば“反日”と叩かれるのが現状だ。
 安倍首相を少しでも批判すれば「この反日め、日本から出て行け!」と怒り出す、現政権の支持者の知性の無さには呆れるね。そもそもいつ「安倍首相=日本」になったんだよ、っての。
 この日本という国は安倍首相が生まれる遙か昔より存在したし、現政権が調子に乗ってあの戦争法案を悪用しさえしなければ、安倍首相が死んだ後もずっと存在し続けるんだよ。
「安倍政治には反対だし、現政権には一刻も早く退陣してほしいけれど、日本は大好き」という愛国者だって大勢いるに決まってるだろ。それくらいわかれよ、ネトウヨと我が国を戦前の大日本帝国に戻したい軍国主義者諸君。

 その明らかに自民党タカ派の安倍首相ですら戦後70年談話で述べたように国策を誤り、愚かな戦争を仕掛けて多くの同胞を死なせ、国土を焦土と化させた東条英機らを神として祀り、彼らA級戦犯を昭和殉難者と賛美する首相を支持し続ける日本人たちこそ“自虐”で“ドM”の見本なのではないかと筆者は思うのだが、間違っているのは果たしてどちらであろうか。

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