空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

感情と理性と、貴方は恋でどちらをより大切にしますか?

 小説やコミックスだけでなく、ドラマや映画でも恋愛をテーマにした作品は多い。
 テーマが恋愛でなくても、恋愛の要素が全く無い作品の方が少ないくらいだ。

 で、その作品を読んだり見たりする主な対象が男性なら、主人公は男で複数の魅力的な女性が絡む、そして対象が女性なら、女の主人公に複数のイケメンが絡む話が少なくない。
 ただ、そうした作品を見たり読んだりしていて、途中からそれ以上ストーリーを追って行く気力がフッと失せてしまう事がよくある。
 その理由はズバリ、「主人公は、何でこんな相手を選ぶかなー。他のキャラの方がずっと良いのに」という不満である。

 小説でもコミックスでもドラマでも映画でも、読者あるいは観客はただ制作者が作ったストーリーに沿って、背後霊のように主人公の言動をただ見守るだけしかできない。
 だから心の中で「こっちじゃない、あっちの相手を選べよ!」といくら思っても、ストーリーは(読者や観客である貴方にとって)不本意な相手とのハッピーエンドに向かい、一直線に進んで行ってしまう。

 そもそも小説もコミックスもドラマも映画も、ストーリーは制作者がしいた一本のレールの上をただ進んで行くだけなのだ。
 ラストに行き着くまでの過程がいくら波瀾万丈でも、ストーリーが既に作られた一本道である事に違いはない。
 だからその物語に魅力的な異性がどれだけ出て来ても、主人公が誰と恋に落ちるか貴方には決められないのだ。
 貴方に出来るのは、制作者が決めた相手と主人公が恋に落ちるのを、ただ眺めている事だけなのだ。

 もちろん小説やコミックスやドラマや映画の制作者も、お客の最大公約数的な好みを理解した上で「この組み合わせが最も人にウケる筈」と考えてストーリーを作り上げているに違いない。
 ドラマや映画と違って、小説やコミックスの作者は基本的に一人だ。しかし小説やマンガも商業作品である以上、作者の後ろには編集部の人たちが付いていて、充分に話し合った上でストーリーを決めている筈だ。

 しかしそれでも、現実には「この主人公、何であんな良い相手をフッて、こんな虫の好かない相手を選ぶかなー」と途中で腹が立って来るようなストーリーが少なくない。
 恋愛が絡むストーリーでは、「主人公(同性)が、嫌いなタイプの異性を選んだ」というのが、興醒めの最大の原因になりやすいが。
 そしてそれと似ているが、「好ましい異性の主人公が、同性として嫌いなタイプの相手とくっついた」というパターンもまた、ストーリーに興醒めする大きな原因になりやすい。

 特に筆者は変わり者で、好みが皆と少し違っているらしく、その「主人公が好みの異性をフッて嫌いな異性を選んだ」あるいは「好きな異性の主人公がイヤな同性とくっついた」というパターンで、その作品に大いに興醒めする場合が少なくなかった。
 そんな筆者のニーズにぴったり合ったのが、ずばりゲームだった。
 小説やコミックスやドラマや映画では、読者や観客はあくまでもストーリーの傍観者だが、ゲームではプレーヤー自身が主人公だ。どう行動して何を言い誰を選ぶか、プレーヤーが主人公として決めて行動しなければ、ストーリーは進んで行かない。
 そして結末も主人公であるプレーヤーの選択にかかっていて、よく考えて頑張れば好みの相手とハッピーエンドを迎えられる反面、下手をすれば悲しい別れに終わるバッド・エンドもあり得るから、プレーヤーは主人公としてよりその世界に入り込んでストーリーに熱中する事になる。

 相手役のヒロインに自分の好みの相手を選べるし、ストーリーの主人公になり切ってプレイする自分が下手な行動を取れば、バッド・エンドに一直線だ。
 実に楽しいし、面白い。
 筆者はそう思うのだが、世の中の人々の反応は違う。
 恋愛小説や恋愛マンガを読んだり、恋愛ドラマや恋愛映画を見たりしても、人から馬鹿にされ世の中から冷たい目で見られる事は無い。
 しかし恋愛ゲームをするとなると、オタクと馬鹿にされ二次元萌えの変態扱いされかねない。
 何でだ! と筆者は声を大にして怒りたい。恋愛ゲームだって、恋愛小説や恋愛コミックスや恋愛ドラマや恋愛映画と同じ、立派な“作品”だ
 小説やコミックスやドラマや映画なら良くて、ゲームだと恥ずかしいオタクのものと決めつけるのは、間違いなく差別で偏見だろう。

 それにゲームには、他の小説やコミックスやドラマや映画には無い良さがあるのだ。
 前にも言ったように、小説やコミックスやドラマや映画では読者や観客は主人公の傍観者で、制作者が決めた一本道のストーリーをただ追うしかできない。
 しかしゲームではプレーヤーが主人公としてそのストーリーの世界の中で行動し、物語のエンディングを決めるのもプレーヤーである貴方自身だ。
 物語の中で“行動”し、ストーリーを動かして行くことが出来る。それが他の小説やコミックスやドラマや映画と違う、ゲームの大きな魅力だ。

 そしていろいろゲームをプレイして、いろいろ行動しているうちに、自分というものが次第に見えてくるようになる。
 ただ「自分はどんなタイプの相手が好きか?」という事だけでなく。
「人の気持ちと自分の感情と、どちらを大切にするか?」とか。
「誤解から相手と険悪な仲になってしまった時、どうするか?」とか。
「皆に良い顔をしようと思うか、それとも誰かを傷つけても、選んだ一人だけを大切にするか?」とか。
 ゲームの世界の中でいろいろ行動して行くうちに、自分の性格や行動パターンまで自然に見えてくるものだ。

ふぁいなる・あぷろーちP1090402

 例えばプリンセスソフトというメーカーの、『ふぁいなる・あぷろーち』というゲームがあって。
 これには5人のヒロインが出てくるのだが、筆者はそのうちたった一人しか選べなかった。
 と言うのは、このゲームは絵こそ西又葵さんの可愛らしいキャラを採用しているものの、誰と恋するかにプレーヤーの倫理観がそれとなく、しかし厳しく問われているからだ。

 5人のヒロインのうち、まず益田西守歌(しずか)は「純情可憐で清楚なお嬢様……を演じている、凶悪な女傑」で、妹と二人暮らしをしている主人公の家に、いきなり“婚約者”として強引に入り込むのでありマス。
 続いて水原明鐘(あかね)は主人公の妹で、大人しくて引っ込み思案デス。
 陸奥笑穂(えみほ)は主人公の同級生で、本物のお嬢様なのだが、それらしいのは外見だけで、サッパリした男のような性格で、主人公とも友達付き合いをしている。けれど同じ名家の、昔からの許婚がいる。
 守屋美紀は主人公と幼なじみで、小学校の頃までは仲良くしていたのだが中学は別になり、高校でまた再会したのだ。
 最後の芽生百合佳は、両親がいない主人公と妹の親代わりになってくれている従兄の恋人で、主人公の先輩でもある。

 ……どうでしょうか。
 原画が人気絵師の西又葵さんによるだけに、どのキャラも外見的にはとても可愛いのだけれど、実際には選びにくい相手ばかりでしょうが。
 許婚がいたり、恩人の恋人だったり。明鐘に至っては、何と自分の妹だよ?
 いくら相手が好きで恋する気持ちは抑えられないにしても、許婚がいる相手や恩人の彼女や、ましてや妹に手を出す……ってのは、人として倫理的にどうかと思うのだ。倫理観は人それぞれと言え、少なくとも筆者はね。

 実は最初は、筆者は笑穂さんが良いかな……と思っていたのだ。外見というより、お嬢様ぶらないサッパリした性格が好きだったんだよね。
 ただ笑穂さんには、昔からの許婚がいて。
 それでももし笑穂さんがその事に疑問や不満を持っていたのなら、「昔からの家と家の関係に縛られるなんておかしい!」と頑張るけれど。
 でも当の笑穂さんはその許婚と仲も良いし、許婚という関係にも疑問を持っていないし。
 なのに自分の恋愛感情だけで、「許婚だなんておかしい!」と割って入って仲を裂くのは、筆者は間違っていると思うのだ。

 続いて百合佳さんも、「恋人である主人公の従兄が、仕事が忙しいとかで最近冷たくて、寂しい思いをしている」という前提がある。
 だとしても、相手が恩人の恋人ならば、世話になっている従兄と百合佳さんがうまく行くよう仲を取り持つのが“人の道”ってものでしょ?
 従兄と百合佳さんの仲が最近微妙だからって、その百合佳さんの心の隙に付け入るような真似をするのは、泥棒猫以下の卑しい行為だと筆者は考える。

 増してや、自分の妹に恋愛感情を抱くとは、それこそ犬畜生にも劣る行為でしょうが。
 ま、こうした物語の常として、ストーリーを進めて行くうちに「兄妹として育てられたものの、実は血は繋がっていなかった」とわかるのだろうけれどね。
 でも事前にそうした予備知識なく、ただ「兄妹だ」という前提しかない状態で明鐘さんに接近しようとするのには、筆者はものすごく抵抗がある。

 で、残るは押し掛け婚約者の西守歌さんと、幼なじみの美紀さんだけれど。
 西守歌さんは「純情可憐で清楚なお嬢様……を演じている、凶悪な女傑」とは言うものの、実際に家に居座られてみると意外に良い子なんデスよ。
 そして美紀さんを選ぶには、西守歌さんを家から追い出さなければならないのだけれど、肝心の美紀さんは別に主人公に気があるような素振りも見せず、態度もアッサリしたもので……。
 なのにわざわざ西守歌さんを追い出してまで、美紀さんにセマる必要も感じなくて……。

 それで筆者は、『ふぁいなる・あぷろーち』は西守歌さんのルートしかやらなかったのだ。
 許婚のいる相手や、恩人の彼女や、ましてや妹にセマるとか、筆者の倫理観がどうしても許さなかったのだ。
 ま、美紀さんのルートはやっても良かったのだけれどね、ただ、そうするとかなり好きな西守歌さんをフッて、家から追い出さなければならなくなる。それが嫌で、美紀さんのルートも出来なかったよ。
 この『ふぁいなる・あぷろーち』でも改めて自覚させられたけれど、筆者は好きなんデスよ、清楚なお嬢様に見えて実は芯の強い女傑タイプの女性が。

 あと、筆者は間違いなく自分の恋愛感情より、人としての倫理観の方を大事にする人間なのだ。
 と言うと、「それはオマエが本当の恋をした事が無いからで、誰かを心から愛すれば許婚がいるとか恩人の彼女だとか兄妹だとか、倫理や善悪など頭で考える理屈など関係なくなる」と非難されそうだけれど。
 現実の自分の恋愛でも、筆者は彼氏がいるとわかっている女の子に横恋慕して手を出した事は全く無いデス。他にも交際相手がいるのを内緒にされて、相手にフタマタをかけられた事はあるけれどね。

 出逢った相手が、たとえどんなに魅力的でも。
 その人に彼氏がいるとわかった瞬間に、「手を出そう」という気持ちが全く無くなってしまうのだ。
 相手に対する好感は変わらないのだけれど、「付き合いたい」という気持ちがスーッと失せてしまうんだよね。
 だから他に好きな人がいる女の子に対して「何とかして振り向かせて、その彼氏から奪ってやろう」なんて、思った事はまるで無いよ。

 だって他人のものを横取りするのは泥棒じゃん。
 恋愛だって、それと同じ。
 筆者は自分の彼女にフタマタをかけられて、知らぬ間に他の男に寝取られていた痛い経験が何度かあって。
 それだけにフタマタも他人の恋人に手を出して寝取るのも、どちらも道に外れた汚らしい行為だと思ってしまうんだよね。

 でも「恋する気持ちは、理性や理屈では抑えられない」って?
 では少し、筆者自身の体験を語ろう。

 筆者には小学6年生の頃に、好きだった女の子がいて。
 相手は近くの席で同じ班だった、おとなしくて可愛い子でね。筆者が主に話しかけたりちょっかいを出したりするうちに、自然に仲良くなってさ。
 ただその頃の筆者は、すごくガキだったから。幼稚な男子にありがちな、「好きな子に逆に意地悪する」みたいな馬鹿な真似、よくやったなぁ……。
 で、その子の親友の女子から「あの子、黒沢が好きなんだって」と聞いても、ただ「ふーん」という程度で。
 好かれていると聞いても、何をしたら良いのかまるでわからなかったんだよ、あまりにガキ過ぎて。
 それでまあ仲の良い友達のような関係のまま、何の進展も無いまま中学生になってクラスも別になって、さらに高校は違う所に進学したから、顔を合わせる事も全く無くなってさ。

 ところが二十代の半ば頃に、その子と再会してしまったのだ、よく浮気や不倫のモトになるという、あの同窓会というやつで。
 問題の小学6年生の時のクラスの同窓会の幹事役が、たまたま筆者に回って来ていてさ。で、女子の方の幹事が、例の子の親友だった女の子で。
 そしてその女の子が、「二人で準備するのは大変だから、他の子にも手伝って貰おうよ」と言って引っ張り出したのが、問題の小6の時に仲の良かった例の子だったのだ。

 昔は可愛いけどおとなしくてあまり目立たなかったその子は、再会してみるとフワッとした感じの、女らしい素敵な女性になっていてさ。
 すごくイケてるし良いなって、心から思ったね。
 ただその時、子供こそまだだったけれど、その子は既に他の男性と結婚していたのだ。
「あの子、黒沢が好きなんだって」と聞いていながら、ただ「ふーん」で済ませてしまった小6の頃の自分を、本当にタコ殴りにしてやりたい気分だったね。

 同窓会の準備の打ち合わせ……って事で、その子と合って話す事が何度もあってさ。
 そして会って話す毎に、「いいなあ、好きだなあ」って思う気持ちは強くなっていったよ。
 で、その子の筆者に対する感情も、けっこう悪くない感じでさ。そしてその子は嫁姑問題ってやつを抱えて悩んでいた事もあって、「押せば落ちるかな」って感じもあったのだ。

 でも筆者は、結局その子に手は出さなかった。
 いくら好きでも、他人の妻に手を出す……って気には、本当にどうしてもなれなかったんだよ。
 だから浮気どころか、キスの一つもしていない。
 ただ同窓会の二次会で一度だけ一緒に踊って、「もっと早く出逢っていれば良かったね」と囁き合って、それだけで本当に終わりだよ。
 その子が住んでいる場所も知っているけれど、例の同窓会の後は二度と会ってないよ。

 好きになった人に、他に交際相手や結婚相手がいたら、筆者はチャンスがあっても本当に手を出さないでいる。
 それは勇気が無いからではなく、自制心と理性の問題だと自負してる。
 好きな気持ちはどうにもならなくても、その感情を行動に移すのを抑える理性と自制心の無い人間を、筆者は軽蔑する。

「理性で情を抑える」と言うと、とかく心で感じるものよりも頭で考えたことに従って動く、冷たい人のように思われがちだが。
 ただ感情のまま突っ走り、恋人のいる人や既婚者にも手を出してしまう人と。
 好きだと思う情を、人の道を考え心の中で必死に抑えて自分一人で辛い思いに耐える人と。
 さて、貴方はどちらの人の方を、より“人間らしい”と思うだろうか。

 でも、恋愛ゲームは良いよ。
 たとえ許婚のいる相手や恩人の彼女や妹に手を出しても、現実に痛い目に遭うわけではないからね。
 で、プレイしているうちに「どんなタイプの子が好きなのか」だけでなく、「理性より感情優先で、ヤバい恋にも突っ込んで行ってしまう傾向があるか?」とか、自分の恋愛の傾向もいろいろわかってくるし。

 筆者自身も、ゲームをして自分のいろいろな面がわかったよ。
「いかにも女らしい守ってあげたくなる女の子より、芯の強いキリッとした子を好きになる」とか。
「結論は急がず、すぐには動かずよく見てよく考えてから答えを出す性格だ」とか。
 あと、「変に意地っ張りで、喧嘩をすると仲直りがとても下手」という欠点も、ゲームを通して初めて自覚させられたよ。

 ゲームのプレイの仕方には、その人の性格や人間性が自然に出て来るものだから。
 別に恋愛ゲームでなくても、例えば『ゴーストリコン』や『メダル・オブ・オナー』のような、一兵士として戦場で戦うアクション系のシューティング・ゲームでは、筆者は最前線に出て敵と派手に撃ち合うより、物陰に隠れ狙撃銃で遠くから敵を一人ずつ倒して行くのを選ぶことが多いデス。
 ……ほら、にじみ出て来るでしょう、筆者のイヤーな性格がwww。

 小説やコミックスやドラマや映画と違って、ゲームでは自分が主人公になり切って、恋愛や戦場を疑似体験できるから。
 小説やコミックスやドラマや映画とは違った良さが間違いなくあるし、プレイを通して“自分”というものが見えてきたりもするのだ。
 だからただ「ゲームだから」というだけで、「オタクのもの」と馬鹿にして小説やコミックスやドラマや映画などより下の存在として見るのは、ぜひやめて貰いたいものだと思うのでありマス。

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