空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

『あさが来た』にも見る、連続テレビ小説や大河ドラマのヒロインは決して老けない怪奇

 朝の連続テレビ小説『あさが来た』が、相変わらず好評で視聴率も高いようだが。
 それを不熱心に横目で見つつ、「オマエもかよ」と残念に思っている事がある。

 NHKの近年の大河ドラマや連続テレビ小説では、何故かヒロインがいつまでも老けない
 結婚しようが、出産しようが、その産んだ子が成長しようが、ヒロインはいつまでも若々しく“娘”のままなのである。
 例えば『』に至っては、少女期の頃には既に大人でありながら最後まで全く変わらずそのままで、「ヒロインはバケモノか!」と思うほどであった。
 まあ、『江』は脚本や演出から時代考証まで、いろいろとあまりにもヒド過ぎたから例外にしておくとしても。
 ヒロインが「十代の思春期から既に閉経した筈の中年過ぎになるまで、ずっと変わらず若々しく美しいまま」というのは、見ていて余りにも不自然で気持ち悪すぎるよ。
 でも近年の大河ドラマや連続テレビ小説では、どれもこれも不気味なほどにヒロインが老けない。

 筆者は幼い頃から歴史が好きで、大学も史学部国史専攻コースに進んだ。
 だから歴史もただ教科書に書いてある事を丸暗記するのではなく、歴史上の出来事についていちいち「なぜだろう?」と考え、通説についても「それは本当なのだろうか?」と疑ってみる習慣がついている。
 その結果、筆者は明治維新については大の薩長ギライの佐幕派になってしまったのだ。

 歴史を長い目で眺めるとですね、天皇を飾り物の権威として実権を薩長の連中が握った新政府は、“維新”と称して対外侵略的な軍国主義の国造りを最初から目指していて、そしてそのままあの愚かで破滅的な太平洋戦争へと突き進んで行き、我が祖国日本は滅亡の危機に陥ってしまうのデスよ。
 それを理解している筆者は、明治維新を日本の新しい夜明けのように評価し、薩長のテロリスト達を“志士”と持ち上げて誉め称える史観には、違和感と嫌悪しか感じない。
 同時に、明治維新とそれを押し進めた人々の行為に対して何の疑問も抱かず知識も無いまま、ただイメージだけで維新を良いことのように思い、維新を党の名にする政党と、それに属する政治家と、さらにそれに一票を投じる有権者にも全く共感できない。

 ゆえに『花燃ゆ』は最初から全く見なかったが、それでも他の番組と番組の間にスポット的に挟まれて、無理矢理に見せられる番宣で眺める限り、ヒロインの井上真央さんはやはり最後まで老けなかった。

 前にも書いた通り筆者は佐幕派で、会津藩や新撰組には強いシンパシーを抱いているが、『八重の桜』でもヒロインは殆ど老けず、八重は最後まで「綾瀬はるか」のイメージのままだった。
 断っておくが、筆者は綾瀬はるかさんは好きだ。
 だが『八重の桜』については、「やっぱり老けないなー」と冷笑まじりに見ていた。

 まあ、『カーネーション』は晩年の主人公を、キャストごと変えて違う役者さんにやらせていたが。
 実際、いくらメークの技術を駆使しても、高校生の孫もいる老女の役を尾野真千子さんにやらせるのは無理があったかも知れない。
 しかし以前なら、少なくとも娘時代から中年過ぎくらいまでは、同じ女優さんが演技とメークで変化をつけてこなす場合が少なくなかった。
 と言うか、それが当たり前だった。

 少し以前なら、例えば二十代の女優さんがメークで小皺を描き髪も白く染め、いかにもオバサンらしい演技をして見せたら、「上手く老け役を演じたものだ」役者として評価されたものだ。
 しかし今は違う。
 ヒロインは母となり子が大きくなっても、娘時代の頃と殆ど同じで老けないのである。
 残念ながら『あさが来た』でも、既に四十代になっているヒロインのお肌はツルツルのままで張りもあり、皺ひとつ無いのである。
 そろそろ思春期になろうという娘と並んでも、親子でなく姉妹にしか見えないのである。
 繰り返し言う、朝ドラや大河ドラマのヒロインはバケモノか!

 今の女優さんというのは、役者としての演技の評価より“綾瀬はるか”なり“井上真央”なり“波瑠”なりという、タレントとしてのイメージの方が大事なのだろうか。
 老け役を見事に演じたら、その女優の若さや美しさなどのイメージが壊れて人気が落ちると思っているのだろうか。
 そんなに若さや美しさなどのイメージが大事なら、「役者でなくアイドルになれ!」と怒りたくなってしまうのは、筆者だけだろうか。

 まあ、今はジャニーズやAKBなどのアイドル達もよくドラマで重要な役を演じているし、アイドルと役者の区別そのものが無くなっているのかも知れないが。
 で、視聴率ほしさに演技力より話題性と人気を重視してアイドルを使えば、どうしても事務所の方の「イメージがあるから、老けさせないでくれ」という要望を受け入れざるを得ないのだろう。
 しかし繰り返し言うが、役の上とは言え「四十をとうに過ぎても娘時代と殆ど変わらず、思春期の我が子と姉妹にしか見えない」というのは、若くて綺麗な女性が好きな男の一人である筆者が見ていても気持ちワルイよ。

 この「近年の連続テレビ小説や大河ドラマでは、ヒロインが結婚し出産し、その子が成長しても殆ど老けず娘時代のままに若々しい」という現象は、もしかしたら演じるタレントのイメージの問題ではなく、主たる視聴者である女性の願望なのかも知れない。
 実際、「娘とは、友達のような親子になりたい」と正気でおっしゃる女性が少なからずいるからね。

 でも男で、「息子とは、友達のような親子になりたい」などと言う男はまずいないし、いたら気持ちワルイよね。
 子供に対して、多くの男はあくまでも“親”であるべきだと思っているし、少なくとも以前は女性もそうだった筈だ。
 けれど今の女性には、四十を過ぎても思春期の娘と「友達(姉妹)みたい」な関係でいたいと思っていて、人からもそう見られたいと思っている気持ちワルイ人達が無視できないほど実在するから怖い

 そういう女性達は、「美魔女とかいるし、今のアンチエージング技術とメイクをなめるな!」とか言うけれど。
 でもアナタ、化粧やエステあれこれで誤魔化した四十代や五十代の“美魔女”を、十代後半から二十代の本当に若い女性と並べて比べてごらんなさい、って。目尻や口元などの小皺だけでなく、肌の張りやツヤから頬や首の弛みまで、何から何まで全然違うから。

 以前にも書いた事があるが、筆者は若い頃、プロの写真家になりたいと思っていた。それも篠山紀信さんや荒木経惟さんのような女性を撮る写真家になりたいと思っていた。
 だから多くの女性を見て写真に撮ってきたし、それだけに女性のメークに騙されずに実年齢を見抜く自信はあるつもりだ。

 その筆者に言わせると“美魔女”など「年の割には若く見えるね」という程度であって、本当に若い女性と並べて比べてしまうとその差は一目瞭然なのだ。
 それに気付かず、娘と友達気分で姉妹に見えるつもりの母親など、傍から見ていて怖いしイタ過ぎるとしか言いようが無い。

 一部の(筆者はそう信じたい)女性達の、その怖くてイタ過ぎる夢を叶える為に、連続テレビ小説や大河ドラマはヒロインを年相応に老けさせることを止めたのだろうか。
 この「ヒロインは決して老けずに、いつまでも若々しいまま」という風潮は、筆者の私見では『利家とまつ』から始まったように思うが、どうだろうか。

 現在も視聴率が好調の『あさが来た』でも、もう明治になって二十数年も経とうというのに、変わったのは髪型と服だけで、ヒロインは明治初年の頃と同様に若々しいままで、お肌ツルツルだ。皺一つ無く、どんどん大きくなりつつある自分の“娘”と同じように肌が張り切っている。
 ……気持ちワルイったら、ありゃしない。

 わざとらしく、ことさら醜く老けろと言うのではない。
 ごく自然に、年相応に品良く老けさせる事だってできる筈だし、「ヒロインは全く老けない」という方が不自然でバケモノじみていると筆者は思う。

 大河ドラマの『真田丸』の方は、祖母と母、それに二人のヒロインと、ちゃんと世代の違いが区別されているが。
 少なくとも、今のところは。
 しかし信長が本能寺で死んだこの後、豊臣の時代が続くものの徳川に取って代わられ、大阪夏の陣で主人公(真田信繁)が滅び行く豊臣家と運命を供にして討ち死にするまで、物語はあと三十数年続く筈だ。
 現在は若い娘でいる長沢まさみさんと黒木華さんが、この先もまたずっと老けずにいるのか、それとも年相応に上手に老けて行くのか、怖々と見守って行こうと思っている。

 余計な事だが、最後に一つだけ。
「何とかギャグを盛り込もう」という姿勢がチラチラ窺える三谷幸喜の脚本には、本格的な時代劇を見たい筆者はどうにも感心できない。

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