空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

報道写真の嘘(写真は“真”を写すものに非ず)

 以前にもこのブログに書いたが、筆者は以前、写真家になりたいと思っていた。
 それも篠山紀信さんや荒木経惟さんのような、女性を撮る写真家になりたかったのである。
 だから実際にも、何人もの若い女性にモデルになって貰って写真を撮り、それを雑誌社に持ち込んだ事もある。

 で、そうして誰かを本格的に撮る場合には、一般の人達には想像できないくらいたくさんの写真を撮る。普通の人達が記念に写真を撮り合う場合には、ポーズを撮ってパチリでハイ終わりだが、プロやそれに近い人達は一度の撮影で何百枚と撮るのが当たり前なのだ。
 そしてその何百枚、あるいは何千枚の写真の中から選りすぐりのものだけを、グラビアなり写真集に掲載しているのだ。
 だからプロの写真家の作品が綺麗なのは、ある意味では当たり前なのだ。素人の人達だって、何百枚も写真を撮れば、その中に一枚や二枚、人に自慢できるような良い写真があるだろう。

 だからプロやそれに近い人達は、ただ撮影機材に凝るだけでなく、いざ撮影となれば撮って撮って撮りまくる。
 筆者も昔はやったよ、若くて可愛い女の子にお願いし倒してカメラの前に立って貰って、褒めまくって写真を撮るの。
「はい、いーよー、可愛いよー、もうちょっと顔を横に向けて? うん、すごくいーよー、その表情」
 なあんて言い続けながら、シャッターも絶え間なく押し続けてさ。

 何しろ一眼レフのカメラに、背景が綺麗にボケる女の子を撮る為のレンズを付けて、それでポーズや表情を変えて何百枚も撮るわけだからね。仕上がりはコンパクト・カメラやスマホ付属のカメラなどとはまるで違うし、撮られてくれた女の子にも気に入って貰える良い写真が何枚か撮れていないわけが無いデスよ。
 でもね、人に見せて自慢できるような写真はその数枚くらいで、大半はどうと言うこともない、ただ露出とピントが合っているだけというレベルの平凡な写真なんだよね。
 さらに言えば、プロがするように写真を連続してバシャバシャ撮っていれば、正直に言って“変顔”レベルの写真も、必ず何枚かは撮れてしまっているものなのだ。
 目を瞑ってしまった瞬間というのなら良いのだけれど、その直後の半眼で白目を向いたような写真とか、結構撮れてしまったりするのだ。
「いーよー、綺麗だよー」とか言いながら連続して撮っていると、必ずそんな“変顔”の写真も混ざっているのだよ、相手がどれほどスゴい美人だとしても、だ。

 だからプロの写真家たちはそうした変顔の写真は無かったものにして、実物以上に綺麗に撮れた写真のみ皆に見せているのだ。ただ撮られてくれたモデルの為だけでなく、「うまい写真家だ」という自分の評判を保つ為にもね。
 けどその写真家の手元には、例の変顔写真がたくさん残っている事もまた確かなのだ。

 実は筆者は、写真を撮るのは今でも大好きなくせに、自分が撮られるのはとても苦手で嫌なのだ。
 なぜなら、撮った相手の手元には自分のヘンな顔の写真が残っているであろう事が、自分自身の体験からよくわかっているからね。

 たとえモデルは人気絶頂のアイドルや女優さんであろうとも。
 グラビアを飾っている綺麗な写真は、何百枚も撮った中から厳選した数枚であって、残りの九割以上は平凡な駄作で、中には例の変顔写真も必ずあるものなのだ。
 だから撮った写真家に悪意があれば、わざとその変顔の写真を公開して、すごい美人さんをブスに見せて笑い物にする事だって出来るのだよ。

 ただ女性を撮る写真家の使命は、「とにかく相手の女性を綺麗に撮ること」だからね。ブスさえ可愛く写して見せるのが腕なのに、美女をブスに撮ってしまったら信用を失って失業してしまいかねないから、そんな事はしないけれど。
 ただ報道写真で相手が政治家や犯罪者などの場合には、より悪そうな顔に撮れた写真を意図的に使う場合があるように思える。

 筆者は以前、ある新聞に載っていた某女性作家の写真付きインタビュー記事を見て、思わず目をそむけたくなった。
 まことに申し訳ないのだが、二段抜きの大きさで載せられていたその女性作家の写真が、とても不細工だったからである。
 で、インタビューの内容は、その作家の新作である恋愛小説に関してだったが。しかし筆者の気持ちはどうしても、恋愛小説を書くにしてはあまりにもブスなその作家の顔写真に行ってしまうのだ。
「え、この顔で本当にリアルな恋愛をした事があるの? ただ脳内恋愛を書き綴っただけじゃないの?」と、申し訳ないがつい言いたくなってしまった。
 だがその顔写真を見るうちに、筆者はふと気付いたのだ。
 これは作家さんの顔面が悪いのではない、撮ったカメラマンと選んだ記者が悪いのだ、と。
 その顔写真はインタビューの最中のものらしく、よく見るとその作家さんは、唇を鼻の先端より前に突き出して熱心に喋っている瞬間を斜め横から撮られていたのだ。だから元々“中の下”程度の容貌が、まるで熱帯の“吠えザル”か何かのように醜く写ってしまっていたのだ。
 美人をも変顔にしてしまう一瞬を撮る恐ろしさは、写真を撮る者として筆者もわかる。
 しかしそれにしても、他にもっとましな写真もあっただろうに、なぜよりブスに写ったその写真をあえて載せたのか、その新聞社の意図が今もわからない。その作家さんは、何か記者の機嫌を損ねるような発言でもして仕返しをされたのだろうかと、一人邪推をしている。

 だが作家のインタビュー記事の写真やアイドルのグラビア写真では、別にブスに撮られようが(当人は大ショックだろうが)社会全体に何か影響があるわけではないからまだ良い。
 問題は、新聞社や雑誌社がその人のどの写真を選ぶかによって、社会や政治に明らかに影響を及ぼす事もあることである。

 人は、いろいろな表情をする。いつも感じ良く微笑んでいるだけの人などまずおらず、ただ向かい合って数十分話し合うだけでも、笑ったり顔をしかめたり、鋭い目をしたり楽しげに頬を緩めたり、様々な表情をする筈だ。
 だから記者会見の時にも、政治家は話す内容や記者の質問によって、様々な表情を見せる。そして報道カメラマン達は、それを連写して何百枚もとり続けているわけだが。
 で、ある政治家を撮ったもののうちどういう表情を「良い写真」と考えるかについて、その報道カメラマンが属する新聞社なり雑誌社のデスクの政治的立場によって、かなり違うように思える。
 人の写真というのは、様々に変わる表情のうちの一瞬を切り取ったものに過ぎない。
 しかし見る人はそれをその人のすべてのように受け取って、好感を持ったり悪感情を抱いたりしがちだ。そして新聞社や雑誌社には、あえて読者に特定の感情を抱かせるような写真を、意図的に掲載する社があるから要注意だ。
 雑誌社には当然それぞれに“色”があるが、新聞も決して公正中立ではない事を、人は意識しておくべきであろう。

 この3月4日に、沖縄県名護市辺野古への新基地移設を巡る訴訟で裁判所が提示した和解が成立し、これを受けて翁長沖縄県知事と安倍首相が会談した。
 で、翌日の朝刊に、多くの新聞が翁長知事と安倍首相のツーショット写真を掲載したのだが。
 二人が正面を向いて握手しているものや、二人が向かい合って握手しているものや、二人が椅子に座って会談するものがあったが、一紙だけ政治的な意図が強く滲み出た異様な写真を掲載した新聞社がある。
 その新聞社は、翁長知事が安倍首相と握手をしながら、まるで国に「和解して下さってありがとうございます」と礼を言っているかのように頭を下げた瞬間を捉えた写真を掲載したのである。
 沖縄タイムズや琉球新報はもちろん、とかくサヨクと叩かれることの多い朝日新聞から明らかに現政権寄りの産経新聞まで、殆どの新聞が翁長知事(沖縄県)と安倍首相(国)を対等に扱った写真を載せる中、その一紙だけあえて翁長知事が安倍首相に頭を下げた瞬間の写真を選んで載せたのだ。
 互いにお辞儀し合い、安倍首相が翁長知事に頭を下げた瞬間も当然あったであろうにもかかわらず。
 そこにその新聞社のまるでかつての“大本営発表”のような、偏向した政治的な傾向を感じない人がいるとしたら、よほど鈍感な人か極右の人であろう。

 で、その沖縄県と国の和解を、まるで沖縄が国に頭を下げたかのように印象づける写真を一面に載せた新聞と言えば、「大日本帝国が大好きな、一部の極右の人しか読まないようなマイナー紙だろう」と思うかも知れないが、さにあらず。
 何と我が日本国で最も発行部数の多い、読売新聞サマなのである。
 読売新聞と言えば某主筆が絶大な権力を握り、安倍政権のする事ならば戦争法案も含めてすべて肯定し、政権に批判的な意見はほぼすべて叩いている御用新聞である。
 こんな安倍政権の“ポチ”どころか“番犬”のような新聞が日本で一番売れているのだから、「日本人も落ちたものだ」と嘆きたくなってくる。

 と言うと、必ず「オマエは朝日新聞が好きなサヨクなんだろう」と言われそうだが、筆者は読売新聞が嫌いになるもっと前の子供の頃から、左巻きでリベラル臭い偽善的な朝日新聞は大嫌いである。
 筆者の政治思想は、基本的には自民党宏池会や旧田中派に近い保守本流だ。だから歴史を学んでいた大学生の頃には、同級生から「コチコチの右翼」とよく叩かれたものだ。
 だが左翼の社会主義と同じくらい右翼の全体主義も嫌悪している筆者にとっては、歴史修正主義者で明らかに右寄りのミリタリストである安倍氏とそれを支持する勢力は嫌悪の対象でしかない。
 それだけに翁長知事が安倍首相に頭を下げたほんの一瞬を捉えた写真を意図的に一面に載せる読売新聞とその記者は「報道人の資格無し!」と断言できるし、それを喜んでお金を出して購読している多くの読者の存在にも失望せざるを得ない。

 一時期はプロの写真家を目指した事もある者として、くれぐれも言っておきたいが。
 写真とは、必ずしも真を写すものとは限らないのだ。
 写真が捉えるのは長い時間の中のごく一瞬であって、美人をブスにも、良い人を悪人のようにも、賢い人を間抜けのようにも写して見せられるものなのだ。
 だから繰り返し言うが、悪意や政治的な意図を持って掲載された写真に騙されないだけの知恵を、国民の皆に持っていただかねばならない。

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