空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

嫌な辛い出来事は忘れたい日本人と震災遺構

 あの東日本大震災から五年が過ぎた。
 そして三月になる度に、マスコミで「あの悲劇を忘れてはならない」という番組や記事が掲載される。

 東日本大震災の被害と教訓を後の世代に語り継ぐ事に関しては、誰も異論はないが。それと違い意見が真っ二つに分かれるのが、震災遺構の問題である。
 住民に避難を呼びかけながら津波にのまれた防災庁舎や、多くの犠牲者を出した小学校の校舎などを、「被災の実状を後世に伝える震災遺構として残すべきだ」という意見がある一方で、「見るだけで思い出して辛いから、一刻も早く取り壊してほしい」という声も少なからずある。
 残すべきという意見はもっともだと思うものの、見るだけで辛いという情もわかるし、正解というものがない問題だけに、被害の有り様をまざまざと見せつける“廃墟”をどうするべきか、結論を出すのはなかなか難しい。
 特に筆者の住む県は被災地では無く、当日も震度4の揺れに襲われた程度で実質的な被害は何も無かっただけに、下手に意見を言うと無責任な放言になってしまいかねない。

 それでもあえて筆者の個人的な意見を言わせていただければ、被災者の方、特に遺族の方は辛いだろうが、震災遺構は残した方が良い。
 何故なら、実物より人間の感情に強く訴えるものは無いからだ。

 無論、被災の様子は写真やビデオでも見る事が出来るし、被災者の体験を語り継ぐ事も活字として残す事も出来る。
 しかし被災地から遠く離れた地方の住民や、震災以後に生まれた次世代の者にとっては、映像や体験談は己の目で見ていない、ただ頭の中で想像したものでしか無いのだ。
 いくら被災を体験した方が当日の事を感情を込めて克明に語り、そして聞き手も涙しながら熱心に聞いたとしても、その時の津波の高さや破壊力の凄まじさまでは正確に伝わるものでは無い。

 2011年3月11日当日、筆者は長く続く異常な揺れに「これはただ事では無い」と感じ、揺れが収まると同時にテレビを付けた。そして仙台で震度7の速報を聴いた後、テレビをずっと付けっ放した。
 だからテレビ局のヘリコプターのカメラから中継される、各地を襲う津波の様子もリアルタイムで見た。波にのまれて行く家々や田んぼも、津波の渦に巻き込まれる船や車や人も、この目で見た。
 但し放送局のカメラを通して、暖房の効いた何不自由ない快適な部屋の小さなテレビ画面で。

 映像は意外なくらいに情報を伝えない。
 当日の寒さも伝えないし、波の高さや勢いの強さや水の冷たさも、見ている方はただ画面から推し量るしか無い。
 映像ですらそうなのだから、被災していない者にその日の事を体験談や活字でリアルに伝えるのは、もっと難しい。
 東日本大震災を体験していない者たちに、地震や津波の凄さや恐ろしさを最も生々しく心に響く形で伝えるものは、やはり震災遺構であろうと筆者は思う。その破壊された遺構を見てこそ、当日の波の高さや勢いを肌で感じる事が出来る。
 話で聞いたりテレビやパソコンの画面で動画を見たりするのとは、現地で見る本物の震災遺構の凄みはまるで違う筈だ。

 想像してみてほしい。もし広島に原爆ドームが無く、語り部の体験談を聞き写真を見るしかないとしたら、人々は被爆の被害を今ほどリアルに感じる事が出来ただろうか
 原爆ドームがあり、そして被爆して亡くなった方の遺品などの実物があるからこそ伝わるものも、確実にあるのではないだろうか。
 原爆ドームに関しても「思い出すと辛いから、無くしてほしい」という被爆者の声があったと聞くが、無くさず保存しておいて良かったと筆者は思う。

 ヨーロッパのポーランドでは、今もアウシュビッツの強制収容所が、ホロコースト記念館としてほぼそのままの形で残されている。「働けば自由になる」という有名な偽りの言葉を書いた入り口のゲートも、鉄条網も収容棟も、そしてユダヤ人を殺したガス室や死体を焼いた焼却炉も、当時のまま残されている。
 収容されていたユダヤ人の中には、生き残り解放された後も思い出すと辛くて、アウシュビッツに二度と行けないでいる者が少なからずいた。
 しかし生き残った元囚人たちは、「思い出すと辛いから、収容所は取り壊してくれ」とは言わなかった。自分は辛くて二度と行けなくても、悲劇とナチスの蛮行を後世に伝える為に、収容所はホロコースト記念館として残す事を選んだ。
 想像してほしい。もしアウシュビッツ強制収容所を「思い出すと辛いから」と壊して無くしてしまったとしたら、戦争を直に知らない世代の若いネオナチなどが「ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)は無かった!」と言い出すに違いなかろう
 ちょうど今の日本で、安倍首相を支持する歴史修正主義者たちが「南京大虐殺は無かった!」と声高に叫んでいるように。

 三十歳以上の方なら今もよく記憶しておられるであろうオウム真理教事件に関して、筆者は一つとても残念に思っている事がある。
 オウム真理教の悪事が明らかになり、教祖の松本智津夫こと麻原彰晃が逮捕された後、山梨県旧上九一色村のオウム真理教の本拠が完全に解体されて更地にされてしまった事だ。
 筆者は当時から「せめて第7サティアンでもそのまま残して、カルト記念館にすべきだ」と主張して、友人たち皆から「何を考えてるんだ、非常識な!」と非難の大合唱を浴びてしまった。
 実は筆者のイメージには、アウシュビッツ強制収容所をホロコースト記念館として残して、ナチスと人種差別の罪を後世に残した事があったのだ。同様にオウム真理教が信者を極限状態に追い込み洗脳したり、サリン等を製造したりした教団の建物をそのまま残して、カルト宗教(と言うより何かを狂信して盲従すること)の恐ろしさと罪を後世に伝えるべきだと考えたのだ。
 そう説明したのだが、結局は誰にも理解しては貰えなかった。
「で、それに何の意味があるの?」
「地元の人たちの気持ちは考えてんの?」
「元信者がまた戻って来たらどうすんの」
 と、言えば言うほど白い目で見られて非難されるばかりだった。
 その結果が、今どうなっているか。二十代の若い世代はオウム真理教の恐ろしさを肌で知らず、アーレフと改称したオウム真理教の後継団体に入信している人たちが少なからずいると聞く。
 もし筆者がかつて提案したように、オウム真理教の洗脳や犯罪行為が行われた教団施設をカルト記念館としてアウシュビッツ強制収容所のように残しておいたなら、アーレフを含めたカルト教団に入信してしまう若者が少しは減っていたのではないだろうか。

 戦争の際の残虐行為も、オウム真理教などの悪行も。
 日本人は不快な事柄や辛い出来事は記憶にとどめて常に反省するのではなく、早く忘れてしまおうとする傾向が他国の人たちより明らかに強い
 東日本大震災の津波も、思い出すのは辛かろう。
 だが「辛いから」と言って、忘れてしまって良いものだろうか。

 東日本大震災の被災地の複数の方が、「震災が日本の他の地域から忘れられてしまっているようだ」とメディアで語った。
 筆者自身も、あの頃の「東北を応援しよう!」という空気が日本から薄れているのを確かに感じる。戦争についてだけでなく震災についても、「日本人は忘れやすい(忘れたい)民族だなあ」と嘆きたくなってくる。
 ただ筆者は被災地の方の心情にも、ある種の矛盾を感じるのだ。
 被災地の方の感情を逆撫でしてしまうかも知れないが、あえて言わせてほしい。
 他の地方の日本人に「東北の被災を忘れないでほしい」と願いながら、同時に「思い出すと辛いから、震災遺構は残して欲しくない」と言うのは、何か矛盾してはいないか。
 日本人皆に「覚えていて欲しい」と願うなら、震災遺構も原爆ドームのように、たとえ辛くとも目に見える形で残しておくべきではないか。
 筆者は被災者ではないので、これを言うと大変失礼だとわかっているのだが、あえて言おう。
 被災地の方自身が「辛くなるから思い出したくない」と震災の跡を消し去ってしまえば、震災の悲劇は他の地域の人たちにはもっと忘れられてしまうだろう。

 被災地で骨組みだけ残った防災庁舎や、鉄骨のねじ曲がり壁が割れた小学校の校舎を現地でこの目で見てこそ、肌で伝わるものは多々あるのだ。
「わあ、あんな高さまで波が届いたのか!」とか、「津波の力って、こんなにもの凄いんだ!」とか。
 映像や活字や体験談だけでは伝えきれないものが、震災遺構には間違いなくある

 とは言うものの、「震災の痕跡があるものはすべて残せ!」と言うつもりは無い。
 広島の原爆ドームのように、後世に残すだけの価値のある震災の凄さをより良く伝えるものを、地元の方や遺族の方などとよく話し合った上で残して欲しいと、津波の体験の無い、そして予想される東海・東南海・南海沖地震の震源地に近い海沿いの市に住む者として、切に願いたい。

スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する