空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

安倍政権で「日本の報道の自由度」急落中!

 安倍政権は、政治的な公平性を名目にして、日本のマスメディアに圧力をかけている。
 公器でもあるマスメディアが不偏不党であるべきなのは、当然のことである。
 だが“政治的な公平性”と“不偏不党”は、似ているようでも中身はまるで違うのである。

 大学生の頃、筆者は文学部の史学科で国史を専攻していた。
 歴史、それも我が国の歴史を学ぶわけだから、教授や学生ら個々人の歴史の解釈には、当然その者の政治的な信条も影響してくる。
 そして当時は、「知識人=リベラルでサヨク」という時代だった。
 だから自由主義なのだが思想は保守寄りで、自民党の宏池会や旧田中派を支持していた筆者は、学内では異色な存在で、「コチコチの右翼」とまで言われていた。そして現実を見ずに理想論だけ振りかざす青臭い左翼の同級生たちを一人で論破していたので、左派の人間にはかなり憎まれていた。

 ところがどうだ。安倍政権が誕生しネトウヨが勢いづき、『WiLL』や『歴史通』や『諸君!』のような、過去の我が国の侵略の歴史を否定して美化する雑誌が書店に平積みにされている今日では、筆者は「反日の左翼」とされているのである。

 筆者自身の思想信条は、昔も今も変わっていない。基本的に保守で左翼は大嫌いだが、日本が過去に犯した侵略戦争の過ちも認めている。
 筆者自身は何もブレていないのにかかわらず、昔は「右翼!」と憎まれ、そして今は「左翼!」と叩かれるのである。
 世の中の空気とは、これだけ極端に変わるものなのだ。
 そして“中立”もそれに合わせて、世間が左寄りの時代には左に、右寄りの時代には右にブレるものなのである。

 各種の世論調査で発表されている、各政党別の支持率で考えてみてほしい。
 右翼の連中はは民進党すら左翼だと言うが、純粋な意味で左翼と言えるのは共産党と社民党くらいのものだろう。そして両党の支持率は、合わせても5%も無いだろう。
 と言う事は、今の日本に左翼など20人に1人くらいしかおらず、大半を占めているのは中道と右翼である。そしてその中道と右翼の間を取ったら、今の日本で言う公平中立の立場とは“中道右派”という事になる。
 しかし知識人やジャーナリストの多くが左派であった時代には、日本の“公平中立”はもっと左寄りだった。
 だから不偏不党である事は出来ても、正しく公平中立である事はひどく難しいのだ。
 そして現政権はその公平中立なる怪しげで不確かなものを振りかざし、マスコミに圧力をかけている。

 不偏不党とは、「特定の主義や政党に加わらないこと」である。
「政府の政策でも良いものは良いと言い、悪いものは批判する」のが不偏不党であって、何でも政府と野党の両方の言い分を紹介すれば良いというものでは無い筈だ。
 ところが「政府の悪い政策にも賛成意見も併せて報道せよ」というのが、現政権のマスコミに対する姿勢だ。
 そして強制的に徴収される「皆様の視聴料」で成り立っている筈のNHKの会長すら、明らかに政権の息のかかった者が据えられ、「政府が右と言うものを左とは言えない」と公言する始末だ。

 政府が右と言い、そして事実も右ならば、それを右報道するのは正しい事だし、政権に対するすり寄りでも何でもない。
 しかし事実が左ならば、政府がどれだけ右と言い張ろうと「左だ!」と報道するのが、真の意味の不偏不党だろう。

 だが現政権は公平中立の名を借りて、政府が右と言うものに左と言うマスコミに圧力をかけている。
 そしてその結果、日本の報道は萎縮し、国際ジャーナリスト組織『国境なき記者団』が発表している「世界報道自由度ランキング」で日本の順位が急落しつつある。
 ちなみにあの鳩ポッポで“宇宙人”とも呼ばれた鳩山政権の時、国際ジャーナリスト組織が見た日本の「報道の自由度」は世界で11位で、民主党政権末期の野田政権でさえ22位であった。
 ところが安倍政権に変わった途端(2013年)に何と53位にまで急落し、翌2014年には59位、2015年には61位と毎年落ち続け、そして今年はとうとう72位にまで落ちてしまった

 ちなみに「朴大統領の名誉を傷つけるコラムを書いた」という事で産経新聞の記者を裁判にかけた韓国が70位で、一国二制度とは言え中国の強い圧力を受け、中国の指導者に批判的な本を出した者が“失踪”してしまうような香港ですら69位である。
 それ以下の72位という国際ジャーナリスト組織の評価に「恥ずかしい」と思わない日本人は、感覚がどうかしていると筆者は思う。

 安倍首相はどうやら、第一次安倍政権が短命に終わったのは「マスコミの批判的な報道のせい」と思っているらしい。それで第二次安倍政権が発足してから、露骨にマスコミに圧力をかけ、政権寄りの報道をする放送局や新聞社のみを優遇している。
 そしてその結果が、国際ジャーナリスト組織による日本の報道の自由度は「世界で72位」という評価だ。
 高市総務相の電波停止発言も聞き、さらにこの72位という国際評価も聞いてもなお「日本には報道の自由がある」と思っている人がいるとしたら、頭がおかしいとしか言いようがない。

 高市総務相は、「政治的な公平性を欠くと判断した放送局には電波停止を命じる可能性がある」と発言したが。
 その「政治的な公平性」とは、いったい誰が判断するのか。
 この熊本の震災で放送されなかったが、政権に近いとされるある民放は、安倍首相をゲストに招いた番組を作る予定だったという。
 ではその安倍首相を招いた番組には、政権にも批判的な政治家やコメンテーターも招かれていたのだろうか。「もしも安倍首相やそれに近い人だけを招いて、安倍首相の話を聞くだけの“なごやかな”雰囲気の番組になったとしたら、政治的な公平性を欠く」と考えるのは筆者だけであろうか。
 高市総務相の念頭にある「政治的な公平性を欠く放送」とは、安倍首相と政権に批判的な番組であって、筆者には「政権寄りの放送なら不公平でも全然OK」と考えているように思えてならない。

「政府が右と言うことを、左とは言えない」と公言するような者を公共放送のトップに据え、批判的な報道には電波停止までチラつかせる一方、政権にすり寄る放送局には積極的に出演しようとするような安倍政権が長く続いている事を、かつては自民党を支持していた国民の一人として筆者は恥ずかしく思っている。

 ベトナム戦争があった頃のアメリカには、報道の自由が間違いなくあった。それで左翼や共産勢力の息のかかった者まで含めて、多くの記者が最前線に取材に赴いた。
 その結果、戦場の悲惨さだけでなくアメリカ軍の残虐行為まで世界中に報道され、アメリカ内外でアメリカ政府に対する非難が巻き起こった。
 あのベトナム戦争で、アメリカはベトナム軍でなく報道と世論によって負けたようなものであった。
 だからそれに懲りたアメリカは、その後のアメリカが関与した戦争では報道を厳しく規制するようになった。

 報道の自由は、民主主義国家の基本である。
 しかし政権に対する自由な批判は、政権の命取りになりかねない。
 その現実を、安倍政権も理解しているのだろう。
 だが安倍政権の「すり寄るマスコミに対するアメと、批判的なマスコミに対するムチ」は余りにも露骨で、民主主義の原則を踏みにじっている

 2009年から2012年日本の民主党政権は、いろいろな意味で酷かった。
 しかし少なくともあの当時には、政権を「酷い、サイテーだ、なってない!」と好き放題に叩く自由があった
 何しろ自国の首相を鳩ポッポだの、宇宙人だの、空きカンだの、カンカラカンだのと、好き放題に罵れたのだ。
 しかし今はどうだ。
 政権を批判する報道をしただけで、政府に「政治的な公平性を欠く」と睨まれ、電波停止を命じられかねないのだ。それで放送現場に「萎縮するな」と求める方がおかしい。
 だから今では、政府を批判する時にも必ず政府側の言い分も伝えねばならなくなっている。

 明らかに人材不足で政権担当能力も無く、政治は決められない事ばかりでも、バカをバカと非難する自由があった民主党政権と。
 特定秘密保護法でも安保関連法でも、マスコミの批判は許さず政府の政策を強引に押し進める現政権と。
 さて、貴方はどちらの政権の方が日本にとって「よりマシ」と考えるだろうか。

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コメント


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私の場合。

私の場合。

ノータイムで民主党です。

理由はシンプル。

低能と狂人であれば低能を選ぶ。

それだけのことです。

権力は凶器です。刃物です。

1、「狂人(キチガイ)に刃物」
2、「低能(ボンクラ)に刃物」

私は2、を選びます。

ogotch | URL | 2016-05-04(Wed)20:38 [編集]


Re: 私の場合。


> 権力は凶器です。刃物です。
>
> 1、「狂人(キチガイ)に刃物」
> 2、「低能(ボンクラ)に刃物」
>
> 私は2、を選びます。

 全く同感です。
 私も民主党(民進党)を支持しているわけでは無いのですが、現政権と比べると「まだマシ」と思ってしまいます。

 それにしても、現政権は本当に権力を乱用して好き勝手にしているのに、今もまだ国民の支持率が高いのには驚かされます。
「もしかしたら日本人にはマゾが多いのでは?」と疑いたくなってしまいます。

黒沢一樹 | URL | 2016-05-05(Thu)15:03 [編集]


戦時中のアメリカによる日本人分析。

戦時中のアメリカによる日本人分析を
以下の通り、お伝えします。

1、日本人にとって、個人の幸福は問題ではなく苦痛こそ神聖なものである。

2、日本人に道徳的善悪の基準はない。ただ目上の者に従うか従わないかの違いがあるだけである。

3、日本人の教育目的は同じ考え方をする人間の大量生産である。

4、日本人は従順で均質の大衆を作る政治宗教構造を持っている。

これを、どう捉えるかは貴兄にお任せ致します。取り急ぎコメントまで。

ogotch | URL | 2016-05-05(Thu)23:20 [編集]


Re: 戦時中のアメリカによる日本人分析。

> 戦時中のアメリカによる日本人分析を
> 以下の通り、お伝えします。
>
> 1、日本人にとって、個人の幸福は問題ではなく苦痛こそ神聖なものである。
>
> 2、日本人に道徳的善悪の基準はない。ただ目上の者に従うか従わないかの違いがあるだけである。
>
> 3、日本人の教育目的は同じ考え方をする人間の大量生産である。
>
> 4、日本人は従順で均質の大衆を作る政治宗教構造を持っている。
>
> これを、どう捉えるかは貴兄にお任せ致します。取り急ぎコメントまで。

 いや、全くその通りだと思いました。
 日本人は戦時中だけでなく今も国民に痛みを強いる政権を強く支持する傾向がありますし、精神論が大好きですし、「日本人はマゾなのか?」と時々思ってしまいます。

 学校教育でも職場でも、考えずにただ覚えて皆と同じようにする事を強制させられますしねえ……。
 で、自分とか個とかいうものが無く、周囲と同じかどうかを評価の基準にしている人が多いですし。

 そういう意味で、私は「日本人としては異質な変わり者なのだろうな」とよく思います。

黒沢一樹 | URL | 2016-05-12(Thu)15:33 [編集]