空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

介護士や保育士の待遇を改善する費用は本当に無いのか?

 筆者の伯父が先日亡くなった。
 その伯父は腰椎を圧迫骨折して体が不自由になってしまった為、亡くなるまで二年近く施設でお世話になっていた。
 その伯父が入っていた施設の職員の方々は、決して不親切ではなかったが。
 ただその施設でも、職員と言うか介護士の方が離職して頻繁に頻繁に入れ替わっていた。
 そしてその事を、生前の伯父は「せっかく顔馴染みになり親しくなりかけても、すぐに変わってしまう」と残念がっていた。

 体が不自由になった高齢者を世話する施設の介護士が、何故すぐに離職して入れ替わってしまうのか。
 それは皆さんも既にご存知の通り、介護士の給料がかなり安いからである。

 介護士と保育士の給与が平均より大幅に安い事は、広く知られている。
 そしてその理由は、ズバリ「カネが無いから」である。
 高齢化社会が進み福祉関係にかかる費用が増大している現在、国は毎年税収の倍の支出を強いられている。そしてその税収と支出の差を、国債という名の借金で補っている。
 その国の借金は積み重なり、我が国の財政は危機に瀕している。
 だから福祉にかけられるお金も限られていて、介護士や保育士の待遇を改善したくてもそのカネが無いのだと国や地方自治体は言う。

 だがちょっと待って貰いたい。
 国や地方自治体は、本当に「出せるものなら出したいのだが、やむを得ず福祉関係の支出を切り詰めている」のだろうか。

 例えば国は原発やオリンピックには平気で巨額のカネをかけ、そして億単位のカネを無駄にしてドブに捨てるような真似をしている。
 まず原発に関する無駄遣いで言えば、既に一兆二千億円も費やしながら殆ど稼働実績の無い、高速増殖原型炉もんじゅだ。
 そのもんじゅを現行計画のまま運転すると、十年で六千億円もの国費がかかるという。
 そして停止中の今も、維持だけに年に二百億円もかかっている。
 さらにこの役立たずのもんじゅを廃炉にしようとすれば、それにも三千億円かかるのだという。
 もしこのもんじゅを造りさえしなければ、一兆数千億円の国費が浮いた筈である。そしてそのカネを福祉関係に投じていれば、介護士や保育士の待遇も大幅に改善できた筈である。

 そもそも国費とは「お国のカネ」ではなく、「我々国民が出した税金」なのだ。
 その億単位の税金を役立たずのもんじゅなどに遣うくらいなら、介護士や保育士の待遇改善に充てるべきだと思うのが国民感情ではないだろうか。

 もんじゅが国の期待通りに働いていないのは、単なる結果論だろうか。
 巨額の国税を費やしておきながら「想定外の事が起きてうまく行きませんでした、テヘッ」で済む話なのだろうか。
 国の偉い人達や原子力ムラの人達は、無論そうは思っていまい。だから何とか屁理屈をこね回して、もんじゅの意義と必要性を主張し続けるだろうが。
 もんじゅは必要で毎年何百億円もかけるべきと思うか、それよりそのカネを介護士や保育士の待遇改善にかけるべきと思うか、一度国民投票にでもかけてみれば良いと筆者は思っている。

 巨額の税金は、震災の復興を旗印にした東京オリンピックにも投入される。
 例えばリオデジャネイロオリンピックでは費用の徹底的な削減が計られ、一見立派なスタジアムも実は工事用の足場の骨組みにきれいな布の幕を巡らせた仮設のものであったりした。
 スタジアムだけでなく、会場に続く道路もまた仮設で、オリンピックが終わればスタジアムと共に解体されて再利用されるのだという。
 しかし東京オリンピックの競技場は、「レガシーとして残す」為に、何千億円もかけて立派なものが造られるようだ。
「そんなカネを遣うくらいなら、オリンピックなどせずに東北の復興に遣った方が余程も震災復興の為になる」という声があがるのも当然の事と、筆者は考える。

 東京オリンピックと言えば、新国立競技場の計画が一度白紙に戻された。
 その旧計画を撤回する為だけに、デザイン監修設計、施工業者らへの支払いに無駄に費やされる皆の税金は、六十八億六千万円にもなるという。
 うち、建てられることの無かった新国立競技場を設計しただけのザハ・ハディド氏の事務所に支払われる金額は、十三億八千万円である。

 また、リオデジャネイロオリンピックの閉会式で、スーパーマリオに扮した安倍首相のパフォーマンスが行われたが、あの8分間のサプライズにも、十二億円が費やされた。
 そもそもオリンピックは、政治的に利用される事は許されていない
 だからオリンピックの閉会式では、次の開催地の首長にオリンピック旗を引き渡される事になってはいるものの、次の開催国の首脳がパフォーマンスを行う事は極めて稀なのだ。

 安倍首相のあのパフォーマンスは、日本の国威高揚の為になったのだろうか。
 あれで世界中の人達が、「日本って素晴らしい国だね」と思ってくれただろうか。
 少なくとも筆者には、安倍首相がスポットライトを浴びて世界に己をアピールしたいが為に行った、オリンピックの私的な政治利用としか思えない。
 そしてその為に、十二億円もの国費(我々国民の税金)が投じられた。

 安倍首相と言えば、選挙で勝ち政権が安定している為、盛んに諸外国を訪れている。そして行く先々で、億単位のカネを支援してきている。
 筆者はその諸外国に対する支援のカネを全くの無駄とは言わない。
 世界はやはり、カネで動くのが実状だ。
 だから支援しておけば国際的な影響力が強くなり、日本が国連で何か意見を述べた時にも賛成票が期待できる。

 とは言え、その出すカネにも限度がある。
 アフリカやアジアなどの国々すべてを、支援という名のもと買収する事など、無理に決まっているではないか。
 ただでさえ大赤字で危機に瀕している我が国の財政が、それこそパンクしてしまう。
 今、中国がアフリカやアジア諸国に盛んに支援や投資をして影響力を強めている。
 そして安倍政権はそれに対抗する為、せっせとアフリカ諸国などを回って支援と投資を約束している。
 だが考えて貰いたい。
 ただでさえ財政赤字で国民の福祉にかかるカネさえ出し惜しんでいる現状で、中国に張り合って外国を支援するだけのゆとりが、今の我が国にあるとお思いだろうか。
 今の安倍政権の外交は、「家族には着るものや食べるものも我慢させていながら、外では気前良くお金を遣う見栄張りな親父」のように思えてならない。
 同じカネを遣うなら、外国を支援するより困っている日本国内の人に遣って欲しいと思うのは、筆者だけだろうか。

 なるほど、中国が世界で勢力を伸ばし、アフリカやアジア諸国を“買収”して国連で票を多く取るような事になるのは好ましくない。
 しかし今の日本に、日本だけで中国の経済力に立ち向かう力があるだろうか。
 ただでさえ赤字財政なのに無理をして、国内の貧困層を増やすだけでなく財政破綻も早める結果になったら、それこそ中国の思うつぼではないか。

 ちなみに安倍首相は、先日アフリカ諸国に三兆円の投資を約束した。
 しかしそれ以前に中国が六兆円もの投資を約束していた為、安倍首相の投資の約束に反応が薄かったアフリカ首脳も少なからずいたという。
 中国を相手とする支援と投資の競争は、現在の日本の財政を考えれば極めて危険で、かつ見返りも期待するほど大きくないのだ。

 例えばヨーロッパの先進国は、みな中国と張り合って国際的な影響力を伸ばそうとしているだろうか。
 無理に中国と張り合わずとも、国連で強い影響力を持たずとも国民が幸せに暮らしている国はいくらでもあるだろう。

 話を戻すが、介護士や保育士が必要なのに、なぜ定着しないのか。
 それが賃金が平均より安すぎるからだという事は、明々白々だ。
 ではその待遇を改善しろと言うと、国や地方自治体は財政難を理由に「そのカネが無い」と言う。
 嘘だ。
 役立たずのもんじゅには既に一兆円を越すカネを遣ってきたし、今後も毎年何百億ものカネを費やすつもりだ。
 東京オリンピックにも何千億円ものカネを遣うつもりだし、新国立競技場の設計のやり直しだけで何十億円ものカネをドブに捨てたのも、国やオリンピック関係者は「仕方ない」で済ますつもりのようだ。
 リオデジャネイロオリンピック閉会式での、異例で全くする必要もなかった安倍首相の私的なパフォーマンスにも、平気で十二億円も我ら国民の税金を遣っている。
 ちゃんと見直せば、国民の福祉目的に遣えるカネはもっとある筈だ。

 格差社会を容認し福祉はギリギリまで切り詰めて、もんじゅや東京オリンピックや外国支援にはどんどんカネを遣う、「家族に我慢させても、外に見栄を張る強い親父」が威張るままの国でいるか。
 それともまず第一に国民の福祉と暮らしを優先する、「外で見栄を張るより、まず家族の幸せを第一に考える優しいお父さん」的な政権に変えるか。
 どちらの方が国民にとってより良い国家なのか、国民も次の国政選挙までにじっくり考えておくべきだろう。

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