空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

大失恋(7)・昭和の頃は、好きなコの写真一枚撮るのも大変デシタ

 修学旅行の二日目はまず平等院に行き、その後はずっと奈良を回ったのだけれど。ただビヨドウインのオバハンの祟りか、平等院を出た後は一日中ずっと小雨まじりでさ。
 だから今アルバムの写真を見直してみても、奈良公園もあちこちのお寺もみな雨模様だったよ。写っている人もみな傘をさしているか、閉じた傘を持って歩いているか……って感じでね。
 でも「その日ずっと雨でガッカリだった」って印象は、実はあんまり無いんだよね。
 だって黒沢の目は、常にアズサにロックオンされていたから。

 移動中のバスの席は、黒沢が前から四番目の通路側で、アズサは通路を挟んで斜め二つ前でさ。だから喋ったりは出来ないけれど、後ろ姿はいつも視界に入っていたよ。 
 バスガイド? どんな人だったか、殆ど記憶にナイです。若い女の人だったことだけは、それでも微かに覚えているよ。けど美人だったかガッカリだったかと聞かれても、ホント「記憶にアリマセン」としか答えようがなくてさ。
 ちなみに二泊三日の旅の間、移動中にずっと隣の席だったヤツ(もちろん♂)が誰だったかも、記憶の片隅にすら残ってないんだな。

 その修学旅行では、バスや新幹線の席は通路を挟んで左側が男子、そして右側が女子と分けられてたんだよね。だから黒沢の通路を挟んだ隣にも、同じ女子がずっと居た筈なのだけれど、それが誰だったかもサッパリ覚えてないや。
 目も意識もそれくらいアズサに釘付けだったと言うか、当時の黒沢って「好きな女の子以外は、ホントにどーでも良い」ってヤツだったんだよね。
 だからバスを降りてお寺を見て回る時にも、いつもさりげなくアズサのグループの近くにいて、機会を見つけては話しかけていたし。そして「出来れば写真も撮っちゃおうか」なーんて、密かに狙っていたりしてね。
 ハイ、今の時代ならストーカー認定されかねない、端から見れば殆ど不審者みたいな黒沢デシタ。

 でも好きな女のコのことで頭の中はもうお花畑だったから、天気が悪かろうが雨が降ろうが、ちーっとも苦にならなかったよ。悩みの種と言えば、「雨がやんでくれなきゃ、カメラが出せねぇよ」ってことぐらいでさ。
 班の他のヤツらと言えば、「奈良公園の鹿煎餅を、試しに自分で食ってみる」とか「鹿に学帽を被せてみる」とかの、田舎の中坊の男子定番のアホなことばかりして、雨まじりの中でもそれなりに楽しんでいたけれどね。

 写真と言えば、当時と今では状況が全然違っていてね。
 今ではカメラくらいスマホやケータイにも付いてるし、撮ったデータもメディアに入れておけば良いだけだから、写真を撮るのは基本タダなんだよね。
 そーゆーのじゃなく専用のデジカメだって、二万円も出せばかなりイイの(10~20倍ズームで、手ブレ補正や暗部補正その他の機能が盛り沢山で付いてるやつ)が買えるしね。
 黒沢は先日、アマで某有名メーカーのコンデジをポチったけれど、コレが1400万画素でズームは12倍、それに強力な手ブレ補正やアートフィルターその他の便利な機能も付いたスグレモノでさ、それで値段は一万円を切って9980円だったゾ。
 学校の行事などで皆の写真を撮って、何が面倒かと言うと後で撮った写真を焼き増しして配ることだよね。けど今なら写真屋に焼き増しを頼むこともなく、ただ自分のパソでCDに焼いて渡せば良いだけだし、かかる費用だって一人頭50円もかからないし。

 けどね、写真はフィルムで撮るしか無かった黒沢の時代には、話が全然違ったんだよ。
 そもそも黒沢の学生時代には、カメラそのものが貴重品だったんだよ。一眼レフならまず十万円はしたし、シャッターを押すだけのコンパクト・カメラだって三~五万円くらいしたしね。
 そうそう、当時のカメラはデジタルじゃないから、何か撮るにはまずフィルムが必要だったんだよ。
 そしてそのフィルムも高くてさ、一本五百円かそれ以上するのが当たり前だったんだよ。
 その一本のフィルムで何枚撮れるかと言うと、24枚かせいぜい36枚ってとこ。
 そしてまた、撮った写真を見るにはまたおカネがかかるのでアリマス。現像するだけでまた数百円、さらにプリントするにも、一枚あたり三十円くらいかかるんだよね。

「だったら、良く撮れたヤツだけプリントすりゃあいーじゃん」って? いやそれは甘いんだよ、デジカメ世代のキミ。
 中高年世代の人達がさ、フィルムのことを“ネガ”って呼ぶの、聞いたコトないかな。
 フィルムには、大きく分けてネガとポジとモノクロの三種類があって、その中でカラープリントに一番向いているのが“ネガ”ことネガティブ・フィルムってやつなんだけれどね。
 でもこのネガフィルムってやつがなかなかのクセモノで、明暗も色も、まるで逆に写るんだ。

 デジカメしか知らないキミら、試しにオトーサンから古い写真のネガを見せてもらってごらん、きっと驚くよ。明るいところは黒く、暗いところは明るく写ってるし、さらに補色って言って色も実際とは逆に写ってたりするから。 そしてフィルム自体も、オレンジ色に着色されてるし。
 だから写真は撮ったら普通“同時プリント”って言って、現像と併せてとりあえず全部プリントしてみるのがデフォだったんだ。だってそうしてみないことには、何がどう写ってるかわかんないんだから。
 で、そのプリントしてみた写真(←くどいようだけど、一枚三十円ね)が、ブレていたりピンぼけだったり、明る過ぎたり暗過ぎだったりなんて話も、当たり前にある話でね。
 何しろフィルムの時代のカメラには、手ブレ補正もオートホワイトバランスも暗部補正も無かったからね。それにモニターで写り具合を確認することも出来なかったから、どう撮れたかもフィルムを現像に出してみるわからないんだ。
 だから前世紀の「写真=銀塩フィルム」って時代には、正しい露出とピントでブレてない写真を撮るのも一つの技術で、「ただキレイに撮れている」ってだけで褒められたりしちゃってたんだよね。

 ちょっと昔のフィルムの時代に写真を撮るのがどれだけムズカシかったか、今あるキミのデジカメでちょいと試してごらん。

 まず手ブレ補正と暗部補正をオフに。
 ISO感度もオートを解除して、100または400に固定。
 オートホワイトバランスを解除して、太陽光にセット。
 AFも顔優先や追っかけフォーカス等の便利機能をオフにして、中央一点のみに固定。
 露出も評価測光を解除して、中央重点平均測光にセット。
 撮影後のレビューもオフにして、どう撮れたかモニターで確認しない。
 

 以上の条件で、室内外や朝昼晩、いろんな環境で24枚か36枚撮ってみてごらん。さあ、コレでどれだけまともに撮れるかな?
「フィルムのカメラで写真を撮る」って、つまりそういうコトなんだよね。

 さらにその僅か24枚または36枚の写真を撮るのに、フィルムのカメラの時代にはベラボウなおカネがかかったんだ。フィルム代から現像&プリント料までトータルで考えると、まあ24枚撮り一本で二千円弱、36枚撮り一本で二千五百円くらい……ってとこかな。
 だからその時代に「写真を撮る」って、マジで百円玉や五十円玉をバラ撒きながらシャッターを切ってるようなものだったんだよ。
 くどいようだけれど、そこまでして撮った写真の中には、手ブレや露出のミスやピンぼけなど、数々の失敗写真も含まれているのでアリマス。

 そういう時代に写真を撮り続けてきただけにさ、フィルム代や現像料の心配ナシに何百枚でも好きなだけ撮れて、撮った写真もその場で見て撮り直しもできる今のキミらが羨ましくてならないよ。
 ただ「酸っぱいブドウ」の負け惜しみを承知の上で言えば、フィルムは一度に撮れる枚数も少ないし、撮り直しも効かないからこそ、黒沢の世代の写真少年は一枚一枚に精魂を込めて、真剣勝負で撮っていたのだよ。
 写真なんて、今ではスマホでも一部の携帯ゲーム機でも撮れる、ただの画像データに過ぎないけれど。フィルムの時代の“写真”は、おカネとか撮影技術とか現像してプリントする手間とか、いろんなモノを必要とする特別なモノだったんだ。

 今では考えられないだろうけど、黒沢の時代の修学旅行では、「生徒が持って来て良いカメラは、班で一台」って中学が多かったんだよ。
 何しろ当時は、カメラそのものが“貴重品”だったからね。だから盗難だの紛失だの壊されただのってトラブルを防ぐためにも、「貴重品はなるべく持って来させない」って方針でさ。
 何たって、その頃は腕時計でさえ貴重品扱いで、高校生になるまでは学校に付けて行っちゃダメだったのだ。今なら腕時計なんて千円か二千円で充分使えるのが買えるし、極論すれば百円ショップでも買えたりするけど、昔は安いのでも二万円くらいしたからね。
 当然、カメラを学校に持って行くのも普段はアウトで、修学旅行の時のみ「班に一台だけ、特別に許してやろう」ってワケ。

 だからその班の写真係ってのも、学校側のスタンスとしてはあくまでも正式な係ではなくて、「いないなら、いないでも構わない」って感じでさ。だからフィルムもその後の現像料等も、学校で負担してくれるワケではなくて。
 平たく言えば修学旅行の班の写真係って、黒沢の中学ではズバリ「フィルム代も現像料もすべて個人負担の、完全ボランティア」だったんだ。
 でも黒沢はそれを承知の上で、ためらわずに班の写真係を買って出マシタさ。だって写真係になれば、あのアズサの写真を撮れるかも知れないからね。
 もうね、それが「アズサの写真を撮れる唯一のチャンス」と言っても、マジで少しも大袈裟でない……って感じでさ。

 ただ下心イッパイで張り切って班の写真係になったものの、まず頭を抱えたのがフィルムの問題でさ。
 今の中学生って、修学旅行に行ったら写真をどれくらい撮るんだろう。今はスマホやケータイでそのまま撮れば良いだけだし、メモリーカードの限度まで、百枚単位で好きなだけ撮れるよね。
 でも黒沢の時代には、写真を撮るにはまずフィルムを買わなけりゃならなかったからね。そして撮ったら撮ったで、カメラ屋に持って行って現像&プリント(DPEってヤツね)しなきゃいけないし。
 だからフィルムカメラの時代には、写真を撮るにはマジで「まず財布と相談」って感じだったよ。
 で、悩んだあげくに黒沢が選んだのが、36枚撮りのフィルム一本だった。DPE料まで含めた費用を、中坊の乏しい小遣いの中から捻り出すとなると、それが精一杯だったんだよ。

 せっかくの修学旅行で撮るのは36枚だけ……って、今の感覚では少な過ぎるだろうね。でも例の「写真は百円玉や五十円玉をバラ撒きながら撮るようなもの」って感じだった当時には、それくらいが普通だったんだよ。
 実際、他の班のカメラ係の人も、だいたいそんなものだったし。多くても、せいぜい「24枚撮りを二本」とかね。
 今と違って、その頃は写真ってちょっと特別なものだったから、旅行にカメラを持って行っても、名所ごとに勢揃いしてパチリと一枚……って感じでね。だから「一本のフィルムに、春の卒業式や入学式と夏の家族旅行が写ってる」なんてのも、そんなに珍しい話ではなくてさ。
 だからフィルムも普通は24枚撮りで、36枚撮りは特にたくさん撮りたい人(プロとか)が使うもの、って感じだったんだ。

 とは言うものの、「修学旅行にフィルム一本だけ」というのは、その時代でも流石にキビシかったよ。
 いくら36枚撮りでもさ、二泊三日だと一日あたり12枚しか撮れないワケじゃん。しかもカメラを持ち歩ける建前はあくまでも「班の写真係」だから、その少ない枚数から、まず同じ班のヤローどもを撮らなきゃならないワケで。

 ヤローどもってさ、ナゼかやたらに写真に写りたがるんだよね。
 ほら、テレビの生中継なんかで、わざとカメラの前にキタネー面を突き出して飛び跳ねたりするクソガキが居るじゃん。殆どそのノリで「俺を撮れ!」ってウルセーんだよ。
 それだけでなく、行った先で金閣だの清水寺だの奈良公園の鹿だのを撮ったりもするし。だからフィルム代その他の出費は自腹を承知の上で、わざわざ写真係を買って出たものの、本当の目的のアズサを撮るのに使えるのはホントに数枚だけ……ってトコでさ。
 それだけに「何とかして、アズサをバッチリ撮らなきゃ!」って、それはもう必死だったよ。
 この「たった一枚の写真を撮るのにかける気合いと熱意」って、デジカメ世代の今の中高校生たちには、きっとわかんないだろうね。

 繰り返しになるけれど、黒沢の中学の修学旅行の班は、ホテルの部屋割りに合わせた男女別でさ。だから普段は同じ班のアズサとも、修学旅行では違う班で別行動だったんだ。
 でもそこは愛のなせるワザwwwで、黒沢は鬼太郎の妖怪アンテナ並の精度で、アズサのいる場所だけは常にキャッチしていたよ。
 いやマジな話、修学旅行中の行く先々でそれとなくアズサの近くに姿を現す黒沢の行動って、ホント傍から見れば妖怪みたいなモンだったよね。

 実は黒沢は、その修学旅行では一緒に行動するグループの班長だったんだ。
 その班長がアズサのことしか頭になくて、時々“はぐれて”居なくなるものだから、終いには班の皆に責められちまったよ、「班長がナニやってんだよ、オイ!!」って。
 でもそこは蛙の面に何とやら、ってやつデスよ。「だってオレ、班長なんて立候補した覚えないしぃ~、オマエらに押しつけられただけだしぃ~」みたいな感じで、その後も班の皆を放置してはアズサを追いかけ続けてマシタ。
 ハイ、やってるコトを傍から見れば、今ならストーカー&盗撮の犯罪行為だよね。頭は切れるけれど小生意気なムスカ大佐みたいなヤツだった黒沢を、そこまで正気でなくさせてアホにさせちゃうんだから、恋ってホントにコワいよ。

 で、ソコまでして肝心のアズサはちゃんと撮れたか、って?
 黒沢としては不満足だけれど、とりあえずまあ四枚ほど。
 小雨の奈良を傘を手に歩く姿とか、その雨のやみ間に遠くを眺めている所とか。実はその中に一枚、ちゃんと撮らせて貰ったアップの笑顔の写真もあったりするのだ。
「じゃあその写真をup!」って?
 ヤだよ、昔の話とは言え相手のプライバシーにも関わることだし、どの中学の誰だとか、いろいろ特定されても困るし。

 何しろ当時は、ちゃんとした一眼レフなんて持っている人の方が少なくなかったからね。だから他の班の写真係のカメラだって、たいていコンパクト・カメラだったし。
 黒沢が持って行った家のカメラも、コニカのコンパクト・カメラで、頑張っても写りは今のコンデジよりずっとダメでさ。当時はまあ、カラーフィルムの色そのものも悪かったしね。
 ただカメラを片手にいつもアズサを探していたこの三日間で、黒沢は「美少女を撮る」って快感に目覚めてしまったようで。
 それで何を血迷ったか、「そーだ、オレは女のコを撮るプロの写真家になるんだ!」などと本気で決意しちまってさ。そして高校に入ると同時に一眼レフをゲットして、写真に没頭し始めることになるのは、また別のお話でありマス。

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