空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

普天間基地と普天間第二小学校の問題に見る右翼の日本人どもの醜悪さ

 一つ貴方に問おう。
 元々農地だった場所が宅地として売られ、そこに新しい家が建つことが少なくないが。
 元々田んぼだった場所の一角が売られ、そこに民家が建ったとしよう。
 で、周辺の土地を持っている農家さんが、いつものように農薬を田畑に散布した。
 すると新しく家を建てた新住民が、その農家さんに抗議をした。
「洗濯物ばかりでなく家の中まで、農薬だらけになってしまった、どうしてくれる!」
 カチンときた農家さんは、こう言い返した。
「ウチはいつもこうして農薬をやっているのだ、そもそも農地に後から住み着いたくせに、新参者が文句を言うな!」
 さて、新住民と農家さん、貴方はどちらの言い分に理があると思うだろうか。

 感情的には、「周辺が農地だと知りながら、後から住んだ新住民が我慢すべき」と思う人も少なくないだろう。
 だが少なくとも法的には、理は新住民の方にあるのだ。
 昔からの農法や、周辺が農地であることはどうあれ、そこは既に人も住む住宅地にもなっている。
 だから新住民が我慢すべきなのではなく、農家の方が法的な範囲内で農薬の害を民家に及ぼさない努力をしなければならないのが、法というものなのだ。
 例えば農薬を撒く日時について前もって予告をしておくなり、農薬を撒く時には近くの家にかからぬよう風向き等に注意するなりの気配りが、元からの農家の側に求められる。
 農薬という害の前では、「農地と民家と、どちらの方が先にあったのか?」という問題は、全く関係ないのだ。

 それは農薬だけでなく、騒音や振動などの問題でも同じである。
 カラオケやスナックの騒音や、工場の騒音振動なども、「元からあった方が勝ちで、後から住んだ者が我慢すべき」という理屈は成り立たない。
 後から住んだ住民から抗議が出たら、そこが住宅地か商業地か工業地かなどの環境に応じて、騒音や振動や農薬などの迷惑への対策を、元からそこにいた工場やカラオケや農家などがしなければならないというのが、今の日本の法なのである。

 昨年の十二月、宜野湾市立普天間第二小学校の校庭に、隣接する米軍普天間飛行場に離発着するヘリコプターから窓が落下した。
 当時、校庭では60人の児童が体育の授業中で、その7.7キロもの金属の枠付きの窓は、児童から10メートルの場所に落ちてきた。
 国を愛する日本人なら、「日本人の子供に何をする! いつまでも占領軍面しやがって、アメリカ軍め、いい加減にしろ!!」と怒る筈ではないか。

 ところが“愛国者”を自称する、今の日本の右翼どもは違う
 同胞である筈の沖縄の、しかも子供の危険を省みないどころか、被害者である普天間第二小学校に抗議の電話をかけ続けているのだ。
「事故など無い、やらせだ!」
「学校は基地の後から建てたのだから、事故は市教委のせいだ!」
「戦闘機と共に生きる道を選んだくせに、文句を言うな!」
 日本を守って下さるからとアメリカ様には完全服従して黒も白と言い張り、被害者である同胞の沖縄県民を罵る。
 これが日本の今の右翼の正体
である。

 冒頭に書いた、農家と新住民と農薬の問題を思い出してもらいたい。
 仮にそこが元々農地で、新住民は後から住み着いたとしても。
 人がそこに住んでいる以上は、農家は農薬の害が及ばないよう、新住民に配慮しなければならないのが日本の法だ。
 農薬だけでなく騒音も振動も、後から住み着いた者は我慢しろとは、法的には誰も言えないのだ。
 増してや体育の授業中の普天間第二小学校の子供たちの間近に落ちてきたのは、金属枠の付いたヘリの窓である。
 そのような子供の命に関わる危険物が落ちてきても、「学校は基地より後から出来たのだから、我慢シロ!」とは非常識極まりないし、それが同じ日本人の、しかも愛国者の言うことかと聞いて呆れる

 馬鹿でもわかる事と思うが、米軍機がモノを落としても良いのは、米軍基地と米軍に許された訓練地のみである。
 他の沖縄県内も含めた日本国土には、ビス一本落としてはならないのだ。
 それがわからないのは、馬鹿以下である。
 ビス一本と言うと「大袈裟な」と思われるかも知れない。
 では聞くが、上空高くから貴方の頭に加速度の付いた堅く尖ったビスを落とされても、貴方は無傷で平気でいられるか?
 増してや、今回落とされたのは7.7キロもの金属枠付きの窓で、落ちたのは体育の授業中の小学校の校庭である。
 これで米軍に怒るのではなく、抗議した小学校の方に嫌がらせの電話をかけ続けるのが、今の本土の醜い日本人なのである。
 普天間第二小学校の職員はその対応に追われ、目に涙も浮かべているという。

 米軍基地と普天間第二小学校と、たとえどちらが先にあったとしても。
 米軍機が7.7キロもの窓を金属枠ごと落として許されるわけが無いというのは、言うまでもない話
だが。
 ここでとりあえず、沖縄叩きが大好きな今の日本の右翼どもが言う、「基地と小学校と、どちらが先か?」という問題について、事実をもって解説しておこう。
 沖縄と米軍基地に反対する人達を“反日”扱いする右翼どもは、「基地が先にあった」と言うが。
 では聞くが、沖縄は元々基地の島だったのだろうか?
 いや、米軍が沖縄に来たのは1945年からで、沖縄の人々はずっと昔からそこに住んでいたのだ。
 問題の、普天間飛行場のある宜野湾にも。

 例えば戦争前の宜野湾村には約一万四千人もの住民がいて、現在の普天間飛行場がその中心地で、村役場も学校もそこにあったのだ。
 太平洋戦争末期の1945年4月、上陸した米軍は村の住民を収容所に入れて一帯を占拠し、そこに飛行場の建設を始めた
 その後、住民は帰村を許されたが、米軍が占拠した土地(かつて役場や学校のあった中心地)には戻れず、飛行場の周辺に住むしかなかった
 戦後、普天間の人口は増え村から市になったが、普天間飛行場はその市域の四分の1をも占めていた
 だから普天間第二小学校も、空いた土地が無くて飛行場の隣に造るしかなかったのだ。
 馬鹿でもわかる話だと思うが、沖縄の米軍基地は住民が進んで提供したのではなく、米軍が“銃剣とブルドーザー”で強制的に取り上げたものであり、右翼の好きな「どちらが先か?」という話で言えば、住民の方がずっと先にそこに住んでいたのだ。

 また、1950年代(安倍首相の祖父の岸信介が総理だった安保闘争の時代)に本土で反基地運動が高まり、それでアメリカ海兵隊が本土から沖縄に移転した。
 その事もあり、現在でも日本の米軍専用施設の70%が沖縄に集中している
 たった一県に、日本全国の7割もの米軍施設が集まっているのだぞ!
 これを異常だと思わない日本人は、頭がおかしい。
 しかしその頭がおかしい右翼は、「米軍が中国から守ってやっているのに、沖縄は感謝が足りない」とほざいている。

 さらに百田尚樹なる戦前の日本が大好きで特攻を美化したい自称作家が、自民党の若手勉強会などで嘘や脳内の妄想をまき散らしている。
 例の普天間基地と周辺住民の問題についても、その百田尚樹はこう公言し続けている。
「普天間基地は元々、田んぼの中にあった。基地の周りに行けば商売になると、人が住みだした」

 事実は元から住んでいた土地を追い出され、仕方なく飛行場の周辺に住んでいるのに。
 なのにその普天間の住民を「カネが欲しくて基地に群がってきた輩」と貶め、二重に傷つけて恥じないのだ、この百田尚樹という我が日本国の“ベストセラー作家”は
 そして「嘘も百回言えば真実になる」というナチスの言葉の通りに、百田尚樹の言葉を信じる右翼の日本人が数を増やしつつある

 自分の故郷が戦場になったことも無いくせに。
 そして占領軍に追われ、自分の家や土地を取り上げられたことも無いくせに。
 県内の広い土地が今も米軍の土地になっていて、頭上を米軍機が轟音を上げて何度も通過する経験も無いくせに。
 そのくせ米軍の事故に当然の抗議をする沖縄県民を「左翼のプロ市民に煽動された反日の輩」と非難する本土の日本人が少なからず存在することを、筆者は心から恥ずかしいと思う。
 沖縄の歴史も現状も知りもせず、反日と沖縄の人々を叩く輩は決して美しい愛国者などではなく、醜い本土の日本人だと筆者は断言する。

 筆者は思うのだが、緊迫しつつある朝鮮半島での有事に対応する為にも、沖縄の米軍基地の大半を首相のお膝元である山口県に移転したらどうであろうか
 山口県ならば、朝鮮半島の有事にも即応できるだろう。
 基地は沖縄でなければいけないという固定観念を捨て、本土のすべての都道府県で基地の負担は分け合うべきであろう。
 その意味でも、安倍首相は沖縄の米軍基地の山口への移転を率先して押し進めるべきだと、筆者は考える。
 米軍基地はすべて沖縄県内から出さずに、今後も本土への移転は拒否するとしたら、それは本土の日本人のエゴでしかない

 基地は沖縄に押し付け、その負担には知らん顔で、「基地で食ってるくせに」と蔑視し、米軍の事故に抗議すれば「文句を言うな!」といやがらせをする。
 そんな本土の人間の姿に、本土の日本人、特に安倍政権下で増えつつある右翼の“愛国者”の醜さをまざまざと見せつけられる今日この頃だ。

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“ゼークトの組織論”から安倍晋三の総理としての資質を判断する

 ナチスが政権を取る直前のドイツで陸軍統帥部長を務めたクルト・フォン・ハンマーシュタイン=エクヴォルト上級大将が、軍を指揮する将校に関し、次のような言葉を述べた。

 将校には四つのタイプがある。利口、愚鈍、勤勉、怠慢である。多くの将校はそのうち二つを併せ持つ。
 一つは利口で勤勉なタイプで、これは参謀将校にするべきだ。
 次は愚鈍で怠慢なタイプで、これは軍人の9割にあてはまり、ルーチンワークに向いている。
 利口で怠慢なタイプは高級指揮官に向いている。なぜなら確信と決断の際の図太さを持ち合わせているからだ。
 もっとも避けるべきは愚かで勤勉なタイプで、このような者にはいかなる責任ある立場も与えてはならない。


 これは一般には同時期のドイツ軍人であったハンス・フォン・ゼークト将軍の言葉とされ、「ゼークトの組織論」として流布している。
 そしてその中では、「愚鈍で怠慢なタイプ」について「兵卒に向いている」とされたり、「愚かで勤勉なタイプ」について「無能な働き者は処刑するしかない」とされたりしている。

 しかしその言葉を語ったのが誰であれ、言わんとする事はよくわかる。
 有能な者は適材適所で使えば大いに役に立つし、無能でも言われた事だけはこなせる者は害にならないし、それなりに使える。
 だが無能な働き者はなまじ行動力があるだけに、誤った事を進んでやらかして周囲に害を与えるということだ。

 似たような名言は、お隣の韓国の政界にもある。
 筆者も大いに共感したその「政治家の資質」についての言葉も、続いて紹介しよう。

 もっとも良い指導者は、賢くて自分では動かない指導者である。
 次に良いのは賢く、そして自分でやろうとする者で。
 まだマシなのは、馬鹿で自分では動かない者。
 そして最悪なのは、馬鹿で自分で何でもやろうとする者だ。


 何故「賢くて自分でやろうとする者」より、「賢くて自分では動かない者」の方が良い指導者なのか。
 昔と違い、今は指導者がやらねばならない事は数限りなくある。
 だから指導者は、人を使えなければ駄目なのだ。
 自分の能力を過信して何でも自分でやろうとする利口者より、信頼できる有能な者らを選び出し、その者らに仕事を割り振って任せた方が、現代では結果的に上手く行く。

 また、馬鹿でも何もしなければ、少なくともマイナスにはならない。
 歴史的に見ても、殿が馬鹿でも下手な口出しをせずに家臣団に任せていれば、それなりに何とかなる事が少なくない
 日本が先の大戦で悲惨な敗戦を喫したのも、精神論が大好きで戦力や国力の差も冷静に見られない大馬鹿な指導者どもが、無謀な戦争をこちらから仕掛けたからだ。
 安倍首相が「今の日本の繁栄の礎になった昭和殉難者」と称えるA級戦犯どもの親玉である東条英機も、馬鹿のくせに自分で何でもやりたがる最悪の指導者の見本で、首相の他に陸相、内相、商工相、軍需相、そして参謀総長まで兼務していた。

 で、そのゼークトの言葉とされる「無能で勤勉な者は処刑すべき」という言葉は、ネトウヨの多いネットではよく民主党政権のことだと言う者が少なくないが、筆者の考えは少し違う。
 何故なら民主党政権は、「無能で何も出来なかった」のだから。
 政治主導を目指し、能力も経験も無いのに官僚を敵視して有能な者を使いこなせず、結果として何も出来なかった。
 民主党の政府は「馬鹿のくせに自分でやろうとした」のだが、結果的には殆ど何も出来ずに日本をただ停滞させた

 東日本大震災時の、東電の原発事故について民主党政権を「馬鹿が間違った事をどんどんした例」と責めるネトウヨが少なくないが、筆者はそんなネトウヨ達に問いたい。
「では原発推進に大賛成で電力会社とベッタリの関係の自民党なら、民主党以上に良い対応が出来たと言えるのか?」
 もし東日本大震災時に自民党が政権の座にあったら、「津波は想定外の天災」として東電の責任は問わず、原発事故の尻拭いはすべて国民の税金でしたであろうと、筆者は確信している。

 話を戻すが、民主党政権は「馬鹿が自分でやろうとしたが、あまりに無能すぎて結果的に何も出来なかった」のだ。
 それに対し、民主党政権後に誕生した安倍自民党政権は違う。
 官僚の人事権を内閣官房が一手に握り、官僚をすべて言いなりに従わせて。
 そして議会では数の力にものを言わせ、特定秘密保護法や安保法制や共謀罪を次々に成立させた。
 特定秘密保護法で政府に都合の悪い情報は国民から隠せるようにし、安保法制で自衛隊が海外で戦争できるようにし、共謀罪で政権に反対する者はテロ容疑者として捜査して取り締まれるようにした。
 そして戦後の政治を敵視し、刑死したA級戦犯を昭和殉難者と褒め称え、教育勅語も評価し、憲法改正を目指している。
 安倍総理とそのお仲間は、この日本を戦前の大日本帝国のような独裁政治の国に戻そうと現実に社会を動かしている
 だから筆者には民主党政権は「無能で何も出来なかった指導者」で、安倍自民党政権は「誤った道をガンガン突き進んで行く、戦後最悪の最も危険な指導者」に見える。
 韓国の政界で言う、「馬鹿で自分でやろうとする最悪の指導者」そのものだ。

 ちなみに安倍政権を支持する人には、男性が目立って多い。
 女性の間では安倍政権は支持より不支持の方が明らかに多いのだが、男性の半数は国際的にも「右翼のナショナリスト」と呼ばれている安倍政権を支持している。
 その男性たちが安倍政権を支持する理由は、安倍総理の「戦後と現憲法が大嫌いで戦前とA級戦犯が大好きという政治姿勢に共感して」というより、「経済が好調になったから」というものが多い。
 だが今の“好景気”は、異常な低金利と国債の乱発によるものだ。
 このツケは、いつか必ずやって来る。
 いや、既に国民皆の周りにじわじわと忍び寄って来ている。

 この今の低金利のせいで、預貯金による利益は殆ど見込めなくなった。
 それで年金なども含め、国家機関から一個人まで、皆が投機に走るようになった。
 今も銀行に行けば、預金を投資するようやけに勧められる。
 銀行員は預金でなく投資や保険の勧誘のきついノルマを課せられ、中には専門知識の無い一般人にろくなリスクの説明も無く投資を強引に勧める者もいる。
 それ以外にも、預貯金が頼りにならないからと、FXだの、ビットコインだのに金をつぎ込み、財産を溶かしてしまった者も少なからずいる。
 預貯金すら安心して出来ず、少なからぬ素人が投資に走るような世の中は“まとも”ではないと、少なくとも筆者は思う。
 そして素人にまでそうさせているのは、安倍内閣の超低金利政策だ。

 年金や保険の運用は、少なくともプロがやっているのだろうが。
 それでも利益を上げる為に、リスクのある投資もせざるを得なくなっていると聞く。
 その年金や保険の運用が破綻しないと、誰が保証できるのだろうか。
 そして運用に失敗して年金が破綻すれば、結局は税金で補わなければならなくなるのだが。
 さて補うだけの金が、赤字国債を発行し続けている今のこの国にあるのだろうか。

 安倍政権の数字上の支持率は高いが、熱心な支持者はそう多くないと聞く。
 前の民主党政権があまりにだらしなかったので、「他よりはマシだから」という理由で支持している人達が多いらしい。
 筆者は、「他よりマシ」と安倍政権を支持している人達に問いたい。
「アベ政治は、本当に他の政権より“マシ”だと信じているのですか?」

 この今の政権で、貴方の暮らしは民主党政権時代より本当に良くなったのだろうか?
 安倍総理の言うトリクルダウンこと好景気の“おこぼれ”は、貴方のもとにも確かに届いただろうか?


 特定秘密保護法に安保法制に共謀罪と、国民を情報から遠ざけ戦争も可能にしテロリストの容疑をかければ誰でも捜査対象に出来る、日本を戦前に戻す危険な法律を数の力で次々に可決して。
 皆様のNHKの人事に手を突っ込み、国民の金で運営しているNHKの報道姿勢を歪め、アベ様の広報局にしてしまい。
 戦後の日本とその憲法を嫌い、A級戦犯を褒め称えて教育勅語を再評価するような右翼のナショナリストが総理で、その安倍氏の手によって憲法も変えられようとしていて。
 異常な低金利で預貯金はしても殆ど意味が無く、皆が投資に走らざるを得なくなり、しかし儲かっているのは一部の人だけで、多くの庶民にトリクルダウンとやらは今もやって来ていない。
 しかし森友や加計などの“総理のお友達”は得をして、総理に人事を握られている官僚も「公務員は政権にでなく、国民に仕えているのだ」という大原則から目をそらし、総理のご意向を忖度してばかりだ。

 民主党政権の無能ぶりとカオスさも酷かったが、こんなアベ政治よりまだずっとマシと、少なくとも筆者は考えている。

 少なくとも民主党政権は、首相が「カンカラカン」、官房長官が「ブタノ」とまで罵られても、政権に反対する人達を「こんな人達」とあからさまに敵視するような事はしなかった。
 報道でどんなに叩かれても圧力をかけるような真似はせず、表現(と政権批判)の自由は守った。

 民主党だけではない。
 かつての自民党では、政権批判をする記者らに首相(田中角栄氏)がこう言った。
「どんどん批判すると良い、それが君達の仕事だ」

 しかし安倍内閣は違う。
 NHKだけにでなく、民法各局にも政治的な圧力をかけ、政権に近いマスコミの経営者や記者とは頻繁に会食をして、政権に批判的な報道をする者は露骨に差別している。

 皆さんは御存知だろうか。
 安倍政権になって、国際的な日本の報道の自由度がガタ落ちしている事実を。
 多くの国民が今も目の敵にして憎んでいる民主党政権時代には、報道の自由度は世界で11位まで上昇していた。
 しかし安倍政権下で急落し、今は72位で、ハンガリーやネトウヨが大嫌いな中国の支配下にある香港と同じくらいだ。
 ちなみに台湾はもちろん、南アフリカやガーナやボツワナやマダガスカルなどのアフリカ諸国、それに韓国でさえ、報道の自由度では日本より上である。

 国民皆が大嫌いで「もうこりごり!」と思っている民主党政権時代には、少なくともマスコミが「民主党はダメだ!」と叩く自由があった。
 しかし今は、記者たちも忖度しながら報道せざるを得なくなっている。

 政権に批判的なニュースキャースターが、安倍政権下で次々に交代している。
 なのに「民主党政権時代より今の方がずっと暗く嫌な時代だ」と思う筆者は、この日本では少数派であるらしい。
 そしてこのまま、日本は右傾化と独裁と戦争への道を、再び走り始めるのだろう。

 ソ連時代のロシアに、こんな小咄がある。

 悲観主義者と楽観主義者の違いは何か。
 悲観主義者は今の政治に「最悪でどん底だ、もうこれ以上悪くなりようがない」と思う。
 そして楽観主義者はこう思う、「大丈夫、まだまだ悪くなるさ」と。


 民主党政権に失望した日本人の多くは、民主党政権時代を「最低最悪だ、アレより悪い政権など無い」と思い、根拠無く「それよりまだマシだろう」と信じて安倍自民党を支持しているが。
 しかし現実を見ていただきたい。
 何も出来なかった民主党政権時代より、この信じた右方向に突き進む“アベ時代”に、日本の世の中はどんどん悪くなっている
 そして安倍政権が続けばもっと悪い世の中になるだろうと、例の旧ソ連の小咄によれば“楽観主義者”であるらしい筆者は確信している。

 冒頭で紹介したゼークト将軍の言葉とされている組織論や、韓国の指導者論に従えば、民主党政権は無能で何も出来ない下から二番目の指導者で、安倍氏こそ間違った事をどんどん進めて国を破滅に導く最低ランクの「処刑すべき指導者」ではないだろうか。

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明治維新百五十年を、筆者は全く祝えない。

 今年は明治維新百五十年という事で、首相も「明治維新百五十周年を、長州出身のボクちんで迎えられる!」と大はしゃぎである。
 だが大学で歴史を、それも日本史を専攻して学んできた筆者は、明治維新をどうしても肯定的に見ることができない。
「歴史は勝者が作る」というのは史学の常識だが、今の日本の明治維新を肯定し、江戸幕府を「遅れていて封建的」という見方も、江戸幕府を武力で倒した薩摩と長州(以下薩長)中心の歴史観による洗脳であると、明治維新後の日本の歩みもつぶさに学んだ筆者は断言する。
 首相が長州出身だから調子に乗って、今の政府は内閣官房「明治150年」関連施策推進室など作り、明治維新と明治政府を褒め称えるつもりのようだが。
 筆者は「明治維新百五十年の、何がめでたい!」と腹立たしい気持ちでいっぱいだ。

 例えば明治以後の教育で「封建的で遅れていて、政治を担ってきたのは無能な者ばかり」とされてきた江戸幕府は、二百五十年も太平の世を保ってきた。
 ただ国内が平和であっただけでなく、対外的にも穏健で平和的だった。

 織田信長は日本を統一した後は大陸を侵略するつもりでいて、そして信長の跡を継いだ豊臣秀吉は朝鮮を侵略し、明の軍隊とも戦った。
 しかし徳川家康はその侵略戦争には加わらず、天下を取った後には朝鮮に使いを送り、朝鮮人の捕虜を帰すなどの戦後処理をして、朝鮮や明との国交を回復した。
 江戸時代は鎖国をしたと言われているが、幕府は明やオランダとは国交を保ち、世界の情勢も収集していた。
 その上での“鎖国”と二百五十年も続いた平和な時代なのである。

 それに比べて、明治維新後の薩長が作り上げた政府はどうか。
 明治6年には征韓論が出て、翌7年には台湾出兵が実行されるように、薩長の政府は初めから戦争が好きで侵略的な傾向を持っていた
 そもそも長州の“偉人”とされ安倍首相も尊敬している吉田松陰も、生前から富国強兵策をとり朝鮮など大陸を侵略すべきと考えていた
 それでその松陰の教えを受け継いだ長州人が多く加わった明治政府と大日本帝国は、建国してから侵略戦争ばかりしてきた

 例えば司馬遼太郎の『坂の上の雲』で美化されて描かれている、日清戦争と日露戦争だが。
 冷静に考えてみてもらいたい。
 日本が清やロシアの軍隊と戦った戦場は、どこであったか。
 どちらも朝鮮や中国の大陸ではないか。
 日本を侵略してきた敵国と戦ったのではない、日本は植民地を得る為に、大陸に出兵して戦ったのだ。
 そしてその結果、植民地は得たものの戦費がかさみ、日本はアジアの強国となったものの国民は重税に泣かされた。
 特に農村部は貧しいままで、不作になれば娘らは借金のカタに売られた。
 二・二六事件の青年将校の決起には、その現状に対する怒りもあった。
 戦争ばかりして、一部の特権階級は除き多くの国民の暮らしは少しも良くならない。
 それでもさらに日本は侵略を続け、満州事変、日華事変と中国に兵を送り続けた。


 薩長の輩が作り上げた大日本帝国の指導者らは愚かで、「中国などすぐに降伏して言いなりになるだろう」と甘く見ていた。
 しかし中国は降伏せずに、北京や南京を日本軍に占領されても徹底抗戦を続けた。
 それで短期決戦で勝てるとしか考えていなかった日本軍は、中国で泥沼の戦いを続けるはめになった。
 長期戦になるとは思っていなかった日本軍にはろくな補給も無く、現地の日本軍は苦戦し、徴発という名の略奪をして中国の人々にさらに憎まれ、戦死者も増大していった。
 そして国際的にも孤立し、他国から非難されて逆ギレした挙げ句に国際連盟を脱退して、今の北朝鮮のように経済制裁を受けるようになる。
 それで破れかぶれでまた戦争に打って出て、中国でまだ戦っているのにアメリカやイギリスやオランダやオーストラリアにも戦争を仕掛ける始末だ。
 またも「短期決戦で勝てる!」と甘く見て。
 で、国力と物量の圧倒的な差で完敗し、殆どの都市は空襲で丸焼けにされ、原爆も落とされて三百万人以上の国民を死なせたことは、皆も知る通りだ。

 明治政府は憲法や議会も作り、民主的だった。
 そう思う人もいるだろうが、それは誤解だ。
 例えば江戸幕府の最後の将軍の徳川慶喜は、大政奉還した後、すべての大名で議会を作り、その議長に自分がなろうとしていた。
 議員は大名という制約はあるものの、徳川家は曲がりなりにも議会を作ろうとしていた。
 そして薩長の明治政府が議会を作ったのは、明治になり23年も過ぎてからのことである。
 それも政府が自ら進んで作ったのではなく、国民の自由民権運動に押されてやむなく、である。
 しかもその自由民権運動に対し、薩長の政府は安政の大獄など問題にならぬくらい酷い弾圧をした

 薩長が江戸幕府を倒したやり口は、実に陰険で狡猾だった。
 世の中が変われば、政治が変われば、御一新を迎えれば暮らしが良くなると民衆を煽動して幕府に対し一揆を起こさせて。
 ところが明治政府が出来ると、民衆の暮らしは逆に苦しくなった
 何故ならば薩長の明治新政府は、税額を「江戸幕府の時よりも少なくならないように」と設定したからだ。
 だから民衆の暮らしは、新政府が出来ても良くて昔と同じで、江戸時代より苦しくなる事も少なくなかった。
 そもそも明治新政府の考えとは「御国が第一で自分の利権がその次、民衆はどうでも良い」だったからだ。

 当然、明治新政府に対する反感は高まったし、一揆も各地で起きた。
 それに対し、薩長の新政府は警察と軍隊を動員して徹底的に弾圧した。
 もし江戸末期の反幕府勢力の取り締まりと処罰を安政の大獄と言うのなら、明治政府の取り締まりと弾圧を“明治の超大獄”として歴史教科書で教えねばフェアではないと、筆者は常に思っている。
 例えば北海道の少なからぬ道路や鉄道は、自由民権運動をして政治犯として捕らえられた多くの者たちに、ナチのアウシュビッツ顔負けの強制労働をさせて作らせている。
 ただ自由と権利と人並みの暮らしを求めた者達が、薩長の明治政府の手によってどれだけ殺され、酷い目に遭わされたことか。
 しかし戦前の教科書ではもちろん、今の歴史教科書でもその事は殆ど書かれていない。
 安政の大獄の方は、今もなお歴史教科書に残っているにもかかわらず。

 歴史を冷静に眺めると、明治維新は確かに日本を発展させたが初めから一貫して「御国が第一で軍国主義で侵略的」である。
 薩長の政治家やそれに連なる財界人らは良い目を見たものの、多くの国民は貧しく、そして「天皇陛下の為、御国の為」と侵略戦争に駆り出されていった。
 そしてその結果が、あの第二次世界大戦での完敗と多くの国民の死である。

 前にも少し触れたが、江戸幕府も変わろうとしていた。
 もしも大政奉還後の政治を薩長の一部の権力者が牛耳ること無く、徳川慶喜を議長とする大名たちの議会で新政府を作り、江戸幕府が長年続けてきた平和主義を守りつつ、元からそのつもりであった開国を進め文明開化をしたならば、日本にまた別の未来が開けていたのではないかと、筆者は思う。

 安倍政権下で妙に元気になってきた右翼の輩は、常識ではとても考えられないトンデモ理論を正気で振りかざして、戦前の大日本帝国と侵略戦争を正当化する。
 曰く、「第二次世界大戦はABCD包囲陣で日本が経済封鎖されたから、やむなくしたのだ=だから悪いのは経済封鎖したアメリカやイギリスや侵略された中国で、攻撃した日本は悪くナイ」と。
 ならば今経済封鎖されている北朝鮮が日本やアメリカにミサイルを撃ち込んでも、「悪いのは、経済封鎖した日本やアメリカ」という理屈になる筈だ。
 しかし右翼のバカどもは、侵略でも何でも「日本がした事は悪くない」と言い張り、しかもそれを愛国心と信じているのだからタチが悪い。

 そして中には、「あの頃は帝国主義の時代だったから、侵略戦争をしなければ生き残れなかった」と言う人達もいるが。
 では事実を見てみよう。
 日本は帝国主義の強国になろうとして侵略戦争に乗り出し、その結果無惨な負け方をした。
 そして江戸時代の元の領土に戻るどころか、北方四島も竹島も不法占拠され、尖閣諸島にも自由に行き来できなくなっている。
 それでも戦後、植民地も持たず強い軍備もなしにこれだけの復興を遂げた。
 結果論だが、明治政府の富国強兵策も度重なる侵略戦争も、日本の発展の為には元々不要だったのだ。
 わざわざ身の丈に合わない軍拡をして侵略戦争に打って出なくても、日本は今のように発展できた筈なのだ。

 また、安倍首相は刑死したA級戦犯らを「今の日本の繁栄の礎となった昭和殉難者」と称えるが、筆者はそんな首相に「オマエは正気か?」と尋ねたい。
 常識で考えてみよう。
 刑死したA級戦犯どもが、あのただ悲惨なだけでなく愚かで無謀な戦争を引き起こさなければ、今の日本はもっと繁栄していた筈ではないか。
 奴らがあの戦争を起こしたから、日本は原爆を落とされ、地方都市まで丸焼けにされ、三百万以上の有為な国民が命を落としたのだ。
 その災いを招いたA級戦犯どもが、安倍首相の頭の中では「今の日本の繁栄の礎になった殉難者」と聖人並みの扱いになっているのだから不思議だ。
 ただ不思議というより、そんな人間がこの国のトップに立っているという現実は気持ちが悪いし、この国の未来に漂う暗雲を強く感じる。

 安倍首相は長州人でしかもA級戦犯の孫だから、長州と薩摩の権力者が作り、侵略戦争を押し進めた明治政府と明治維新を無条件で賞賛したくなるのだろうが。
 長州人でもなければ、薩長に攻められ酷い目に遭わされた東北人でもない中部地方の人間として歴史を冷静に眺めると、明治維新は「文明開化は進めたものの御国第一の、日本を破滅に追いやりかけた軍国主義で侵略的な政府の誕生」でしかなく、国や政府をあげて祝うべきようなものではないと筆者は断言する。

 日本の近代化は、薩長の新政府だけでなく徳川慶喜を議長にした大名たちの議会政治でも出来たであろうと筆者は考える。
 それは文明開化と西欧化の速度は薩長の新政府より遅かったかも知れないが、太平の世を続けた徳川を中心とする政府なら周辺国とも平和外交をして、薩長のような軍国主義で侵略的な国造りはしなかったであろう。
 明治維新は「皆で祝うべき日本の近代化の始まり」ではなく、「軍国日本の誕生とその果ての悲惨な敗戦への一里塚」としか筆者には思えないが、貴方はどうであろうか。

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人の心を動かすのは感情のみ(冷静で論理的な言葉は無意味)

 我が家の猫は高齢で、腎臓病を抱えている。
 それで筆者は四週に一度、動物病院に薬を貰いに通っているのだが。
 先日、そのかかりつけの動物病院に行ったら、待合室にドーベルマンがいた。
 そして飼い主さんは、ドーベルマンのリードを長めに持っていた。
 そのドーベルマンはすぐに筆者の側に寄って来て、筆者の足などの匂いを嗅ぎ始めた。

 全然怖くなかった。
 そのドーベルマンは少しも緊張も警戒もしておらず、リラックスしていたのが体全体から伝わってきていたから。
 さらに尾を振って、そしてとても優しい目をしていた。
 良い子なのだな、とすぐにわかった。
 そしてヨシヨシと撫で、次に筆者はつい猫好きがやりがちな事をしてしまった。

 親しい猫同士は、鼻をくっつけ合って互いの匂いを確認し合う。
 だから猫と共に暮らして長い筆者は、つい猫を相手にするように、そのドーベルマンの鼻に自分の鼻を近寄せてしまった。
 するとそのドーベルマンも鼻を寄せてきて、筆者と“彼”は顔を寄せ合いしばらく互いの匂いを嗅ぎ合った。
 筆者は初対面のドーベルマンにも、平気でそんな真似をしてしまう人間である。

 筆者は家ではいつも猫を膝に乗せ、寝る時も猫と一緒という大の猫好きだが。
 しかし猫だけでなく、他の動物も好きである。
 だから動物園にも、よく行く。
 そして動物にも、かなり好かれる。

 筆者が小学一年生の頃、通学路に秋田犬がいた。
 小学生の筆者より大きいくらいの犬で、しかも学校から「噛むから、近寄ってはいけません!」とも注意されていた。
 筆者は躊躇わず、その秋田犬に触れた。
 そしてすぐに仲良くなった。

 子供の頃から小柄だった筆者には、学校の給食は少し多すぎた。
 それで筆者はいつも給食のパンを半分残しては、その秋田犬にあげていた。
 それでか筆者は、その「噛む」と言われ恐れられていた秋田犬とさらに仲良しになった。

 その秋田犬に噛まれたこと、実は一度だけあるのだ。
 いつものようにその秋田犬と戯れていた時、筆者は調子に乗ってつい強くギュッと抱き締めてしまった。
 次の瞬間、パクッと噛まれた。

 怖くなかったデスよ、全然。
 噛まれたと言っても殆ど痛くなく、「嫌なことをされたから、たしなめるつもりで噛んだのだな」と、小学一年生の筆者にも本能的にすぐにわかった。
 だから「ごめんね」と秋田犬の頭を撫で、すぐに仲直りをした。

 そんな筆者だから、通学路にいる他の犬達にも好かれた。
 人を見るとさかんに吠えたてる、大きなシェパードとも仲良くなった。
 そのシェパードは、人に激しく吠えるから恐れられていたが。
 実はそのシェパードは人にかまって遊んで欲しくてたまらず、それで人を見ると吠えていたのだ。
 で、吠えるから人は怯えて遠ざかり、だからシェパードはより激しく吠えたて、人からさらに逃げられるという悪循環だったのだ。
 そのシェパードに、小学生の筆者は近寄って行った。
 シェパード君、狂喜乱舞デスよ。
 小柄の小学生の筆者よりも大きいそのシェパードは、筆者の両肩に前足をかけてのしかかり、筆者の顔を舐めまくりで……。

 小学校の低学年の頃から、人から恐れられていた秋田犬やシェパードと平気で戯れてきたような筆者だから。
 初対面のドーベルマンに寄って来られても、怖くも何でもないのだ。

 大型犬でも、怖がらずにその犬が発している空気と感情を読めばいい。
 まず、体は緊張して警戒していないか。
 目つきは険悪ではないか。
 鳴き方も、脅すような唸り声ではないか。
 そのどれでもなく、リラックスした状態で、しかも尾も振っていたりしたら、大型犬でも恐れる必要は全く無い。
 目もとても大事だ。
 睨みつけているのか、キラキラした好意的な目なのかも、怯えずにちゃんと見ればわかる筈だ。

 こんな筆者だから、馬にもたいてい好かれる。
 青森県の尻屋岬に行った時にも、そこにいた野生の馬の方から興味を持たれて寄って来られ、撫でたら喜ばれて、懐かれて甘噛みされた。

 某動物パークに行った時、「噛むから近寄らないで下さい」と張り紙を出された、大きな馬がいた。
 ハイ、躊躇わずに近寄りましたとも。
 手を伸ばしたらその馬は何の警戒もせず、気持ち良く鼻面を撫でさせてくれて、「こんなに大人しくて良い子なのに、どうして危険な馬扱いするのだろう」と、心から思った。
 ところがそれを隣で見ていた当時の筆者の彼女が、同じように手を伸ばしたところ、その馬は一変した。
 ブルヒヒヒィィン! といななき、唇をまくり上げ歯を剥き出して彼女の手を噛もうとしたのだ。
「ムカつく!」と、彼女は大変ご立腹だったけれど、筆者は思わず笑ってしまったね。

 とにかく馬でも犬でも猫でも、筆者は動物にはよく好かれる。
 噛む馬でも猛犬でも、ドンと来いなのだ。
 なのにニンゲンの女性には、いつもフラれてばかりである。

 筆者は女性に縁が無いわけではないのだが、どうも長続きしない。
 それで付き合っては別れ(正確にはフラれ)、付き合っては……の繰り返しで、今もまだ独身のままだ。

 筆者には年子の姉がいて、しかもイトコ達も女ばかりである。
 そして病弱だったせいで「外で思い切り体を動かしたい!」という欲求も無く、保育所に通っていた頃からインドア派で、室内で遊んだり本を読んだりするのが好きだった。
 だから幼い頃の友達と言えば、男子よりずっと女の子の方が多かった。

 筆者は小柄でしかも童顔である為、女性に異性と意識されにくい。
 だから恋愛感情は持たれないものの、学生時代には同級生の女の子とはすぐに友達になれた。
 筆者は幼い頃から女の子に囲まれて育った為、女性に話しかけるのに全然緊張せず普通に接することができる。
 これは大きな武器だった。
 そして通った学校は保育所から大学までずっと共学で、職場にも女性がいた。
 だから筆者には、いつも親しい女の人がいた。
 ただ問題は、女性と友達にはなれてもそれ以上の関係になるのはなかなか難しく、そして恋人同士になれても長続きしない。
 そしてその「女性と付き合えてもフラれてしまう理由」を、最近になってようやく気付いた。

 前にも述べたように、筆者の身近には幼い頃から女の子がいた。
 だから筆者は自分を「女慣れしているし、女の子のことはわかっている」と思い込んでいた。
 しかしそれは大間違いで、筆者は実は女性をまるでわかっていなかったのだ。

 近年になって、よく男脳とか女脳とか言われるようになった。
 そして筆者は子供の頃からずっと女性たちと接して生きてきながら、脳の方は“超”の字が付く程の、完全な男脳だったのだ。
 女性と接して話すことには慣れていて何の抵抗もなくても、発想や感覚や考え方がすべて“男”で、女性の気持ちをまるでわかっていなかった。
 だから仲良くなるのは早くても、すぐにフラれてしまってきたのだった。

 よく「女性は共感脳で、男性は問題解決脳だ」と言われるが、筆者も問題解決脳そのもので、「共感などしても何の意味も無い」と思ってしまう。
 例えば、職場に意地の悪い嫌な上司がいたとする。
 親しい女性からそう相談されたとしたら、筆者ならその上司にどう対処したら良いかを一緒に考える。
 抗議するか、スルーするか、それとも社の労務管理所や公的な機関にパワハラで訴えるか。
 筆者は、問題に対してはどう行動するかが大事だと考えている。
 話を聞いて、ただ「大変だね、辛いね」と共感して同情しても、「嫌な上司がパワハラを繰り返す」という状況は全く変わらない。
 だから“共感”したところで、その人は職場に行けばまた上司に意地悪をされ、身近な恋人や友人に同じ愚痴を繰り返すことになる。
 愚痴を言うことで当人のストレスは解消されるかも知れないが、それは一時的な対症療法だから、ストレスはまたぶり返し、そして周囲の人に同じ悩み事(愚痴)を繰り返す。
 この同じ愚痴を繰り返し聞かされ、同じ話に何度も共感と同情を強要される方としては、たまったものではない。
 ゆえに典型的な男脳の持ち主の筆者としては、「共感なんてクソくらえ、問題に対処してそれを解決することが第一だろ」と考えてしまう。
 そしてその筆者の問題解決脳の発想と思考が、共感脳の女性には「冷たい、気持ちをわかってくれない」と見えてしまうのだ。

 筆者は付き合った女性(複数)に、よく「あたしと猫と、どっちが大事なの!?」と本気で詰め寄られて怒られた。
 親にも、「猫と親と、どっちが大事なんだ」と言われた。
 筆者はどちらも大事にしているつもりだし、彼女や親を粗末にしたつもりはない。
 ただ彼女にしろ親にしろ、人間は言葉を話せるし、気持ちや意志をきちんと伝えられる。
 例えば体の具合が悪い時、人はそれを言葉で伝えることができる。
 しかし動物は言葉でものを言えないから、「どこか具合が悪くないか?」とか「気分はどうか?」とか、人間の方が態度や様子をよく見て判断しなければならない。
 だから一緒に暮らしている動物の様子に細かく気を使うのは当然のことと、筆者は考えるのだが。
 しかし女性はそれに対し、「不公平だ、あたしより動物の方を大事にする!」と腹を立てる。
 実に理不尽だと思うのは、筆者が典型的な男脳で問題解決脳だからだろうか。

 気付いたのは、男と女の脳や感情の違いについて問題にされるようになった最近になってからの事で、筆者にとってはもう手遅れに近い状況なのだが。
 筆者は言葉を喋れない動物に対しては、五感をフルに使って言外の意志や気持ちを感じ取る努力を、子供の頃から本能的にしてきた。
 目の色とか体の緊張具合とかちょっとした素振りなどから、犬や猫や馬などの気持ちをうまく察してきた。
 だから「噛む」と言われる大型犬とも仲良しだったし、今もドーベルマンに寄って来られても平気だ。
 しかし人間に対してはその“察する力”をあえて封じて、言葉の方を重んじてきてしまっていた。
「人間ならば論理的にものを考え、言葉でちゃんと話せ」と。
 そしてそれが「冷たい、気持ちをわかってくれない」と女性の不満を生んでしまっていた。
 ならば女性も下手に人間扱いせず、これまで仲良くしてきた猛犬と同じように「言葉ではなく、態度や目の色などで気持ちを察する」付き合い方をしていれば、交際も長続きして、筆者も今頃は結婚して家庭も持っていたかも知れないと思う今日この頃である。

 筆者はどうも、「人間なら言葉を使い、論理でものを考えるもの」と思い過ぎのようだ。
 残念ながら現実の人間は、論理的な正しさではなく感情で動く
 例えば筆者なら、もし保育園の不足について意見を言うとしたら、数字も挙げて論理的に、そして冷静に話す。
 しかし現実に人の心を動かしたのは、「保育園落ちた、日本死ね!」という暴言に近い感情の爆発だ。

 筆者はアベ政治が心から嫌いだ。
 特定秘密保護法も安保法制も共謀罪もすべて大反対だし、A級戦犯や教育勅語など戦前の日本を美化する姿勢には反吐が出る。
 筆者は小泉純一郎元総理も大嫌いだったが、安倍総理はもっと嫌いだ。
 戦後の総理で最低最悪の総理大臣だと、筆者は安倍氏のことを思っている。
 安倍総理は第一次内閣の時、病気で辞職し退陣したが。
 その時、安倍首相は身近な人に、「このままでは死んでも死にきれない」と言ったという。
 正直に言えば、筆者は「そのまま死んでくれれば、どれほど日本の為に良かったか」と心から思う。
 第二次安倍政権が誕生しなければ、特定秘密保護法や安保法制や共謀罪も今の日本に無かっただろうし、A級戦犯や教育勅語など戦前の日本を賛美する風潮も生まれなかっただろうから。

 しかしこのブログで筆者は、反アベ政治の姿勢は貫きつつ、安倍総理個人に対しては感情を抑え、個人に対する誹謗中傷は避けて、安倍総理の政治のどこがおかしいかを論理的に説明しようと努めてきた。
 私的な場面では、筆者は現首相のことを“アベ公”と呼んでいる。
 そのくらい嫌いで憎んでいるのだ、この国を極右の大日本帝国に戻したがっている、欧米のメディアでもナショナリストと認定されている、あの首相のことを。
 それでも文章にしてブログに書く時には、筆者は安倍総理または安倍首相または安倍氏と書き、暴言や感情論は避け冷静に論理で私見を述べてきた。
 しかし「保育園落ちた、日本死ね!」ではないが、人の心を動かすのは自制した冷静な論理による言葉でなく、「A級戦犯大好きで極右の、アベ公死ね!」というようなヘイトスピーチまがいの感情をそのままぶつけた暴言ではないかと思い始めている、今日この頃である。
 そしてそれが事実だとしたら、とても悲しいことだし、筆者は人間と日本という国に希望が持てなくなってしまう。

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二つの裁判の判決に思う(猫のなぶり殺しと毒親殺し)

 もし貴方が裁判の陪審員になったとして、この日本で実際に起きた次の二つの事件について、貴方ならどんな判決を下すだろうか。

 まずは埼玉県深谷市で起きた、13匹もの猫虐待事件について話そう。
 大矢誠という52歳の元税理士の男が、2016年3月~2017年4月にかけ、13匹の猫に熱湯をかけたり、ガスバーナーであぶったりして、そのうち9匹を死なせた
 残る4匹は怪我をおい、命だけは助かった。
 しかもこの大矢誠という五十代にもなった税理士の男は、虐待の様子を録画し、動画をネットで公開していた。
 裁判によると、この大矢誠は「虐待に楽しみを覚え」、そしてその様子をネットで「公開することが目的化して」虐待と殺害を繰り返していたという。
 この事件について、担当の裁判官も「動物愛護の精神に反する悪質な犯行」と認めている。

 そして次は、2015年に仙台市で起きた、当時19歳の少年による父親殺害事件について話そう。
 この少年の両親は、少年が幼い頃から毎日のように激しい夫婦喧嘩をしていた。
 石油ストーブを投げつける。
 跳び蹴りを喰らわせたりする。

 両親のそんな光景を少年は幼い頃から目の当たりにして、物陰から怯えながら見続けて育った
 さらに少年が中学生の時に母親が家出をして、少年は父と姉との三人暮らしになった。
 すると父親は毎日酒を飲み、夜中に大音量でDVDを再生するようになった。
 そんな暮らしの中で少年は心を病んでしまったのだろう、リストカットを繰り返し、そして自殺未遂で入院するにまで至った
 しかし一方で、東日本大震災の際には、知らないおばあさんの家に水を運んでやったりと、他人を思いやれる優しい心もあった
 だが家庭環境は相変わらずで、事件の数ヶ月前には興奮して父親に馬乗りになり、自分の首に包丁を当てて「殺せ」と迫ったりもした。
 その果てに2015年の12月、父親と口論の挙げ句、父親の胸や背中をナイフで多数回刺し、父親を失血死させた。
 ちなみに少年の姉は少年の更生に協力する姿勢を見せ、被害者(少年の父親)の妻である母親も厳罰を望まなかった。

 で、下された判決だが。
 毎日DVを繰り返してきた酒乱の父親を殺した、精神的に追い詰められた少年は、懲役11年
 そして虐待に楽しみを覚え、熱湯をかけたりガスバーナーで炙るなどして13匹の猫もの猫を虐待した挙げ句に9匹も死なせ、それを動画に投稿もしていた埼玉県の大矢誠(52)の方は、執行猶予付きの懲役1年10月である。
 皆さんはこの判決を、「公平で公正」と思うだろうか?

 筆者の父は、俗に言う「飲まなければ良い人」というやつだった。
 酒さえ飲まなければ優しい良いところもある父だったが、ほぼ毎日大酒を飲み、そして飲めば人に絡み始め、怒鳴り、物を投げて暴れるなどした。
 実際、筆者もまだ保育所に通っていた幼い頃に、酔った父に手加減無しに殴られて空中を飛んだことすらある。
 飲んだら父は、もう誰にも手を付けられない。
 だから筆者は幼い頃からいつ父が酒を飲み始めるかとビクビクして、そして父が飲み始めると、絡まれる前にいつでも逃げ出せるようにしていた。
 深酒の挙げ句に父がまだ五十代の若さで亡くなるまで、筆者は父と酒に怯えながら生きてきた。
 おかげて筆者は、酔って乱れるアル中は今でも大嫌いだ。
 絡んでくる酔っ払いには、生理的な嫌悪と憎悪の感情しか持てない。

 大酒を飲み、酔って絡んで怒鳴って暴れ、家族にDVを働く父親のいる家庭で幼い頃から育ってきた。
 そんな筆者だから、父親を殺したという仙台の少年の苦しさはよくわかる。
 DVを繰り返す酔っ払いの親を、思わず殺してしまいたくなる気持ちは、本当によくわかる。
 そして幼い頃から夫婦喧嘩やDVを見て育った子供は、脳や精神に問題を抱えることは、医学的にも証明されている
 しかし裁判ではDVの影響を認めず、「犯行を正当化するほどの落ち度は被害者になかった」として、少年に懲役11年の判決を下した

 その裁判では、少年が父親を複数回刺して失血死させた事について「犯行は悪質で残忍」とされたが。
 しかしそれは違う。
 実際に刑務所に服役した経験のある作家の安部譲二氏が、『塀の中の懲りない面々』という著書でこんなことを書いている。

 安部譲治氏と同房になった受刑者の中に、妻を殺した受刑者がいた。
 その受刑者は善良で妻に尽くし過ぎてしまい、挙げ句に妻に浮気をされ、そして逆上して妻を殺してしまったのである。
 しかも、二人も。
 その受刑者は最初の妻を殺し服役して出所した後に再婚したのだが、その妻にも裏切られ浮気をされてまた殺してしまったのだという。
 ただ違うのは、その妻の殺し方だった。
 最初の浮気妻は、滅多刺しにして殺して。
 そして二度目の浮気妻は、たったひと刺しで殺した。

 裁判では、どちらも尽くしたのに浮気されたという点で情状酌量された。
 しかし最初の滅多刺しにした方は「殺し方が残虐」とされ、そちらの殺人の方が、二度目の時より判決が重かった。
 しかし安部譲二氏が当人から聞いた話では、最初の殺人については「ただカッとして、無我夢中で滅多刺しにしてしまった」のであって、明確な殺意は無かったという。
 そして二度目の浮気妻については、初めから殺すつもりでいて、だからグサリとひと刺しで殺したのだそうだ。
 それを裁判官たちは全く理解していないと、安部譲二氏は著書の中で書いていた。

 おそらく例の仙台の少年もその妻殺しの受刑者と同じで、カッとして無我夢中で刺してしまったのだろう。
 想像してみてもらいたい。
 ほんの幼い頃から、暴れる父親を見てそのDVにさらされながら育ったら、“父親”という存在がどんなに恐ろしく思えるか。
 筆者にとっても酔って絡んで怒鳴って暴れる父親は、筆者が成長し体格はあまり変わらなくなった後も変わらず恐ろしい存在だった。
 トラウマ、というやつなのだろう。
 だから仙台の少年にとっても、幼い頃から暴言や暴力を目前で見せられてきた父親は、犯行時にも恐ろしい存在だったに違いないと、筆者にはわかる。
 倒さなければ、自分が殺される。
 そう思い、恐怖に怯えて無我夢中で滅多刺しにしたのだ。
 それが良い両親と良い家庭に恵まれて育った高学歴の裁判官には、まるで理解できない。

 筆者は現在猫と共に暮らしているが、動物は基本的に好きだし、動物にも好かれやすい。
 猫だけでなく、犬(猛犬を含む)や馬(野生馬や暴れ馬も含む)にも、たいてい好かれる。
 だからわかるのだが、動物にも感情は間違いなくある!
 嬉しいとか悲しいとか怒りとか、動物も人間とほぼ同じ感情を持っているのだ。
 違いはただ、その感情を言葉に出来ないだけだ。
 いや、慣れてくれば共に暮らす猫がただ「ニャア」と鳴くのを聞いただけでも、「お腹がすいた」とか、「朝だよ、起きて!」とか、「ドアを開けて!」とか、「遊んで」とか、「かまって」とか、何か意図があって話しかけてきたのだとわかるようになる。
 それだけに、その猫たちに熱湯をかけ、あるいはガスバーナーで炙るなどして楽しんで殺す人間に対しては、心からの憎悪を覚える。
 個人的には、その埼玉県深谷市の猫殺しの大矢誠(52)など、「判決は火炙りでOK」と思ってしまう。
 もし筆者が江戸時代の将軍さまや戦国大名なら、間違いなくそうする。

 猫好きの筆者の個人的な感情論は、取り敢えず脇に置いておいて。
 皆さんに、冷静に考えてみてもらいたい。
 幼い頃から親の激しいDVを連日のように見て怯えながら育ち、リストカットや自殺未遂を起こすまで追い詰められた仙台の少年が、そのトラウマの元凶である父親を殺した事件は、姉や母が厳罰より更生を望んでいても情状酌量が認められずに、判決は懲役11年で。
 その一方、虐待を楽しみ多くの猫を残虐な方法で殺していた、精神病質者とも言える危険な埼玉県の大矢誠は、執行猶予で今では野放しになっている。

 動物虐待は残虐な猟奇殺人につながるというのは、犯罪や医学の定説であるにもかかわらず。
 これが公平公正な法と言えるだろうか。

 つまり近年ではようやく動物愛護の精神も法に盛り込まれかけてはいるものの、実態はまだまだ動物はモノ扱いに近い、という事だろう。
 だから猫虐待の大矢誠も、裁判官にとっては「チョーシこいてモノを壊しちゃいました、テヘッ」という軽犯罪者と大して変わらない存在だったのではないか。
 でなければ多くの猫を虐待し、熱湯をかけガスバーナーで炙るような方法で9匹も殺し、さらにその動画をネットで公開するような猟奇で精神的にヤバい危険人物が執行猶予刑で世間に野放しとか、とても考えられない。

 筆者は多くの動物に接してきたからわかるが、猫だけでなく犬や馬にも悪意はない。
 捕食性の肉食動物は、腹が減れば本能に従って獲物を狩るが、ただそれだけである。
 その動物を楽しみの為に何匹も殺しても、そのサイコ野郎は執行猶予で世間に野放しで。
 しかし激しいDVで家族を追い詰める毒親を殺せば、殺したのが少年であっても判決は懲役11年である。
 人の命は、たとえそれがどんな酷い人間であろうとも、多くの動物たちの命よりもはるかに重くて大切だ。
 これが日本の現在の法である。
 どこか変だと、貴方はお思いにならないだろうか。

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安倍寛という政治家を知っていますか?(安倍晋三のもう一人の祖父)

 人は皆、祖父母が二人ずついる。
 その父方と母方の祖父母のうち、貴方はお祖父さんあるいはお祖母さんと言われた時、二人ずついる祖父母のうち、まずどちらの方を頭に思い描くだろうか。
 どちらも同じように好きで尊敬しているだろうか。

 日本の政治家に、安倍寛という人物がいる。
 その名前を知る人は、そう多くはなかろう。
 しかし佐幕派で薩長ギライの筆者にすら尊敬の念を抱かせてしまう、長州出身のとても立派な政治家だ。

 その安倍寛は東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、東京で会社を経営した後に「金権腐敗打破」を叫んで1928年(昭和3年)の総選挙に立憲政友会公認で立候補するも落選する。
 その後、1933年(昭和8年)に日置村村長に就任し、山口県議会議員兼務などを経て、1937年(昭和12年)の総選挙にて無所属で立候補し、衆議院議員に初当選した。

 国会議員になった安倍寛氏の偉いところは、日本が軍国主義一色になり、日中戦争が始まった後も非戦・平和主義の立場を貫いたことだ。
 1938年(昭和13年)に軍部の独走で、日本軍は南京を攻略した。
 近衛文麿内閣はそれを追認し、「中国国民政府を相手にせず」との声明を出し、中国との和平工作の打ち切りを通告した。
 日中戦争における日本軍の勝利の報道に国内が沸く中、安倍寛はその近衛声明に反対した。

 しかし日本の軍国主義化はさらに強まり、第二次近衛内閣は大政翼賛会を結成する。
 それにより各政党は解党されて大政翼賛会に吸収され、その総裁には首相が、各道府県の支部長には知事が就任し、政府に異を唱える政治活動は実質的に禁じられたに等しい状態になった。
 だが安倍寛は太平洋戦争が始まった後の1942年(昭和17年)の翼賛選挙にも、大政翼賛会の推薦を受けずに無所属として立候補した。そして東條英機ら軍部を批判し、官憲の妨害を受けつつ2期連続当選を果たした。
 さらに議員在職中には、三木武夫らと東条内閣に退陣要求を突きつけ、戦争反対、戦争終結を訴えた。
 殆ど全国民が「鬼畜米英! 欲シガリマセン、勝ツマデハ!」と叫んで戦争をしていたあの時代に、東條ら軍部を批判し反戦を訴えた政治家が、この日本にいたのだ。
 その事を知って、筆者は爽やかな感動を覚えた。

 安倍寛は戦後すぐ日本進歩党に加入し、1946年(昭和21年)4月の総選挙に向けて準備をしていた。
 しかしその直前に、惜しくも51歳の若さで心臓麻痺で急死してしまった。
 誰あろうこの安倍寛こそ、現首相安倍晋三の直系の祖父である。

「安倍首相の祖父は誰?」と問うと、殆どの人は「岸信介だろ」と答えるだろう。
 しかし安倍首相の祖父にはもう一人、こんな立派な方もいたのだ。
 ただ残念ながら、安倍首相が生まれたのは安倍寛が没して8年も経ってからのことである。

 その安倍寛が亡くなった時、長男の安倍晋太郎はまだ東京大学法学部の学生であった。
 これではまだ父の跡を継ぐことは出来ず、晋太郎は1949年(昭和24年)に卒業した後も政界には入らず毎日新聞社に入社する。
 1951年(昭和26年)に岸信介の長女の洋子と結婚し、1954年(昭和28年)に現在の首相となる晋三が生まれて。
 そして1956年(昭和31年)、岸が石橋湛山内閣の外相として入閣したのを機に晋太郎は毎日新聞を退職し、外務大臣秘書官となって岸に仕えた。
 さらに岸内閣が成立すると、晋太郎は内閣総理大臣秘書官に就任した。

 その晋太郎は、外相秘書官になった頃から総選挙への出馬を考えていた。
 しかし岸もその実弟の佐藤栄作も、時期尚早とそれに反対した。
 だが晋太郎は「岸に迷惑がかかるなら、妻を離縁してでも」との意欲をもって1958年(昭和33年)の衆議院議員総選挙に臨み、自民党公認も得て出馬し初当選した。
 晋太郎が国会議員になれたのは、父、安倍寛の没後12年も過ぎてからのことであった。

 義父が岸信介であった関係もあり、安倍晋太郎は自民党内では岸の系列の派閥に属していた。
 しかし晋太郎自身は思想的に右寄りというわけではなく、韓国やソ連とも強いパイプを持っていた。
 そしてこうも言っていたという。
自分は岸信介の婿ではない、安倍寛の息子だ
 だが政治姿勢を見ると、その子である晋三は直系の祖父安倍寛のことなどまるで忘れ去り、「ボクちんのお祖父ちゃまは、大好きな岸信介サマだけだい!」と思っているようにしか見えない。

 筆者の祖父は、父方も母方も共に無名の市井の人であるが。
 筆者の父方の祖父は、自営の商売人だった。
 そしてその祖父は晩年まで仕事が忙しかった上、筆者の姉の方はそれなりに可愛がったが、筆者に対し好意を示すことは無かった。
 だから筆者は父方の祖父に親しみは持てなかったし、その父方の祖父が亡くなった時も、さほど悲しいとも思えなかった。
 と言うより、父方の親類はみな筆者の姉だけ可愛がり、筆者には冷淡だった。
 おかげで筆者は、今も父方の親類たちを好きになれずにいる。
 それに対し筆者の母方の親類は、筆者の姉と筆者を差別して扱うようなことはしなかった。
 だから筆者は、母方の親戚には親しみの気持ちを抱いている。

 筆者の母方の祖父は、母がまだ小学生の頃に急病死してしまった。
 だから筆者は、母方の祖父には会ったこともない。
 だが母や母のきょうだい達から、母方の祖父がどれだけ優しい人であったかを、よく聞かされて知っている。
 それで筆者は、「何度か会っても冷淡だった父方の祖父」より、「会ったことは無いが、優しかった逸話をいろいろ聞かされている母方の祖父」の方に親しみと尊敬の念を抱いている。

 安倍家の場合、現首相の晋三は祖父母は母方の岸家の人間しか知らない。
 と言うのは、安倍家の祖父の安倍寛が晋三の生まれる8年前に亡くなっていただけでなく、父方の祖母である静子とは音信不通になっていたからだ。
 安倍寛は、息子の晋太郎が生まれた80日後に、妻の静子と離婚した。
 そして静子は、他の男性と再婚した。
 晋太郎は山口中学校(現山口県立山口高等学校)に進学した後に上京し、母と会おうとしたが、それは出来なかったという。

 今ではイクメンも増えているものの、子育ては母親がしていることが多い。
 そして「子供を預ける」とか「子供を連れて遊びに行く」としたら、母親としては舅や姑のいる夫側の家より、実の親のいる自分の実家の方を選びたくなるのが人情というものだろう。
 さらに安倍家の場合、晋三が生まれた時点で既に父方の祖父の寛は亡く、父方の祖母にあたる静子とは音信不通だ。
 だから安倍晋太郎の妻洋子は、誰に遠慮もなく息子の晋三を岸家に連れて行けたわけだ。
 岸信介の長女洋子にとって、晋太郎に嫁いだ時から気を使う必要のある舅も姑もなく。
 そして晋三にとっては、祖父母は“岸家のお祖父ちゃんとお祖母ちゃん”しか存在しなかった。
 それで「自分は岸信介の婿ではない、安倍寛の息子だ」と言った晋太郎の息子の晋三は、「安倍寛ではなく、岸信介の孫」として育った

 だから現首相の晋三は安倍家の人間でありながら、日本が戦争に流された時代にも信念を貫き、東條内閣に反対し反戦平和を訴え続けた安倍寛とは真逆の道を歩んで
 そして安倍寛とは対極の存在の、日本の侵略戦争に加担して満州経済の軍事化を指導し、東條内閣で商工大臣も務めたあげくに戦後はA級戦犯容疑で逮捕もされた改憲主義者の岸信介の遺志を継ぐことばかり考えて政治を動かしているのだ。
 晋三はまさに、「安倍寛ではなく、岸信介の孫」なのである。

 考えてみれば、母親に比べて父親は、自分の親たちのことを子供らにあまり語らないような気がする。
 筆者も筆者の母から、母方の両親の話はよく聞いている。
 しかし父からは、父方の両親の話は殆ど聞いた記憶がない。

 筆者は、会っても冷淡だった父方の祖父に、今も親しみを感じられないでいる。
 だから自分が生まれる前に亡くなってしまっていて会ったことも無く、しかも親からろくに話も聞かされていない父方の祖父のことなど、全く身近に感じられないのだろう。
 それを考えれば、安倍晋三が安倍寛ではなく岸信介に愛着を示し、岸信介と同じA級戦犯を「今の日本の発展の礎となった昭和殉難者」と称える理由も、岸信介が願っていて出来なかった憲法改正をゴリ押ししたくなる心情も頷ける。
 晋三は姓だけ安倍だが安倍寛の孫ではなく、中身は“岸晋三”とでも呼ぶべき政治家なのだ。

 戦時中に大政翼賛会に属さず国会議員に立候補して反戦を訴えた安倍寛のような政治家は、官憲から酷い弾圧を受けた筈だ。
 そして岸信介は、その弾圧を加えた側の人間だ。
 にもかかわらず安倍寛の方でなく、岸信介の方に強い共感と愛着を示し「A級戦犯は何も悪くない殉難者で、現憲法は“押しつけ”だから絶対改正!」と正気で公言できる安倍晋三を見ていると、親の教育の影響力の強さと恐ろしさをつくづく思い知らされる。

 安倍家の祖父母は既に亡くなっているか、離婚と再婚を経て会えない状態で。
 そして幼い晋三クンの祖父母と言えば、岸信介とその妻しかいない状態で。
 さらに母の洋子に連れられ里帰りした先で「優しいお祖父ちゃん」の姿を見て育てば、晋三クンも岸信介が大好きにもなるだろう。
 父の仕事が忙しければ、子育てはますます母親任せになり、その息子は母方の実家の色と思想に強く染まってゆく。
 だからこそ安倍晋太郎は、政界を目指す息子にもう一人の祖父安倍寛の話を、意識してきちんとしておくべきだった。

 岸信介は義父である上に、晋太郎の政界入りに手を貸してくれた人間だ。
 その二重の義理を考えれば、義理もあって言いにくい部分も多々あるだろうが。
 しかし安倍晋太郎は、安倍寛の生き様や、戦時中にいかに苦労して信念を貫き、反戦平和を訴えてきたかを、よく知っている筈だ。
「自分は岸信介の婿ではない、安倍寛の息子だ」と言った晋太郎なら、息子が岸信介に洗脳させるままに放置しておかず、安倍寛の教えもしっかり伝えるべきではなかったか。

 もしも安倍寛が、九十になるまで生きた岸信介くらい長生きしたならば。
 そして晋太郎が岸信介の婿になり世話になることもなく政界入りし、晋三も安倍寛の教えを受けて政治家になっていたとしたら。
 戦時中にも東條内閣に反対して反戦を貫いた安倍寛の孫として、世の中が右傾化しても反戦平和を強く訴えて折れない“リベラルな安倍晋三”が、今この世に存在していたかも知れない。
 そう考えると、親の影響と教育の力は本当に怖いものだと実感する。
 安倍寛の離婚と早世、安倍晋太郎の岸信介への遠慮、晋太郎の妻となった岸信介の長女洋子の教育、そして岸信介による刷り込みが今の“ナショナリスト安倍晋三”を造り上げたのだ。

 今のこの日本で、日本を滅亡の瀬戸際に追い込み多くの有為な人を死なせたA級戦犯どもを「日本の発展の礎になった昭和殉難者」と称え、憲法改正を強行したい“A級戦犯岸信介”の怨念の蘇りのような安倍晋三内閣の支持率が五割を占めている現実を承知の上で、あえて言うが。
 安倍晋三には岸信介の孫ではなく、安倍寛の孫であって欲しかったと筆者は心から思う。

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日本人の「どうせやるなら」病の恐ろしさ

 ドキュメンタリー映画監督の三上智恵氏とライター武田砂鉄氏が、新聞の対談でこう語っていた。
 日本でオリンピックのような国家プロジェクトを実現するのは、賛成派でも反対派でもなく、「どうせやるなら派」だ、と。
 招致プロセスも怪しいし、金もかかるから反対だと最初は思っていた。しかしいざ実現が近付いてしまうと、「反対しても無駄だから、受け入れて盛り上げた方がいい」と空気が変わってしまう。
 筆者もその国家などの大きなプロジェクトを実現させてしまうのは「どうせやるなら派」だという現実を、肌で感じている。

 筆者が現在住んでいる静岡県には、静岡空港がある。
 静岡県は東京にも名古屋にも近く、しかも新幹線も東名高速道路もあり、羽田空港やセントレア空港へのアクセスも良い。
 そんな静岡県に空港など作っても利用者は少なく大赤字になるであろう事は、考えなくても馬鹿でもわかる
 しかし我が静岡県は、それでも県内に空港を作った。

 計画した当時の前知事が、大の飛行機好きで空港を作りたくてたまらず。
 そして空港建設でカネを儲けたい業者らが、その動きを後押しした。
「飛行機に乗りたければ、羽田かセントレアに行く。わざわざ多額の県の税金を投じて空港など作ることはない」
 そう思う県民の多くが、空港の建設に反対した。
 しかし県政は、空港建設を押し進めた。
 そしてそれに反対する政治勢力は、共産党くらいのものだった。

 元々業界寄りである自民党が、空港建設に積極的なのは当然のこととも言えるが。
 野党第一党であった当時の民主党まで、多くの県民の意志に反して空港建設に賛成した。
 何故なら民主党の支持基盤は労働組合で、その労働組合も「空港建設の仕事でお金が入るなら」と、建設賛成に回ったのである。


 その民主党にも、空港建設に反対する県内選出の国会議員が一人いた。
 しかしその国会議員は空港建設を仕事にしたい労働組合の意向と、それを受け入れた民主党県連により、次の選挙で落選させられてしまった。
 それで政治的には「反対するのは共産党と市民運動家だけ」という情勢の中で、多くの県民の同意を得ぬまま空港建設が押し進められていった。

 空港建設についての当時の静岡県知事の手法は、本当に悪辣だった。
 県知事選に、空港建設反対の候補者が立って。
 だから当時の県知事は「空港建設の是非は、県民の意志に従う」と約束し、空港の問題を知事選の争点から外した。
 それで県民は「空港建設は、県民の投票で是非が決められるのか」と思い、主張が空港建設反対の新人候補より、政治的な経験が豊富な知事の続投を選んだ。
 で、その知事が再選されると、県議会は与党と民主党で一致して、空港建設の是非を住民投票で決めることに反対する議決をした。
 もしその是非を住民投票にかけたら、空港建設は拒絶されると誰にもわかっていたから。
 そして知事は選挙の際の公約を反故にして、「議会の意志に従う」と言い、元からの念願の静岡空港建設を強行した。

 静岡空港を作るにしても、少なくとも政令都市である静岡市の市街地の近くに作るなら、利用者もそれなりに見込めただろうが。
 しかし県庁所在地の市街地の近辺に、空港を建設するだけの広い土地を確保するなど、出来る筈もなかった。
 都市部にそれだけの土地を買収するには、想像を絶する費用と手間と時間がかかる。
 だから静岡空港は、静岡市などの市街地から遠く離れたアクセスの良くない不便な田舎に作られることになった。

 ただその静岡空港の予定地は、新幹線の路線の近くだった。
 そして県と空港建設推進派は、「JRに新幹線の新駅を作ってもらうから、アクセスは大丈夫」と強弁した。
 しかし我が静岡県には、東から熱海・三島・富士・静岡・掛川・浜松と、既に県内に六つも新幹線の駅があった。
 だからJRは「駅と駅の間が近くなり過ぎる」と、静岡空港の為の駅を新たに作ることを断固拒否した。

 鉄道に詳しい方なら、おわかりであろうが。
 新幹線は高速だが、速度を最高まで上げるにはかなりの距離を必要とする。
 そして静岡空港の建設予定地は、掛川駅に近過ぎた。
 だからどうしてもJRに新幹線の静岡空港駅を作って欲しいなら、最寄りの掛川駅を潰すくらいの覚悟が必要だった。
 しかし既にある新幹線の駅を「空港の為に廃止する」などと言ったら、掛川市とその周辺の十数万かそれ以上の県民が大反対するのは目に見えていた。
 だから県と空港建設推進派は、「空港を作ってしまえば、いずれJRも折れてくれるだろう」という甘く都合の良い見通しのまま、「新幹線の新駅を作ってもらうから」と言い張って、アクセスの悪い不便な田舎での空港建設を強行した。
 しかし私企業であるJRの判断はシビアで、県がどう懇願しようが、現実に空港を作ってしまおうが、新幹線の新駅は頑として作らなかった。
 そして静岡空港は、バスとタクシーと自家用車でしか行けない、都市部から離れた不便な田舎に今も存在している。

 甘く都合の良い見通しと言えば、県と空港建設推進派の空港利用者数の見込みも酷かった。
 空港は「作ってしまえば、それで終わり」というものではなく、維持費もかかる。
 だから利用者が少なければ、空港はそこにあるだけで毎年赤字を生み続けることになる。
 そしてその赤字は、県民の税金から補われることになる。

 前にも言った通り、静岡県は羽田空港にもセントレア空港にも近いし、アクセスも良い。
 そして県の人口は、三百数十万だ。
 にもかかわらず県は、静岡空港の利用者数を「毎年、百数十万人」と見込み、「採算は取れ、赤字にならない」と言い張った。
 専門家も「あり得ない」と明言したし、静岡県民の多くがその数字を信じなかった。
 それでも県と空港建設推進派は、初めから黒字が出る数字を前提とした、素人目にもあり得ないとわかる過大な空港利用者数の見込みを強弁し続けた

 で、静岡空港は静岡市や浜松市から離れたアクセスの悪い田舎に作られたのだが。
 いくらそんな田舎とはいえ、そこには長年農業を営んできた農家もいた。
 そして自然に満ちた環境ゆえ、オオタカの営巣地もあった。
 しかし空港建設を決めると、県は反対する農家の土地を権力で強制収容し、オオタカの巣のある森も切り払い、何千億もの県民の金を投じて空港建設を強行した

 静岡県と言えば、東海大震災が間違いなく来る土地である。
 そして空港建設にあてられた金は、本来はその対策にあてられる金であった。
 しかし県は大震災に備えて県民の命を守るより、一部の業者を潤す為に赤字必至の無駄な空港を建設することを選んだ

 そして「新幹線に空港新駅も作ってもらうし、毎年百数十万人が利用する」と嘘を並べ立て、農民の土地を強制収容し、オオタカの営巣地を破壊してまで建設した、静岡空港だが。
 実際には年間の利用者数は七十万人ちょっとで、空港の維持に毎年十数億円以上の赤字を出し続けている
 その七十万人という空港利用者も、殆どが中国人などの外国人だ。
 中国人などの外国人観光客には、田舎の空港に降りたらそのままバスで三保の松原(世界遺産www)に行き、富士山を見て東京に行くのに都合が良いらしい。
 しかしその空港を建設・維持する費用を税金から出した静岡県民の大半は、静岡空港など利用していないし、その恩恵にもよくしていない。
 事実、筆者の周囲の県民たちも、飛行機を利用する時にはみな新幹線で東京に行き、羽田や成田を利用している。
 その方が余程も便数が多くアクセスも良くて便利だからだ。

 そんな最初から「馬鹿げている」とわかっている空港を作る為に県民は何千億もの金を出さされ、そして維持する為に今も毎年十数億もの金を出さされている
 それでも県は、「観光収入や雇用などの波及効果があるから、決して赤字ではない」と言い張り続けている。
 そして大部分の県民にとって使い勝手の悪い、何の為にもなっていない静岡空港を、一部の業者と付近住民の為だけに今も大金を投じて維持し続けている。

 そのごく一部の県民の為だけにしかなっていない空港を維持する為に投じている、毎年十数億もの税金があれば。
 毎年県のどこかに、病院やら福祉施設や学校やら、もっと県民の役立つものが作れただろうに
と思うのは、筆者だけだろうか。
 しかし多くの静岡県民は、その大金を投じて作られ今も赤字を生み続けている静岡空港に対し、もう腹を立ててはいない
 空港の建設が現実に始まるまでは、大半の県民が空港建設に反対だった。
 ところが今はむしろ、県民の多くが静岡空港を消極的ながら応援している。
「どうせ巨額の金を使って作ってしまったのだから、なるべく赤字を減らして有効利用した方がいい」と、多くの県民が考えているようだ。

 県と空港建設推進派は、初めから「空港建設ありき」で嘘の数字と都合の良いデータを並べ立て、土地の強制収容までして空港建設を強行した。
 そしてその空港が出来た後は、案の定、毎年赤字の垂れ流し続きだ。
 なのに県民は怒らない。
 その静岡県民の心情が、筆者にはまるで理解できなかった。

 その謎が、冒頭で紹介したドキュメンタリー映画監督の三上智恵氏とライター武田砂鉄氏の対談記事を読んで、ようやく氷解した。
 日本で大きなプロジェクトを実現するのは賛成派でも反対派でもなく「どうせやるなら派」だ、という話だ。
 プロセスも怪しいし、金もかかるから反対だと最初は思っていた。しかしいざ建設が始まってしまうと、「反対しても無駄だから、受け入れて盛り上げた方がいい」と空気が変わってしまう
 静岡空港も、まさにそれだ。
 だから政治家と一部の業界とそれに関係する労働組合の私利私欲の為に、巨額の税金を使って作られた静岡空港に、最初は多くの県民が反対していたのに。
 しかし現に作られてしまった今は、毎年赤字を生み続けていると報じられても、消極的ながら「応援しなければ」という空気になってしまっている。

 筆者などは、「静岡空港など、今すぐ閉鎖して自然に戻してしまうべき」と思っている。
 そうすれば毎年垂れ流し続けていて黒字化の見込みの無い、税金から補填されている十数億の税金を無駄に使わずに済む。

 と言うと、必ず「大金をかけて作った空港を潰すなど、もったいないではないか!」と反論する者が出て来るだろう。
 しかし「建設に巨額のカネを投じたから」と、さらに毎年多額の赤字を出し続けるのは、もっと無駄で愚かな事ではないか。
 羽田や成田、さらにセントレア空港にも行きやすい静岡県の、アクセスも悪く田舎で路線も便数も少ない不便な静岡空港に、未来などあるだろうか。
 そもそも新幹線も東名高速道路もあり羽田にも行きやすい静岡県に、空港など不要だったのだ。

 想像して貰いたい。
 もし貴方が、貯金をなげうって何か起業したとする。
 しかし期待に反して毎年赤字続きで、しかも黒字になる見通しは全く無いとする。
 その場合、最善の策は一刻も早く事業をやめて撤退することに決まっている。
 最初に起業に投じたお金惜しさでその事業をズルズル続けていたら、赤字が雪だるま式に膨らんで破産してしまう。
 国家や自治体の事業もそれと同じで、空港も赤字を生み続けるなら廃止しか無い
 しかし静岡県民は例の「大きなプロジェクトを実現するのは賛成派でも反対派でもなく、どうせやるなら派」というやつで、建設前は多くの者が反対していた静岡空港の赤字に、今は怒りもしないでいる。

 空港による経済波及効果?
 馬鹿を言っちゃいけない、何故ごく一部の空港や観光関係の業者の利益とその従業員の為に、毎年十数億の県民の税金を投じなければならないのだ!
 県民の税金は一部の者の為でなく、皆の為に使うべきものだ。
 空港関係者や観光業者の為だけに赤字を補填してまで空港を維持し続けるのは、税金の使い道としてフェアではない

 それは、住民が生きる為の足として利用しているローカル鉄道やバス路線の赤字を税金で補填するのは、福祉として当然のことだ。
 しかし空港は、住民の死活問題にかかわる移動手段ではない。
 住民が日々利用するローカル鉄道やバス路線と違い、無くても困らない空港は赤字なら閉鎖が当然だ。
 そしてそのごく一部の企業と従業員の為にしかなっていなかった毎年十数億の税金は、公共の福祉の為に広く役立てて貰いたいものだと、筆者は思う。

 それは、静岡空港に関係する業者にとっては、空港の存続は死活問題だろうが。
 しかしそもそも、「貴方の企業が、皆の税金の補填で成り立っている」ということ自体が間違いなのだ。
 労働環境が厳しくなり、非正規雇用で厳しい生活をしている方が増えているせいか、近年よくネット等で生活保護受給者が叩かれているが。
 もちろん、生活保護の不正受給はよろしくない。
 だがやむを得ぬ事情で生活保護を受けている方より、税金で補填された無用の事業で食っている業者らの方が、よりたちが悪いのではないか。

 いや、別に公共事業に関係している業者さんとその従業員を非難しているのではない
 道路や学校や病院など、皆の為になる公共のものを作っている業者さんは胸を張って働き、その正当な代価を受け取るべきだ。
 しかし無くても殆どの県民が困らない、大赤字を税金で補填されてようやく存続している空港にしがみついてそこから利益を取るのは、県民の血税を啜る寄生虫と何ら変わらないのではないか。
 多くの県民が「どうせもう多額の税金を投じて作ってしまったのだから」と許してしまっている静岡空港について、筆者はまだ怒っているし、空港に関係する一部の業者が困ろうが即刻廃止すべきと今も信じている。
 それにしても、どれだけプロセスが怪しく多額の税金を浪費しようが、国や自治体や政治家が一旦始めてしまえば皆が「どうせやるなら派」になってプロジェクトを推し進めてしまう日本人の国民性を、筆者は悲しく、情けなく思う。

 県民みなの多額の税金が一部の業者の為だけに使われるなど、許し難いことは多々ある静岡空港だが。
 しかしこの問題は、少なくとも一地方の問題で、人の命にはかかわっていない。
 だが日本人の「駄目なものは駄目」と筋を貫くのではなく、一旦始まれば「どうせやるなら」と反対していた事にも応援してしまう体質は、時には大きな悲劇を招くことになる。

 例えば戦争だ。
 山本五十六元帥や井上茂美大将など、旧日本軍にも戦争に反対していた有能で誠実な軍人は少なからずいた。
 しかし山本元帥は、いざ戦争が避けられないとなると、勝てるよう全力を尽くして戦った。
 反対を貫くのでも、協力しないのでもなく。
 正直に言おう。
 多額の血税を浪費して存続している、無用でしかない静岡空港については、関係する業者が困ろうとも絶対に潰すべきと信じている筆者だが。
 もし日本が再び戦争を起こしたとして。
 そしてそれが間違った侵略戦争だったとしても。
「間違ったことをしているのだから、日本が早く負けた方がいい」という気持ちには、なれそうもない。

 静岡空港の件だけでなく。
 特定秘密保護法案や安保法制や共謀罪など、このアベ政治のもとで決まってしまった幾つもの法律についても、当ブログで「反対だ!」と今も言い続けている筆者だが。
 ただ戦争に関してだけは、たとえ日本に非がある戦争でも「日本が負けた方がいい」という気持ちにはなれないような気がする。
 筆者は今日のこの記事で、日本人の「どうせやるなら」と怪しげで間違った大きなプロジェクトも後押ししてしまう性質を批判してきたが。
 戦争についてだけは、どうも「どうせやるなら派」になってしまいそうなのだ。

 第二次世界大戦中に、ドイツ人でありながら多くのユダヤ人を救ったオスカー・シンドラーの功績を世に知らせた『シンドラーズ・リスト』には、筆者も感動した。
 しかし読んでいて、筆者はシンドラーに共感できない点が少しだけあった。
 それは大戦後期にシンドラーが、ラジオでドイツ軍が負け続けているニュースを聞いて素直に喜んだ点だ。
 歴史好きで、しかもミリオタでもある筆者は、ソ連軍の兵士が占領地でどれだけ酷い事をしたかも、よく知っている。
 ソ連兵は、旧満州で日本の民間人に、特に若い女性に散々酷いことをしたが。
 ドイツの民間人には、それこそ殺人・強姦・略奪と非道の限りを尽くした。
 だから東部戦線のドイツ兵は、負け戦と知りつつ簡単には降伏せずドイツ人の避難民を逃がす為に戦った。
 それを知っている筆者は、ドイツ軍が負けて喜ぶドイツ人シンドラーの気持ちにどうにも共感できなかった。

 さらに『シンドラーズ・リスト』には、シンドラーは大戦後期に強制収容所で砲弾を造っていたが、わざと不良品を造ったと書いてあった。
 ソ連の大軍が迫って来る、負け戦続きの最前線で。砲弾が不良品でいざという時に不発だったら、どれだけのドイツ兵が死ぬ事になるだろうか。
 ドイツ人シンドラーは、その事についても全く何も考えていないようだった。

 確かにナチスドイツは、ユダヤ人を虐殺し酷い事をした。
 そしてナチスドイツは、戦争に勝ってはならなかったとは思う。
 しかしすべてのドイツ人に罪があったわけではない。
 だがシンドラーは、徴兵され前線に出されたドイツの一兵士や、敵兵に襲われるドイツの民間人のことについては、何も考えていないようだった。

 筆者は、戦争は絶対にしてはいけないと考えている。
 しかし日本の指導者(しかも近年は明らかに右傾化しつつある)が、不幸にして戦争を始めてしまったとして。
 その際、侵略戦争には荷担したくないが、「日本が負けた方がいい」とは、どうにも思えそうにない。

 貴方は、どうだろうか。
 日本がまた侵略戦争を始めるか、または米国に荷担して米軍と共に他国に攻め込んだとして。
 戦争には反対だから、間違った戦争だからと、「日本が負けた方がいい」と思えるだろうか。

 筆者は基本的に、権力者の進める怪しげな大きなプロジェクトに対し、最初は反対でも一旦決まってしまえば「どうせやるなら」と後押ししてしまう日本人の体質は嫌いだ。
 間違っているものは、最後まで間違っていると言い続けたい。
 だが戦争についてだけは、どうもそうは言えないような気がするのだ。
 筆者はおそらくその時には、日本が戦争に負けぬよう働いてしまうだろう。

 だから筆者は戦前の日本を美化し、史実を歪曲してあの侵略戦争を正当化するような言説が勢いを増し、それを批判する者を「売国奴」や「非国民」などと罵る今の風潮を、A級戦犯を「戦後日本の反映の礎となった昭和殉難者」と正気で称えるような政治家が首相である今の政治情勢を心から憂う。

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亡父が日本兵だったからこそ、今の日本の右傾化を深く憂う。

 筆者の亡父は、大日本帝国陸軍の下士官だった。
 日本が太平洋戦争を始め、その戦況が苦しくなった頃、「自分が戦わねば、お国が滅びる」と思い詰めて16歳で軍に志願し、昇進して伍長になり、終戦の際に軍曹として除隊した。

 そんな父は、戦後もずっと戦争を引きずっていた。
 亡父は酒も煙草も軍隊で覚えたのだが、戦後数十年が経った後も、酒を飲んでは軍隊時代の辛い、理不尽な記憶を繰り返し語った。
 酒を飲まなくとも、素面でも軍隊時代に聞き覚えた言葉を口にすることがあった。
軍隊ではな、足を靴に合わせろと言われたもんだ
 成長期で靴のサイズが合わなくなり、買い換えをせがんだ筆者は、父に何度かそう言われたことを、父と同じかそれ以上の年齢になった今もよく覚えている。

 サイズの合わない軍服や靴を支給され、「体の方を合わせろ」と言われるのは、大日本帝国陸軍では当たり前のことだったようだ。
 この11月14日の毎日新聞にも、似たような思い出が読者から投稿されていた。
 それによると、投稿者の父親もまた軍人で、そして足が小さかったそうだ。
 その投稿者の父親も「体の方を合わせろ」と言われて大きい靴を履かされ、そのため靴擦れやマメが出来て休憩の度に手当をしなければならなかった。

 サイズの合わない靴で戦場に出ると、どうなるか。
 それについては、毎日新聞に投稿した中村治子さんの文章をそのまま引用しよう。

 合わない靴を履いていた兵士は、じきに足の裏全体の皮がむけて歩けなくなるのだという。最初は仲間が肩を貸したり荷物をしょったりして手伝うが、やがて限界がやってくる。後れをとった兵士は「置いていかないで」と泣きながらはってついてくるのだが、自決用の手投げ弾を持たされ、置き去りにされたという。


 投稿者の中村さんのお父上は、戦争の話をいつもこう締めくくったという。
兵士の命は一銭五厘で安いもんだった

 この“一銭五厘”という意味が、皆さんはおわかりになるだろうか。
 当時の葉書の郵便料金だ。
 兵士など、召集令状の葉書一枚で集められる
 大日本帝国の軍の上層部は、本気でそう思っていた。
 だから戦争中には、「兵士は最も安い兵器だ」とも言われた。
 ここまで兵士の命を大切にしないのは、旧ソ連軍や中共軍くらいのものだろう。

 知っているだろうか。
 ナチスドイツ軍の戦車は、被弾して動けなくなった時に乗員が脱出する為のハッチが、アメリカなど他国の戦車よりも多かった。
 敵とみなした相手には冷酷無惨なドイツ軍だが、少なくとも味方の兵士の命は無駄にしなかった。
 記録写真にも、志願してきた新兵たちの体に合う軍服やヘルメットを慎重に選ぶ被服係の古参兵を写したものが残っている。
 ドイツ軍は少なくとも「体の方を合わせろ」などとは言わなかった。

 日本もドイツも、戦争では資源が乏しくて苦戦を強いられた。
 日本軍の攻撃と言えば、あのカミカゼ攻撃が有名だが。
 それ以外にも米英軍の戦車に対して、兵士に地雷を抱えさせて自爆攻撃をかけさせた
 地雷どころかただの爆弾を抱かせてキャタピラの下に飛び込ませ、轢き殺されながらキャタピラを破壊するよう強いることも辞さなかった
 想像してみてもらいたい。
 轢き殺される覚悟で戦車のキャタピラの下に飛び込んで行くのが、どれほど恐ろしくて無惨なことか。

 それが戦争だ。
 日本軍の戦いしか知らぬ者は、多分そう言うだろう。
 だから戦争は(国を守る為の戦いも含めて)絶対にしてはいけないのだ、と。
 しかし味方の兵士に爆弾を抱かせて自爆攻撃をかけさせたのは旧日本軍とイスラム原理主義者のテロリストくらいで、他国は違う。

 例えば第二次世界大戦中のドイツ軍も、ソ連軍の圧倒的な数の戦車に苦しめられた。
 しかしドイツ軍は、あの狂信的なナチス親衛隊ですら、兵士に自爆攻撃などかけさせなかった。
 ドイツ軍は兵士に自爆させる代わりに、磁石を使った。
 戦車は鋼鉄の装甲で覆われているから、磁石がよく張り付く。
 それでドイツ軍は地雷に磁石を付けた“吸着地雷”を作り、それを歩兵が敵戦車に磁石の力で取り付けて破壊した。
 ドイツ軍は当初、その地雷で肉薄攻撃をした兵士に、破壊した敵戦車一両ごとに一枚、制服の腕に貼るワッペンを与えた。
 しかし兵士の腕はすぐそのワッペンがずらりと並んでしまい、後にそのワッペンは破壊した敵戦車五両で一枚になった。
 ただ磁石を付けただけの地雷は敵戦車にそれだけ効果があり、しかも敵戦車に肉薄攻撃をかけた勇敢な兵士を無駄に死なせることも無かった。

 さらにドイツ軍はパンツァーファウストという、使い捨ての、しかし威力抜群の対戦車ロケット砲を大量に生産して前線の兵士に供給した。
 そのロケット砲に苦戦したソ連軍は、戦後パンツァーファウストを改良して共産圏で使用し、ベトナム戦争でもアメリカ軍の戦闘車両を多数破壊することになる。

 ドイツ並みに、対戦車ロケット砲を開発しろとまでは言わない。
 しかし地雷や爆弾に磁石を取り付けることくらい、当時の日本の軍関係者はどうして思い付けなかったのだろうか。
 いくら資源に乏しい当時の日本でも、磁石くらい作れただろうに。
 だが我が大日本帝国は兵士個人の勇気と自己犠牲、そして「一銭五厘の葉書代で兵士などいくらでも集められる」という極端な人命軽視の思想で、有益で勇敢な多くの自国の若者を死なせた
 九死に一生どころか十死零生の攻撃を強いたのが、我が日本軍なのである。

 今の日本人には、自爆攻撃をするイスラム原理主義者を「理解できない、頭がおかしい」と思っている人が少なからずいるだろうが。
 少なくとも外国人には、戦時中の日本軍のカミカゼ攻撃も含めた自爆攻撃も、今のイスラム原理主義者のテロと同じように見えていただろう。
 己の信じる神に命を捧げたイスラム原理主義者の自爆攻撃は「頭がおかしい」で片付けるくせに、日本軍の自爆攻撃はお国に命を捧げた兵士の英雄的行為と美談に仕立て上げるのは、絶対におかしいし間違っている
 筆者は日本軍の兵隊一人一人については、立派に戦った勇敢な兵士と尊敬するが。
 その自国の兵士を大切にせず、自国の兵士に死を強要したかつての大日本帝国と日本軍を心から憎む

 十六歳で自ら軍に志願し軍曹で終戦を迎えた筆者の父は、片耳がよく聞こえなかった。
 それは軍隊時代に受けた鉄拳制裁で、その片耳の鼓膜が駄目になってしまったからである。

 旧日本軍と言えば、古参兵による新兵イジメや鉄拳制裁も日常茶飯事であった。
 その事は筆者は亡父からよく聞いているし、軍人だった人が身近にいない方は、日華事変に従軍して負傷し太平洋戦争には陸軍報道部員として従軍した棟田博氏の『陸軍よもやま物語』や、作家の野間宏氏の『真空地帯』などを是非お読みになっていただきたい。
 アメリカやロシアやドイツなど他国にも、軍隊生活の過酷さを描いた小説や映画がいろいろあるが。
 かつての日本の軍人だった者の体験談を聞いたり書籍を読んだりすれば、他国の軍隊生活の厳しさなど、生ぬるいものにしか思えなくなる。

 ドイツに、戦争の不条理さを描いたとされて評価され、映画にもなった『08/15』という小説があるのだが。
 映画版では第一部が戦争前の軍隊内のイジメ、第二部が戦場の悲惨さ、第三部が敗戦前後の混乱を描いている。
 その第一部を見て、筆者は「は? これが軍隊のイジメ?」と驚いてしまった。
 確かに底意地の悪い軍曹と、それに目をつけられて何かにつけイビられる気の弱い新兵はいる。
 しかし鉄拳制裁も無ければ、仲間の兵たちも優しいし、日本の昔の軍隊のイジメとはまるで違っていて生ぬるかった。
 いや、その『08/15』が生ぬるかったと言うべきではなく、かつての日本軍が余りにも非人間的で酷すぎたのだ。

 筆者は実の父親が、十六歳で志願して軍に入った元軍人だったから。
 だから旧日本軍の実態をよく聞かされて知っているし、歴史を学び戦史もよく調べて日本軍の戦いぶりも知った。
 知れば知るほど、旧日本軍に対する嫌悪感が深まるばかりだ。

 誤解しないでほしいが、日本兵は非常に勇敢で優秀な兵隊だと思っている。
 ただその指導者達の愚かさと、その愚か者どもが進ませた誤った道の行き着いた先の悲惨さを思うと、同じ日本人として悲しく腹立たしくてならない。

 もちろんドイツも、誤った戦争を始めた結果、多くの兵士と国民を死なせたのだが。
 だから筆者はドイツを持ち上げて日本を貶めるつもりはない。
 だが多くのドイツ人はかつての戦争を否定し反省しているし、ナチスの戦争を肯定する者など一部のネオナチしかいない
 もし今のドイツでナチを賛美し、かつての侵略戦争を正当化しようものなら、まず間違いなく袋叩きに遭う。
 今のドイツに言論と表現の自由があることを否定する者は、まず殆どいないと思う
 しかしそのドイツでも、ナチスの思想を広めたり正当化したり、ナチスのシンボルを掲げたりすることは法律で禁止されているのだ。
 だが日本は違う。
 戦前の思想(例えば教育勅語など)を賛美し、日本が引き起こしたあの侵略戦争を「アジアを解放する為の戦いだった」と強弁して正当化する者達が今もなお少なからずいるどころか、今の安倍政権下で急速に数を増しつつある。

 日本もドイツと同じように、戦前の思想を賛美したりあの侵略戦争を正当化したりすることは絶対的な誤りとして、思想信条の自由や表現の自由に関係なく法律で禁止すべきではないか。
 亡父が帝国軍人で、かつ歴史も学んできた筆者は、強く強くそう思う。

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人は生まれたままの自然が一番!(大阪府立懐風館高校の問題を考える)

 まず始めに、筆者は童顔である上に、身長も150センチ台である。
 この見かけのせいで、いろいろ不利益を被ってきた。

 まず子供の頃から、同性に虐められやすかった。
 大人になれば、さすがにあからさまなイジメは激減する。
 しかしそれでも「チビのくせに」と見下される傾向は、大人になっても変わらないままだ。

 何年か前のこと、前をよく見ず不注意に歩いて来た男性にぶつかられた。
 相手は見るからに育ちの悪そうなDQNではなく、ごく普通の真面目な人にしか見えないサラリーマンだった。
 その男性は筆者にぶつかると、ハッとした顔で振り返った。
 そして自分がぶつかった相手が「童顔のチビ」と見た途端に表情を緩めて安心したような顔を見せ、謝罪の言葉ひとつ無くそのまま歩き去った。
 その時の「相手はナメても構わないチビ」と見て取った途端に薄笑いすら見せたその男性の顔を、筆者は決して忘れない。

 まあ、それ以外にも男で低身長だと「女性に相手にされにくい」というデメリットもある。
 筆者は幸いにして幾人かの女性と交際できたが、それも自分から積極的に行動して、「低身長だが、見かけ以外に取り柄はあるよ!」と相手に理解していただく努力を惜しまなかったからだ。
 断言するが、自分から努力してアプローチせずに女性に相手にして貰えたことは、筆者はただの一度も無い。

 この「低身長で童顔」という点だけでも、しなくても良い苦労をしてきた筆者だが。
 その筆者を、三十代になってからさらにもう一つの“異変”が襲った。

 筆者の父はいわゆる若ハゲで、筆者が幼い頃から髪がかなり薄かった。
 しかし筆者自身は、髪はフッサフサだった。
 だから髪についての心配など、全くしていなかった。
 ハゲは遺伝するという話も、鼻で笑い飛ばしていた。
 ところが、だ。
 三十代になったある日、鏡をよく見ると髪が以前より何となく薄くなって来ているのに気付いた。
 普段はわからないのだが、髪を洗ったすぐ後に鏡をよく見ると、地肌が何となく透けて見えるようになっていた。
 これは、前には無かったことだ。
 それで慌てて頭皮のケアを欠かさないようにして、父のように見事な若ハゲになるのだけは必死に食い止めている。
 とは言うものの、「いつか本当のハゲになるのでは?」という不安に、常にかられている。
 実際、「そのまんま東さんのような頭になってしまい、女子高生たちに指さして笑われる」というコワい夢までみたくらいだ。

 世の中には低身長を補う“シークレット・ブーツ”なるものもあるし、薄い髪は鬘でごまかせることもわかっている。
 しかし筆者は底の厚い靴など一足も持っていないし、薄毛がさらに進行してハゲになってしまったとしても、鬘でごまかすつもりも全く無い。
 何故なら、そういうごまかしは、後で本当の姿がバレた方がもっと恥ずかしいからだ。

 例えば厚底の靴で低身長を隠したとしても、いつも靴を履いているわけにはいかないではないか。
 職場の飲み会でも和式の座敷を使う事もあるし、旅行で和室に泊まる事もある。
 そんな時、靴を脱いだら急に身長が低くなることの方が、筆者にはずっと恥ずかしく思える。
 後でチビだとバレるより、初めからチビだとわかってもらっておいた方が余程もマシだと、本物のチビの筆者は思う。

 薄毛についての考えも、それと同じだ。
 鬘や植毛で偽りの姿を見せておいて、交際が深くなってから「実はハゲでした」とバレるよりも、最初から本当の姿を見せてお付き合いしてもらう方がずっと良いと、少なくとも筆者は思う。

 低身長と童顔に加えて薄毛の危機と、筆者には外見についてのコンプレックスは幾つもある。
 しかし筆者は、それらを隠してごまかしたりしようとは思わない。
 後で本当の姿がバレた時の方が余程も恥ずかしいし、相手にもより軽蔑され馬鹿にされるからだ。

 だから筆者には、それ以外にも整形とか豊胸手術とかで、生まれたままの自分に手を加えて実体を偽ろうとする人の気持ちがわからない。
 例えば豊胸手術をすれば、年を取っても胸だけ昔の若い時のままの形になってしまうという。
 お婆さんになっても胸だけ豊かで形も良いとか、その方がむしろ恥ずかしいではないか。
 整形しても、昔の整形前の写真は残るわけだし、子供も整形前の自分に似た顔で生まれるわけだ。
 その方が、余程も不都合ではないか。

 確かに口蓋裂などの先天的な障害や、事故などの後遺症を治療する為には、整形手術も必要だ。
 人は見かけが九割だとも言うし、低身長で非イケメンの筆者もそれを実感している。
 それでも筆者は、基本的にはありのままの自分で生きるのが一番だと思っている。
 だから低身長をごまかす厚底の靴など一足も持っていないし、将来ハゲてしまっても、鬘や植毛でごまかすつもりもない。

 筆者自身は、黒過ぎるくらいの黒髪なのだが。
 しかし日本人には、茶色味を帯びた黒髪の人が少なからずいる。
 筆者の幼なじみのYさんは、生まれつきの茶髪と言うか、それはもう綺麗な栗色の髪だった。
 彼女は、生まれつき色素の薄い体質だったのだろう。
 だからYさんは肌も抜けるように白く、その白い肌と日を浴びると金にも見える栗色の髪が、それはもう美しかった。
 そのYさんは、混じりけの無い純粋な日本人だ。
 日本人の中には、そういう人もいるのだ。

 そんなYさんを知っているから、筆者は染めた茶髪を見るとつい「汚いな」と思ってしまう。
 髪の色は、肌の色より濃い。
 これが自然の摂理なのだ。
 肌の色より髪の色が明るいのは、年老いて白髪になった人だけだ。
 だから生まれつき金髪や明るい茶色の髪の白人は、肌の色もとても白い。
 それに対して元々色白でない黄色人種が茶髪にすると、髪も肌も茶色系に見えてくすんだ色の取り合わせになり薄汚れて見える。
 特に屋外スポーツをしている、よく日に焼けた茶色の肌の日本人の選手が明るい金髪にしているのを見ると、少なくとも筆者は「ありえねぇ~、不自然すぎるだろ」と思ってしまう。

 だからどうしても黒い髪を茶色に染めたい方は、まず美白から始めていただきたい。
 肌と髪の色の明るさが近いのは不自然だし、肌の色は髪よりずっと白く明るくないと綺麗ではない。
 まあ、「色白でなくたって、自分は髪を茶に(金に)染めたいのだ!」と思ってそうするのは、個人の自由なのだが。

 筆者がお付き合いした女性のOさんは、色白だが黒髪で天然パーマだった。
 彼女は髪を染めることは全くしなかったが、自分の天然パーマは好きでなかったらしく、ストレート・パーマをよくかけていた。
 そのせいか、短くカットしている時には良いのだが、髪を伸ばしてかつストレートにしている時には、よく見ると髪の先が荒れているのがわかった。
 筆者は彼女の髪型にあれこれ言うような野暮なことは、一切しなかったが。
 天然パーマはOさんに決して似合っていなかったわけではなく、天然パーマのままでも可愛かったのにと、少し残念に思った。

 茶髪だろうが黒髪だろうが、直毛だろうが天然パーマだろうが、生まれたそのままが一番。
 150センチ台の低身長でも、厚底靴も履かずに胸を張って生きている筆者は心からそう思う。
 逆に「染めたな」とありありとわかる、不自然な茶髪や金髪の方がみっともないと思っている。
 もちろんそれは心の中で思うだけにして、染めている当人にどうこう言ったりはしないけれども。

 大阪の、しかも府立懐風館高校で。
 生まれつき茶色い髪の女生徒に、「校則だから」と黒く染めることを頭皮が荒れるほど頻繁に強要し、文化祭や修学旅行にも参加させずに不登校に追い込んだという。
 校則で、「髪を染めたりパーマをかけたりするのは禁止」というのは、まあある程度理解できる。
 だが「髪を染めるのは禁止」ならば、茶色い髪を黒に染めさせる学校の“指導”とやらも、当然校則違反の筈だ。

 その事が発覚して、懐風館高校は「生まれつき金髪の外国人留学生でも黒髪に染めさせる」と強弁しているが。
 懐風館高校の『生徒心得』で禁止されているのは、髪を染めることやパーマの筈だ。
「黒髪以外は禁止で、黒でない髪は黒く染めさせる」などと、どこにも書いていない。
 にもかかわらず生まれつき茶色い髪の生徒に毛染めを強要するなど、「懐風館高校の教師は、校長以下みな頭がおかしい」としか思えない。

 懐風館高校の教師は、「日本人の髪は、みな黒だ」と信じているようだが。
 問題の生徒のように明らかに茶色に近い髪の者は少ないにしろ、生まれつき色素が薄く茶色い髪の日本人は間違いなくいる。
 筆者の幼なじみの、Yさんがそうだったように。
 また一見黒に見えても、茶色味を帯びた黒髪の日本人は数多くいる。
 筆者の髪は墨で染めたような真っ黒だが、むしろそのような日本人の方が少ないくらいだ。
 懐風館高校の教師達は、その“茶色味を帯びた黒髪”のどこまでをセーフで、どこからをアウトと判断しているのだろうか。

 また、テレビのインタビューに応じた懐風館高校の教頭自身が白髪混じりで、しかもパーマ状の髪をしていた。
 別に不良でもない、元々茶色の髪だった生徒を不登校に追い込むまで「黒く染めろ!」と“指導”する学校の責任ある立場の者が、白髪で(天然かどうかは知らないが)パーマで良いのだろうか。
 生徒をそこまで追い込むなら、自分から率先して黒髪に染め、ストレート・パーマをかけろよ、高橋雅彦教頭先生。

 筆者は髪を染める者を差別するつもりはないが、自分の髪を「染めたい」などと思った事は全く無い。
 髪の色が黒だろうが茶色だろうが、直毛だろうが天然パーマだろうが、生まれついたままの自然が一番だと思っている。
 それだけに、格好をつけて不自然な茶色や金に染めるのを規制するならともかく、生まれついて茶色い髪の者を不登校に追い込むまで、頭皮が荒れるまで頻繁に黒く染めるよう強要するなど、校則の精神を取り違えた狂気の沙汰としか思えない。

 この“指導”の被害に遭った懐風館高校の女生徒は、ただ裁判に訴えるだけでなく、学校の教師を傷害罪で警察に刑事告訴すべきだと、筆者は考える。
 髪を無理に染めさせるのも、その結果頭皮を荒れさせるのも、精神的に追い込むのも、すべて傷害の罪に該当する。
 また「黒く染めるまで帰さない」と責めるのも監禁脅迫だし、「母子家庭だから」と家庭環境を責めるのも名誉毀損だ。

 それにしても、こんな学校が私立ではなく、税金で運営され教師の給料も支払われている公立の学校であることに、筆者はとても驚いた。
 大阪府民は、こんな高校に自分達の税金が投入され、こんな教師達に自分達の税金が給料として支払われていることに、憤りを感じないのだろうか。
 筆者であれば、筆者の県にもし懐風館高校のような県立の学校があれば、県の恥と感じて高校と教育委員会に断固抗議する。

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文化の日を“明治の日”に変えようと企む右翼の屑ども

 戦前戦中に、四大節という祝祭日があった。
 四方拝紀元節天長節明治節の四つである。

 四方拝とは、元日のことで。
 紀元節は、神話により「神武天皇が即位した」とされる日で。
 天長節は、天皇誕生日で。
 そして明治節は、1927年に制定された、明治天皇の誕生記念日である。

 この四大節の日は、祝祭日とは言え戦前戦中にはただ休んで家で遊んでいられたわけではない。
 子供達は登校させられ、天皇や皇族の写真を拝まされ、皇室を称える歌を歌わされ、校長の“ありがたい”説話を聞かされたのだ。

 この四大節のうち、元日を祝うことについては、今も誰も異論は無かろう。
 年の始めに天地四方を拝して年災を払い、豊作を祈ることに、かつての軍国主義や天皇崇拝と何の関係も無いからだ。
 天長節についても、新憲法のもとでも天皇は日本国の象徴であるから、天皇誕生日として祝っても悪くはないだろう。
 しかし残る紀元節と明治節については、素直に以前と同じように祝うわけにはいかない。

 例えば「神武天皇が即位した」という神話から紀元節に定められた、紀元節だが。
 その神武天皇とは、天照大神の孫で高天原から高千穂に降りて来たという瓊瓊杵尊の曾孫で、日本の初代天皇ということになっている。
 これは戦中戦前には史実として大真面目に信じられていたが、今では科学的根拠の全く無い大嘘であると、一部の神懸かりの狂信的な右翼を除く皆がわかっている。
 天照大神の孫が天から降りて来たなどという天孫降臨の話も全く馬鹿げた虚構であるし、神武天皇も実在しないという事は、歴史を真っ当に学んでいる者なら誰でも承知している常識である。
 だから2月11日の紀元節は、戦後に廃止された。
 しかし天照大神とその係累を神として祀る神社本庁や右翼勢力が時の政府と結びついて、1966年に建国記念の日として復活させてしまった
 それで今でも全く正当な根拠の無いデタラメの日を、多くの国民はこの国の“建国の日”と信じさせられている

 明治節は、戦後に吉田茂が新憲法の公布日にこの日を選んだことで、文化の日となった。
 明治節は明治天皇の誕生日を祝う日だが、文化の日は「自由と平和を愛し、文化をすすめる為に国民がこぞって祝い、感謝し、記念する日」であって、かつての明治節とは意味が大きく違う。
 文化勲章がこの日に授与されるのも、その為である。

 だが天皇崇拝の神話による紀元節が右翼勢力により建国記念の日として復活させられたように、この文化の日も“明治の日”に戻されようとしている
 2011年に結成された『明治の日推進協議会』には、あの日本会議や安倍首相に近い政治家たちが名を連ねている。
 例えばあの稲田朋美元防衛相や古屋圭司衆院議運委員長も、その有力メンバーだ。

 その明治の日推進協議会は、自由や平和や文化を「特定の一日とあえて結びつける必要があるのか」と疑問を投げかけているという。
 つまり彼らは自由や平和や文化を祝う気が無い、ということなのだろう。
 自由や平和や文化より、とにかく明治節を復活させて明治を祝うことの方が大事なのだろう。

 当選者は一人の小選挙区制度のもとで、首相の権力がとても強くなった。
 そして「ブレるから」と議論を嫌い、異を唱える者には刺客を送る小泉政権のもとで、首相にものを言える与党政治家が殆ど居なくなった。
 さらに民主党政権下で、民主党との違いを明瞭にする為に自民党が右傾化し、その自民党の総裁に党内で最右翼の安倍晋三氏が就任した。

 で、安倍氏が首相になった後、日本は急速に右傾化し、安倍首相が大好きな戦前戦中の大日本帝国に、この国はどんどん近付きつつある。
 道徳の教科化を押し進めるだけでなく、結局は「天皇とお国の為に死ね」と教える教育勅語の再評価をして。
 秘密を国家で独占する特定秘密保護法、自衛隊の海外派兵を可能にした安保法制、平成の治安維持法とも言える共謀罪と、国家主義的で危険な法律を数の力でどんどん成立させて。
 今、この国は時代がどんどん戦前戦中に戻りつつある。
 戦前戦中と違うのは、「宗主国であるアメリカ様のおっしゃる事は、何でも聞きます、言われた通りに致します」という事だけだ。
 そしてその「大日本帝国が大好き、明治維新は素晴らしい!」という時代の流れの中で、「自由や平和や文化を祝う文化の日をブッ潰して、戦前の明治節に戻したい」という運動が起きている
 その「自由や平和や文化を祝うなんてクソくらえ、明治と大日本帝国バンザイだ!」という運動の旗を、安倍首相のお仲間の稲田朋美元防衛相や、日本会議の皆さんが振っている

 前回の選挙でも、稲田朋美氏は圧勝して当確のニュースがすぐに流れたが。
 稲田氏を選挙で圧勝させる福井県民とは、天皇を神と信じる大日本帝国や教育勅語が大好きな右翼思想の信奉者ばかりの県なのであろうか。
 福井県は、今もなお戦前戦中の空気と歴史観に支配されている県なのだろうか。

 と言うと、「いや、政治思想や歴史観はどうあれ、稲田氏は個人的には良い人なんだよ」と言う地元の方が、必ず出てくるだろう。
 しかしいくら稲田氏個人が良い人だとしても、稲田氏の言動を冷静に見てもなお政治家として支持できる感性が、筆者にはまるで理解できない

 例えばナチの武装親衛隊にクルト・マイヤーSS少将という軍人がいるのだが。
 この“パンツァー・マイヤー”とも呼ばれるナチの将軍の著書を読んでみると、このナチの将軍が人間味に溢れた実に魅力的な人物であることが、よくわかる。
 ご存知ない方は、是非クルト・マイヤー氏の『擲弾兵』を御一読願いたい。
 ナチの、特に武装SSの軍人に対する「冷血で極悪非道」というイメージがガラリと変わる筈だ。
 しかしいくら部下思いで人間味に溢れる人物でも、クルト・マイヤー氏が政治的には間違っていて、政治的な指導者としては全くふさわしくないという事実には変わりはない。

 政治家に大切なのは、まずその人の政治的な信条と、そしてその人が政治的にどう行動しているかだ。
「戦前戦中の大日本帝国が大好きな歴史修正主義の右翼でも、人柄が良いから支持して一票を入れる」というのは、「人柄が良いからと、ナチの人を政治家として支持する」というのと全く同じだ。
 その事がおわかりか、稲田氏に一票を入れた福井県の有権者の皆さん。

 第二次世界大戦に敗れたおかげで、日本人は自由と平和と人権を手に入れた。
 今の日本の右翼が大好きな明治維新後の大日本帝国の時代は、自由と民権が国権に圧迫されていた
 しかし敗戦の代償として、国民はその国権の軛から解放された。
 天皇は現人神から“同じ人間”になり、戦前の皇国史観は否定され、実質的にはアメリカの従属国ではあるものの、国民は大日本帝国では無かった人権を保障され、自由に平和に生きていられるようになった。
 だが戦後社会の自由と平和と人権を享受しながらその有り難さを忘れ、国権が民権を圧迫し国民は臣民であった戦前戦中の“強い”神国日本に憧れる者達が急速に増えている
 その右翼が一旦は無くなった嘘だらけの紀元節を建国記念の日として復活させたのに続き、文化の日まで明治の日に変えて大日本帝国の四大節を全て復活させようとしている。
 その戦前復古の動きを、個人の自由や人権より国権を重んじる日本の右傾化の一つと危惧するのは、筆者の杞憂であろうか。

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