空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

日本は好きだが、この国の指導者たちは大嫌いだ!

 まず初めに言っておくが、筆者はこの日本という国が好きだ
 海外で暮らしたいなど、一度も思った事がない。
 それどころか、海外旅行すらたった一度もした事がないのだ。

 それほど日本という国を愛している筆者であるが、この国の指導者たちには大いに不満がある。
 まず筆者は、明治維新を起こし天皇制で富国強兵の軍国主義の国を造った薩長の政治家連中を、立派な“志士”などとは全く思っていない。
 そして昭和八年から二十年に至るまでのこの国の指導者と、今世紀に政権を担っている政治家たちには、ただ嫌いと言うだけでなく憎しみに近い感情を抱いている。

 日本人には、政府を批判すると「非国民!」と決め付ける人達が少なからず存在する。
 特に安倍政権下で急増しつつある“右”の人々に、その種の人が多く見られる。
 しかし誤解しないで貰いたい。
「政府=国」ではないのである。
「今の政権には反対だが、この日本という国は大好きだ」という愛国者は、間違いなく大勢いる
 安倍政権を支持する“右”の人は、そのことを肝に銘じて貰いたい。
 自分と政治思想が同じ右寄りのナショナリストだけが“愛国者”ではないのだ。

 さて、今年も8月15日の敗戦の日(終戦の日ではなく)を迎えたが。
 筆者が「今世紀に政権を担っている政治家たちには、ただ嫌いと言うだけでなく憎しみに近い感情を抱いている」と述べたのは、今の政府の指導者たちの先の大戦に対する考え方と無責任さに対する怒りが強いせいでもある。

 まず安倍首相は、今年の戦没者追悼式でも「先の大戦での戦没者が、今の日本の繁栄と平和が築いた」という趣旨の発言をした。
 筆者はこの種の、「先の大戦の戦死者が、今の日本の繁栄の礎となった」というような発言に、強い違和感を抱く。
 違和感と言うより、それは欺瞞だと筆者は考える。

 想像して貰いたい。
 あの戦争で、どれだけ有益な日本人の命が失われたか。
 もし日本があの無謀な戦争を起こさず、三百万以上の人が死なずに済んだら、日本は今以上に発展し繁栄していた筈ではないか。
 あの戦争で二百六十万もの兵が戦死あるいは戦病死し、五十万もの民間人も空襲で亡くなったからこそ今の日本の繁栄があるなどと言うのは、あの戦争を美化し正当化する為の詭弁に過ぎない

 まず「あの戦争は国を守る為の戦争で、日本と自分は悪くなかった」と言い張りたい、為政者とその関係者たちの思惑があり。
 そして身内の死は無駄ではなかった、阿呆な指導者どもの為に犠牲になったのではない、国の為になったのだと信じたい遺族の思いがそれに重なって、「先の大戦の戦没者達の犠牲が、今の日本を繁栄させた」という言い方がされるようになったのであろう。
 しかしその戦没者の遺族の気持ちは理解しつつ、筆者はあえて断言する。
 あの戦争の戦没者は、今の日本の繁栄の為に自ら命を捧げて犠牲になったのではない。当時の日本の指導者の無能と無茶の為に、死ななくても良かったのに死に追いやられたのだ。

 ただあまりに多くの犠牲が出たがゆえに、大多数の国民が「戦争はもうこりごりだ!」と思い、押し付け憲法とも呼ばれる現憲法の、理想は高くとも非現実的な第九条も、さほど抵抗なく多くの国民に受け入れられた。
 国民に「何があっても、戦争は絶対ダメだ!」と骨身に沁みて思わせた。
 だからこそ、戦後の平和が七十余年の長きにわたって続いた。
 そういう意味で、安倍首相らの言う今の日本の繁栄の方はともかくとして、あの戦争の犠牲者のおかげで平和な時代が長く続いたというのは事実であろう。
 しかし戦争を直に知る人が年毎に減り、戦争を知らない世代が大多数を占め、首相ら政府の要人も戦後生まれになった。
 そして刑死したA級戦犯を“昭和殉難者”と称え「彼らの犠牲が今の日本の繁栄の礎になった」と公言する安倍首相のもと、日本は着々に戦争の出来る“普通の国”になりつつある。

 今年も多くの国会議員が、8月15日に靖国神社を参拝した。
 筆者にも戦没者を弔いたい気持ちはあるし、千鳥ヶ淵の戦没者墓苑を訪れるなら納得もする。
 だが筆者は靖国神社を参拝する人の気持ちが理解できないし、靖国神社を参拝する政治家は国を導く者として全く信頼することができない
 靖国神社の遊就館に展示されている資料等を見れば、靖国神社が「日本は悪くない、あれは国を守る為のやむを得ざる戦争だった」という史観に立っていることがよくわかる。
 だからこそ靖国神社は、A級戦犯の合祀を平然と行った。
「戦争になったのは連合国がABCD包囲陣を作って日本を孤立させたからで、日本は悪くないんだモン」という史観なのだから、“悪くない日本”の戦争指導者であるA級戦犯達を合祀するのも、靖国神社としては当然の事なのだろう。

 確かに日本軍は、とても勇敢だった。
 勇敢過ぎるほど勇敢に戦った。
 機銃や砲で守られた敵陣にも銃剣突撃をかけるなどして、多くの戦場で米英軍より多くの死傷者を出した。
 圧倒的な兵力と兵器を持ち物量戦で挑む敵に追い詰められても降伏せず、バンザイ突撃をして各地で玉砕もした。
 しかし勘違いしてはならない。
 二百六十万もの日本軍の犠牲者のうち、六割は餓死あるいは戦病死したのである。

 知っているだろうか。
 かつての日本軍では「輜重輸卒(補給や輸送を担当する兵)が兵隊ならば 蝶々トンボものうち 焼いた魚が泳ぎだし 絵に描くダルマにゃ手足出て 電信柱が咲く」と揶揄されるほど、食料や弾薬の補給が軽視された。
 食料や弾薬が無くても、大和魂さえあれば戦えると思っていたのが、日本の軍の指導者達なのである。
 だからインパール作戦など、多くの作戦がろくな補給も無しに実行された。
 インパール作戦でもガダルカナル島でもニューギニアでも、戦って死んだ者より餓えて死んだ者の方が多かった。

 よく覚えておいてほしい。
 日本軍の死者には、敵の銃弾や砲弾に倒れた者より餓えて死んだ者の方が多いのである。
 そしてそんな戦争を指導し、そんな粗雑な作戦を東京の大本営や後方の安全な所で何不自由なく暮らしたらふく食いながら立案指揮したA級戦犯どもが、最前線でバンザイ突撃をさせられ、あるいは餓えて死に至った兵たちと合祀されているのである。
 あの無謀な戦争の指導者たちが合祀され、最前線で苦しんで死んだ兵の御霊はさぞ嫌な思いをしているだろうと思うのは、筆者だけだろうか。

 想像して貰いたい。
 貴方がブラック企業の社員で、寝食もろくにとれない状況で牛馬以下の扱いを受けて酷使され、ついに過労死してしまったとする。
 で、その過労死した貴方と、貴方を過労死させたブラック企業の経営者が同じ神社で会社を守った神として祀られたとしたら、「ふざけるな!」と怒りたくなるのではないか。
 靖国神社にA級戦犯を合祀してあるというのは、それ以上に非道いことだ。
 そしてそれに気づかない靖国神社の神職wwwはもちろんのこと、その靖国神社に参拝したがる政治家も不見識極まりない。

 安倍政権のもとで、戦前の日本を賛美するような言動をとる政治家が増えてきた。
 結局は「何かあれば国と天皇陛下の為に戦え」と言いたい教育勅語や、日本がアジア侵略の口実として使った八紘一宇という言葉を賞賛する国会議員が、しかも政権与党に出てくる始末だ。
 そして先に述べたように、安倍首相自身もあの悲惨な戦争を引き起こした責任者であるA級戦犯を、「今の日本の繁栄の礎になった、昭和殉難者」と讃えている
 そんな政権与党により特定秘密保護法、戦争法案、共謀罪と、丁寧な説明なしに数の力で可決され、首相は次には憲法まで変えようとしている。
 戦前の大日本帝国に郷愁を持ち、あの悲惨で愚かな戦争の指導者も賛美して靖国神社で神として祈りを捧げたがるような政治家たちの手によってなされようとする憲法改正を、筆者はひどく恐れる。

 安倍政権のもとで、日本は戦争の出来る“普通の国”になった。
 それを良いことと思う人もいるだろう。
 ただその前に、この国の政府と与党の政治家は戦争に巻き込まれた民間人の犠牲者にひどく冷たいのだという現実も、よく知っておくべきだ。
 日本は自国が引き起こしたあの戦争で、二百六十万の軍人と、五十万の民間人を死なせた。
 で、その軍人の方には「国と雇用関係があった」という理由で、これまでに約60兆円の援護がされている。
 しかし五十万人の民間人の犠牲者に対する補償や援護は、全く無しだ。
 それは「戦争という非常事態に伴う犠牲は、国民が等しく受忍しなければならない」という、“戦争受忍論”という理屈によるものだ。

 よく覚えておいてほしい。
 戦争を始めるのは国民ではなく、国(時の政府)だ
 しかしその国が国民の同意もなく始めた戦争の被害と犠牲は、国民が等しく受忍しなければならないというのだ
 これでは、国民は戦争で死んだら死に損でしかない。
「戦争を始めるのは政府の自由だが、民間人が死のうが傷つこうが政府は知らぬ、補償もしない」というわけだ。

 もし戦争で民間人の貴方が死のうが、例の戦争受忍論で国は何もしてくれないのである。
 だからこそ、国民は政治家を、一票を入れる相手を慎重に選ばねばならない
 戦前の日本に郷愁を持つような、八紘一宇のスローガンや教育勅語を良いと思うような政治家をこの国の代議士にしてはならない。

 ちなみに同じ敗戦国のドイツでは、軍人とその遺族だけでなく、民間人の犠牲者にも国がしっかり補償をしている
 と言うより、日本が軍人と民間人の戦争被害者を区別していると聞くと、ドイツ人は「何と冷たい国!」と驚くそうだ。
 日本の指導者たちとは、そんな人達なのである。

 繰り返し言う、筆者はこの日本という国が大好きだが、この国の政府と指導者たちはどうにも好きになれないし、尊敬もできないでいる。

PageTop

政党ポスターに見る各政党の本質

 先日、静岡市に住む親戚の家を訪ねた。
 するとその親戚の家の近辺には、各政党のポスターが街角の至る所に貼られていた。
 面白かったので、目に付いたものをとりあえず写真に撮ってみた。

 まずは、政権与党の自民党のものから。
 自民党は、『責任をはたす』という安倍首相の顔写真入りのポスターと、『国に届け』という、人気漫画のパクリとしか思えないポスターを出している筈だが。
 しかし筆者が訪れた静岡市のその地域ではどちらのポスターも見かけず、ただ地元選出の国会議員のポスターだけが各所に貼られていた。

政党ポスター①P1110543

 地元選出の代議士の顔写真の背景にロボット戦士の絵を重ね、
よっちゃんにおまかせ!
 と大書してある。
 最悪である

 政治とは、少なくとも民主主義の政治とは、選んだ代議に白紙委任してすべてを任せて良しとしていいものではない
 政治家はまず公約を掲げ、政策を国民に説明し、そして国民も政治家がそれをきちんと実行しているか監視する。
 それが民主主義社会の政治というものである。

 公約や政策の説明も無く、「みな俺に任せろ!」というのは、もはや独裁政治である。

 そう言えば安倍首相は、キャッチフレーズのようにこう繰り返していた。
この道しかない!
 馬鹿を言ってはいけない、物事を解決する道は幾つもある
 そして幾つもある道それぞれのプラスとマイナスを考え、よく比較して、その上でどの道が最も良いか民意を問うのが民主政治というものである。
 政治家が上から目線で「この道しかない!」と初めから決め付け、それを国民に押しつけるのは独裁政治の手法だ。

 政策を語らず「よっちゃんにおまかせ!」と政治の白紙委任を迫る地元選出の代議士に、「この道しかない!」と言い切る首相。
 自民党も堕ちたものだな、とつくづく思う。
 そのどこに、自由と民主があるか。
 自分に批判的な国民を指さし、「あんな人たち」と切り捨てる首相を見れば、自民党の体質の変化(右傾化と劣化)が実によくわかる。
 今の自民党は、どこからどう見ても一党独裁を目指す“不自由非民主党”にしか見えない

 政治は自分に「おまかせ!」しろと言う地元選出の代議士や、「この道しかない!」と言い切る首相には、筆者は独裁政治の危険な臭いしか感じないが。
 しかし国民の中には、いろいろな道を考え、その善し悪しを一つ一つよく考えて比較するのを「面倒」と考える人達が少なからずいるのもまた事実だ。
 そしてその種の人達は自分の頭で物事をじっくり考えるのが苦手なあまり、「この道しかない!」と自信たっぷりに言い切る声の大きな人に引きずられ、その政治家に政治を「おまかせ!」してしまう
 独裁政治とは、そのようにして生まれるものなのだ。
 安倍一強の政治の中で、今、この国は独裁政治に陥る危機に瀕している。
 日本が再び戦前戦中のような自由も民主主義も無い暗い社会に戻るかどうかは、ひとえに国民一人一人がたとえ面倒でも自分の頭でじっくりものを考える事を放棄しないでいられるかどうかにかかっていると、筆者は思う。
 世の中の空気にひきずられ声の大きな人に従っては、決していけない。

 また、『責任をはたす』というポスターと『国に届け』というポスターは、筆者はその町で見かけなかったが。
 森友学園や加計学園などの問題で、安倍首相はきちんと説明責任を果たしているだろうか。
 ここ数年、強行採決してきた秘密保護法や戦争法案や共謀罪なども、丁寧な説明をして国民の理解を得られているだろうか。
 現状で『責任をはたす』という安倍首相の顔写真入りのポスターは、現状ではたちの悪いギャグでしかない
 もう一つの若い男女を漫画チックに描いた『国に届け』という、若い有権者向けらしいポスターも、自民党は人気漫画『君に届け』の作者である椎名軽穂さんにきちんと許可を取っているのだろうか。
 椎名軽穂さんが認めているのなら良いが、そうでないとしたら政権与党らしからぬセコく恥ずかしい行為と言わねばならない。

 さて、次は自民党のコバンザメとして与党の一角に入り込んでいる、公明党のポスターを見てみよう。

政党ポスター④P1110549

政党ポスター⑥P1110600

 党首の顔写真の横に、ただこう書いてある。
『人が生きる、地方創生。』
『希望が、ゆきわたる国へ。』
 あの……この国をどうしてくれるのか、もっと具体的に語って欲しいのだけれど。
 上記のような抽象的で漠然とした言葉は、決して人の心を打たない。

 思うに、宗教政党である公明党のポスターは、党を支える某学会の会員の結束を固め、「選挙の時は公明党を忘れないで下さいよ!」とアピールする為のものであろう。
 学会員に対しての宣伝にしか、少なくとも筆者には思えない。
 それと、その家の塀や壁に公明党のポスターが貼ってあれば、「ここは学会員の家なのだな」という事もわかる。
 筆者が行って散策した静岡市のその町は、公明党のポスターを貼る、学会の信者らしき人の家が意外に多かった。

 さて、公明党のポスター以上に目立ったのが、共産党のポスターだった。
 その町で見た自民党のポスターは例の『よっちゃんにおまかせ!』だけで、公明党も『人が生きる、地方創生。』と『希望が、ゆきわたる国へ。』の二種だった。
 それに比べ、共産党のポスターはただ数が多いだけでなく、種類も豊富だった。
 志井委員長の『力あわせ、未来ひらく。』というポスターに並べて、日本をどうしたいか具体的な政策を訴えるポスターも貼られている。

政党ポスター②P1110544

政党ポスター③P1110547

『安定した雇用 暮らせる賃金を』
 これに共感しない人は、派遣社員を安くこき使いたいブラック企業の経営者と、よほどの大金持ち以外に殆どいないだろう。

政党ポスター⑧P1120098

『障害があっても安心して暮らせる社会に』
 これに反対する人も津久井やまゆり園で障害者を殺害した凶悪犯、植松聖のような人達くらいだろう。

『民意無視の強行採決を連発』
 今の安倍政権の政治姿勢は、確かにその通りだ。

政党ポスター⑦P1120029

『医療と介護の負担を軽く』
 ではその財源はどこから捻出するのか、という問題はあるが。
 医療と介護の負担が軽くなれば、多くの人が助かる筈だ。

政党ポスター⑤P1110569

政党ポスター⑨P1120100

政党ポスター⑩P1120101

『TPP断固反対』
『オスプレイ訓練再開「理解(安倍政権)」 これで独立国?』
『原発事故 国の責任を認める初判決 「原発ゼロ」各地で』
 これらの問題については、賛否が分かれるところだろう。
 しかし「TPPにもオスプレイの訓練にも原発にも反対」という、共産党の姿勢は明確だ。

 ちなみに、自民党と公明党と共産党のポスターはその町のあちこちで見たが、民進党その他のポスターは全く見なかった
 そのあたりにも、今の民進党の党勢が現れているのだろう。

 さて、そのよく見かけた、三つの政党のポスターを見比べて。
 政治は首相の信じる道しかなく、地元の代議士に「おまかせ!」しろという自民党の姿勢は、少なくとも筆者には最低に思える。
 自民党は、今や一党独裁を目指す自由も民主も無い政党になり果てた
 こんな党に筆者の一票を入れようとは、絶対に思えない。

 党代表の顔写真と空疎で抽象的なスローガンを掲げた、学会の信者向けのPRとしか思えない公明党のポスターも、全く心に響かない。
 ただポスターを見れば、「ここに学会員が住んでいるのだな」ということは、よくわかる。
 筆者は複数の学会員に酷い目に遭わされたこともあり、あの学会は心底嫌いだ。
 だから公明党のポスターがあれば「学会員の家だ」とすぐわかり、避けて通れるので便利である。

 その点、共産党のポスターはなかなか読ませてくれたし、心に響く言葉もあった。
 筆者は日米安保は必要だと思うし、TPPや原発も賛成はしないが「絶対ダメ!」と思っているわけではないので、共産党の主張すべてに同意はしない。
 しかし『安定した雇用 暮らせる賃金を』という言葉には、本当に共感した。
 また、安倍政権が『民意無視の強行採決を連発』しているというのにも、全く同意する。
 さらに財源さえあれば『医療と介護の負担を軽く』して、『障害があっても安心して暮らせる社会に』なれば、本当に良いと思う。

 では「次の選挙で、オマエは共産党に票を入れるのか?」と問われると、イエスとは言えない。
 何故ならば、共産党は一党独裁を目指す、本質的に危険な党だからだ。

 と言うと共産党の関係者に「勉強不足だ」と叱られてしまいそうだが、理論や理想よりまず現実を語ろう。
 共産党が支配して国民が幸せになった国が、これまでにあっただろうか?
 ソビエトや東欧諸国が崩壊したように、共産主義がうまく行かない、そして国民を幸せにしない事は、歴史が証明している。
 確かに中国などは、経済的には発展している。
 しかし言論や思想信条の自由もない。
 いくら経済が発展していても、中国のような自由の無い独裁政治の国に住みたいとは、少なくとも筆者は全く思わない

 筆者は、「日本共産党は、ワサビと同じだ」と思っている。
 国会で共産党が与党を追求している姿勢を見ると、「鋭いし、凄いな」と思う。
 独自の調査力も持っていて、国の腐敗を防ぐ為には絶対に必要だと考える。
 しかし主食(政権与党)にしては、絶対にいけない政党だと思う。
 ワサビは少量だからこそピリリと利いて良いのであって、無いと物足りないが、たくさん食べ過ぎたら腹痛を起こして酷い目に遭ってしまう
 だから筆者は、与党の自民党系の候補者が圧倒的に優勢とわかっている時に、批判票としてあえて共産党の候補者に票を入れることはあっても、「与党になって欲しい」と心から思って票を入れることは絶対にない。

 かつては筆者も支持していた自民党が、今や自由と民主を捨てて独裁的な右翼政党と化してしまい。
 その反面、一党独裁を目指しているであろう共産党が最も民主的で国民に近い立場でものを言っているという現実が、とても皮肉でならない。

 今の自民党は、右翼の独裁政党と同じだ。
 一方の共産党も、言うことは良いが腹の内がわからず信用できない。
 そして民進党は、町に主張を訴えるポスターすらろくに貼れていない有り様である。
 ついでに言えば、維新の会は自民党より右寄りなくらいだから、話にならない。
 票を入れたくなるような政党が、本当にない。

 ただ棄権は絶対にしたくないので、いつも消去法で渋々選んだ候補に票を入れに行ってはいるが。
 共産党ほど危険でなく、民進党よりマシな自民党の受け皿が現れてくれるのを、筆者は心から待ち望んでいる。

 と言うと、「小池さんがいるじゃないか、いつか国民(日本)ファーストの会を作ってくれるよ」と言う人もいるが。
 筆者は小池氏とその政治姿勢と言動を、全く信用していない。
 その理由について述べると長くなるので、その件についてはまたいつか書こう。

PageTop

少年法などクソくらえ!

 こんな殺人事件があった。
 加害者はオートバイに乗り、被害者を自転車に乗せて押しながら併走し、被害者を電車の迫る踏切に突っ込ませた。
 被害者は「怖い、怖い!」と叫びながら50km近い速度で踏切に突っ込まされ、そこで電車と衝突して命を落とした。

 そして被害者とその遺族に対して、加害者からの謝罪は今も無い。

 さて、皆さんはこの事件の加害者が、どれだけの刑罰を受けたと思うだろうか?
 事件の悪質性、それに被害者の恐怖を考えれば、筆者など死刑にしてやりたいくらいに思う。
 まあ、現実の判例を考えれば死刑は無理だろうが、少なくとも懲役十数年、場合によっては無期懲役の判決が出てもおかしくないだろう。

 では、正解を言おう。
 懲役4~6年の不定期刑だ。
 何故か。
 それはただ、加害者が少年で未成年だったからだ。
 そしてこの加害者は実名を報道される事も無く、程なくひょっこり社会へと、皆さんの側へと現れることになるのだ。

 残酷な殺し方で人を殺して。
 しかも謝罪も無く。
 それでたった懲役4~6年の不定期刑である。
 こんな少年法に「納得できる」という人がいるとしたら、是非顔を見てみたいものである。

 元々日本の少年法というものは、戦後の混乱期に、切羽詰まって生きる為に盗みなどをする戦災孤児などを想定して作られたものだ。
 悪いのは少年本人でなく、社会と家庭などの環境という考えに立っている。
 だから少年法は「立ち直り」を最優先していて、加害者にひどく甘い。
 今は、戦災孤児が多くいた戦後の焼け跡闇市の時代ではないのだ。
 加害者の少年の「立ち直り」だけ考え、被害者の痛みや気持ちなど省みない今の少年法など要らない、と筆者は思う。
 加害者にのみ手厚い配慮をして優しい現状の少年法は、むしろ被害者の敵だ。

 と言うと、非行少年に“理解”ある学者や弁護士などは、決まってこう言う。
「非行に走る少年は家庭に恵まれず、とても可哀想なんだ。オマエは良い家庭に育ったから、それがわからないんだ」

 自分の身内の事を悪く言うのは辛いが、ここで筆者自身の育って来た環境についても語っておこう。
 筆者の父は大酒飲みのギャンブラーだった。
 それもただだらしなく酔っぱらうのではなく、酔うと怒鳴り散らし、暴力も振るう種類の酒乱だった。
 事実、筆者も保育所に通っていた幼児の頃に、酔って虫の居所が悪かった父にブン殴られ、数メートルも吹っ飛んだ事がある。
 家計は主に公務員だった母の収入で成り立っていたが、父はその給料さえ取り上げては、競輪等に通ったりもしていた。
 どこからどう見ても、父はDV親父だった。

 また、筆者の一つ年上の姉は我が儘でヒステリー性格なのだが、とにかく外面の良い、学校の勉強がよく出来る優等生だった。
 家ではヒスを起こして我が儘も言っても、外では徹底的に良い子に振る舞っていた。
 だが筆者は違った。筆者は家でも外でも裏表無く行動し、勉強も授業やテストや受験に関係なく、図鑑や専門書を読みふけって自分の知りたい事を深く勉強していた。
 例えば、姉は明治維新と言えば人名と年号を暗記するが、筆者は「なぜ明治維新が起きたのか?」を歴史書を読んで考えた。
 筆者はテストで良い点を取る為の暗記ではない、物事を理解する為の勉強がしたかったのだ。
 そんな姉と筆者を比べて、学校の教師達も親戚の伯父伯母や祖父母達も皆「お姉ちゃんは本当に良い子だが、弟は出来損ないだ」と言った。
 年子だけに、小学校でも中学でも常に比べられ、「あのお姉ちゃんに比べて、弟は……」と馬鹿にされ続けた。
 中学の時の担任の教師になど、クラスの皆の前で「オマエはお姉ちゃんの爪の垢でも煎じて飲め」とまで言われた。
 出来損ない扱いは親戚も同じで、実の祖母にさえ「お姉ちゃんは良いけれど、この子は嫌いだ」と、面と向かって言われた。

 さらに筆者は生まれは東京だが、父が仕事で失敗をして東京に居られなくなり、幼い頃に他県に引っ越す事になった。
 そして筆者は、小柄でしかも病気がちで体も弱かった。
 男の子のセカイで、小柄で体の弱い異邦人がどういう扱いを受けるか、容易に想像がつくだろう。
 ハイ、もちろんイジメの対象になりましたとも。

 父親が酒乱のDV家庭に育ち、しかも年子の姉と比べられて常に貶められ、小柄で病弱なせいでいじめられもして。
 生育環境を振り返れば、グレて非行に走る理由は充分過ぎるほどあった。
 だが筆者は、性格はかなり曲がりはしたけれど非行には走らなかった。
 ネズミ捕りなどの軽微な交通違反以外で警察のお世話になった事は、本当に一度も無い。
 誰か良い理解者が居て支えてくれたのではないか、って?
 残念ながら、そんな恩人は筆者には誰一人いない。
 酒乱でDVの父親にも、姉と比べられて貶められ続ける事にも、子供時代の理不尽なイジメにも筆者は一人で耐えて生きてきたのだ。
 非行に走ったりグレたりしなかったのは、あくまでも筆者本人の判断と辛抱の結果であって、社会や環境や誰か恩人のおかげでは無い。
 だから断言するが、家庭環境は少年の凶悪犯罪の言い訳にはならない

 ネグレクトされ食事もろくに与えられない子供が、空腹に耐えかねて食べ物を万引きする。
 このような非行なら「悪いのは家庭や環境」と言えるし、同情できるしその罪を責めたくもない。
 しかし強盗や強姦や暴行や殺人などの凶悪犯罪には同情の余地は無いし、家庭や環境のせいには出来ないと筆者は考える。
 筆者の父は酔うと暴れたし、学校の同級生にも暴力を振るう悪ガキのイジメっ子は当たり前にいた。
 しかし筆者は、「喧嘩上等、気に入らなければ暴力を振るっても良い」とは全く思わないで育った。

 静岡県は、伊豆と駿河と遠江の三つの国から成り立っているが。
 それだけに、それぞれの地方で県民性もかなり違い、県内ではこうも言われている。
「もし本当にお金に困った時、どうするか。遠江の人は追い剥ぎ、伊豆の人は詐欺、そして駿河の人は乞食をする」
 今も強盗や詐欺をして逮捕された人が、よく「お金に困ったから」と言い訳をするが。
 例えばその場合、強盗犯はお金を奪うだけでなく相手に危害も加えるが、詐欺師はお金は騙し取っても少なくとも危害は加えない。
 そしてホームレスになる人は、自分の身を落としても誰の金も奪わず、誰にも危害を加えない。
 だから筆者は、「追い詰められた時に犯罪に走るかどうかは、環境ではなく本人の性格や人間性による」と考える。

 よく非行少年と接する警察官や少年院の教官や弁護士などは、「彼らは家庭などの環境が悪くて可哀想なんだ」と言う。
 確かに非行少年の家庭環境は劣悪な場合が多いのだろう。
 しかし少年犯罪の専門家達は、罪を犯した少年とばかり接しているが為に、「家庭環境が悪くても、自分の意志で頑張って非行に走らず真っ直ぐ生きている数多くの善良な人達が見えていない」ように、筆者には思える。

 本当に金に困って追い詰められても、強盗や詐欺などの犯罪に走る人ばかりではないのだ。他人を害するより、ホームレスになる事を選ぶ人だって間違いなくいるのだ。
 同様に、いくら家庭環境で追い詰められても、凶悪犯罪に走る人ばかりでは無いのだ。
 他人に暴力を振るったり、ましてや殺したりして良い筈が無い事くらい、子供でも充分にわかっている筈だ。
 今の「立ち直り」を最優先する少年法は、立ち直りに役立っているどころか、むしろ非行少年を調子に乗らせているのではないか。
「俺たちは“少年”だから罪が軽いし、実名もバレないしすぐ出て来れるもんね!」と。

 今年、東京の練馬区でこんな事件があった。
 高校一年生の少年が同級生に暴行し、バッタやミミズやヤモリ、さらには飼い犬の糞まで繰り返し食わせていた
 で、強要容疑で警視庁少年事件課に逮捕されたのだが。
 実はこのクソ少年は、これまでにも暴行と強要の容疑で二回も逮捕されているのだという。
 想像して貰いたい、暴行され、さらに虫や犬の糞まで食わされるのだぞ。
 それで二度も“逮捕”されても、すぐにまた世の中に出て来て高校生に戻り、またも同級生に暴行等を繰り返しているのだ。
 今の少年法がいかにザルで、立ち直りwwwにも役に立っていないか、この例だけでもよくわかろうというものだ。

 その練馬の事件で、同級生たちは「仕返しが怖かった」と話しているそうだが、気持ちは本当によくわかる。
 何しろ暴行と強要で逮捕されてもまたすぐに釈放され、学校や地元に戻って来て同じ暴力を繰り返すのだから。
警察は役に立たないし、少年法はクソだ」と、少年の周囲の被害者らは皆そう思ったのではないだろうか。
 何しろもしその加害者の少年がキレて、警察に被害を届け出た少年を殺したとしても、懲役4~6年程度で済んでしまうのだから。
 そして加害者の少年は匿名のままで、出所後は何食わぬ顔で再出発できるのだ。

 こんな実例もある。
 高校生の少年が、同級生を殺した。
 そして被害者の少年は母一人子一人の家庭で、事件後その母親は一人になった。
 一方、加害者の少年は少年院で通信制の高校を卒業し、大学(法学部)にも受かり、さらに司法官試験にも合格して弁護士になり、家庭も持ち豊かで幸せな暮らしを送っている。
 この加害者の少年は、少年法の理想のように見事に「立ち直った」。
 だがその少年は人を殺したという過去を無かったもののように振る舞い、被害者の母親に対する謝罪や補償もろくに無いままだ。
 と言うより、法律の知識を駆使し、謝罪と補償を求める被害者の母親に圧力をかける有り様なのだ。
 被害者は殺され遺族は不幸の底に沈んだままの一方で、加害者のみ「立ち直って」幸せになっている。
 こんな少年法に、筆者はどうしても良い感情を持てない。

 今年放送されたNHKスペシャルで、少年は何故キレやすいかを取り上げていた。
 それによると、若いうちは脳の衝動を抑える部分が未発達で、アクセルはあってもブレーキが効きにくい状態なのでキレやすいのだそうだ。
 それを考えると、少年の「カッとして暴力を振るってしまった」とか、「盗みたい衝動を抑えきれなくて、つい」というような犯罪には、成人より多少の情状酌量の余地はあるかも知れないが。
 しかし少年の大多数は「つい」万引きなどの盗みもしていないし、「カッとした」からといって傷害罪になるような暴力も振るったりしないし、ましてや人を殺したりしない

 少年の脳が衝動を抑えにくいように出来ていようが、家庭環境に問題があろうが、「凶悪犯罪を犯して許されて良い理由は何もない」と、少なくとも筆者は考える。
 大切なのは「加害者の立ち直り」ではなく、まず「被害者や遺族の支援」ではないか。
 少年法では、加害少年の立ち直りばかりが大事にされて。
 非行少年の「立ち直り」に手を貸す、善意の人達も組織もあって。
 その一方で、被害者とその遺族については「どうぞ自力で何とかして下さい」と放置されているのが現状だ。
 こんな少年法と「非行少年の立ち直り」など、クソクラエと言いたい。

 筆者にも少年であった時代もあるし、少年の知人もいるが。
 暴力や殺人が悪い事だと知らない少年など、筆者の知る限りでは全くいない
 非行を犯す少年達は、ほぼ皆、悪い事だとわかってやっているのだ。
 そして少年達は、自分らが少年法で守られ、大人より罪が軽く、罪を犯しても実名を知られる事も無いと知っている
 筆者の見る限り、今の少年法は非行を抑制するどころか、むしろ甘やかして犯罪を助長している

 少年の非行問題の“専門家”は、口を揃えて「厳罰化は、問題の解決にはならない」と言うが。
 専門家でない筆者は、決してそうは思わない。
 何故なら非行少年達は、少年法が自分達に甘い事を皆よく知っているからだ。

 例の練馬の、同級生に暴力を振るい虫や犬のクソを食わせていた少年だが。
 その少年が過去の二回の逮捕ですぐ自由にされることなく、初回で厳罰に処されていたら、同じ犯罪を同級生に繰り返すような事は無かったのではないか。
 暴力を振るわれ、虫や犬の糞を食わされ、耐えかねて警察に訴えても。
 少年法とやらでまたすぐ舞い戻って来て、同じ暴力と強要が繰り返される。
 その時の被害者らの無力感、「警察も法律もアテにならないし、自分達の味方ではない」と知った時の絶望感は想像するに余りある。

 冒頭で取り上げた、自転車の被害者をバイクで押して踏切に突っ込ませて死なせた加害少年にしても。
 こうして死なせれば大人と同じ刑が科され、間違いなく懲役十数年で下手をすれば無期懲役とわかっていれば、少なくとも犯行を躊躇ったのではないか。

 良い人や性善説の人は、絶対に認めたがらないが。
 世の中にはサイコパス、「他人の痛みを感じない、犯罪傾向の高い人」が科学的に間違いなく数%存在しているのだ。
 たやすく暴力的になり、衝動性が強くて罪悪感を持てない反社会性人格障害の人は、大人でも確実に、間違いなくいる。

 確かに少年の脳はキレやすいように、衝動を抑えにくいように出来ているのだろう。
 そして家庭環境の劣悪な、可哀想な少年も確かに存在する。
 しかし大多数の少年はキレやすい衝動に耐え、家庭に問題があっても凶悪犯罪は起こさずに真っ当に生きている
 少年で凶悪な犯罪を犯す者は、筆者は他人の痛みを感じず罪を犯しても良心が痛まない、生まれながらのサイコパスなのだろうと思う。
 そしてその反社会的なサイコパスに「少年だから」と甘い処分を下すのは、絶対に間違いだと考える。

 被害も少ない軽微な犯罪まで含めて、「少年法など無くしてしまい、大人と同じように罰しろ!」と言うつもりはないが。
 少なくとも被害者の痛みが大きい凶悪犯罪については、少年法を適用して刑を軽くするのはやめていただきたいと思う。

 例えば少年に暴行されて、人が殺されたとする。
 その恐怖と痛みは、加害者が少年か大人かで違うだろうか?

 凶悪犯罪の被害者の立場から言えば、加害者が少年だろうが大人だろうが、殴られ、いたぶられる痛みと恐怖と屈辱に何も関係ないのだ。
 そして加害者の立ち直りより、被害者の心身のケアがまず優先と考えるのは、常識ではないだろうか。
 しかし日本では、少年犯罪は「まず加害少年の立ち直りを」と言われる。
 それがどうにも、筆者には納得が行かない。
 示談で済まされるような犯罪はともかく、凶悪犯罪に関しては少年も大人と同じように裁くべきだと筆者は考えている。

PageTop

「誤解を招く発言」という欺瞞と傲慢

 近頃、与党の閣僚や要人の失言が相次いでいるが。
 そして発言が問題になると、近年の閣僚はよくこう言う。
「誤解を招く発言をしてしまい……」

 誤解を招く発言、って一体何なのだ?
 少なくとも筆者には「発言そのものは間違っておらず、国民が誤解してしまったのだ」と言っているようにしか受け取れない
 自らの非や誤りを認めず、国民の受け取り方の問題に責任転嫁している以外に見えないのは、筆者だけだろうか。

 例えば最近の、稲田防衛相の発言について考えてみよう。
 都議選の応援に行った稲田防衛相は、皆の前で間違いなくこう言い切った。
防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたいと思っている
 防衛省という役所とその長として、自衛隊という組織として自民党の候補の応援をしているとしか理解できないし、稲田防衛相は間違いなく禁じられている自衛隊の政治利用をしたいと考えているとしか思えない
 しかし発言が問題にされると、稲田防衛相はまたしても例の言葉を言った。
「誤解を招く発言をしてしまい──」

 同じ発言を撤回して謝罪するにしても。
「私は間違いを犯しました、申し訳ありませんでした」
 非を認めてそう素直に謝るのと。
「誤解を招く発言をしてしまい……」
 そう言い逃れて言葉を濁しつつ暗に非を認めず、責任を“国民の理解力不足”に転嫁するのでは、意味も印象も全く違う。

 閣僚とは責任の規模がまるで違うが。
 筆者も仕事や私事でミスを犯した事が、幾度となくある。
 その際、筆者は自分の非は認めて全面的に謝る事にしている。
 言い逃れをしたり誤魔化したりせずに率直に謝り頭を下げるのが、相手の心証も最も良くなり結果的に許していただける可能性が一番高くなると経験的にわかっているからだ。
 相手が893関係者や既知外など、よほどタチの悪い人である場合は別として。
 間違った事をしてしまったら、非を認めて謝るのが最善の道だし、その前に人として当然の事ではないか。
 なのに与党の偉い人達の中には、「謝ったら負け」とでも思っているかのように振る舞う人が多いのに呆れる。
 まずはとぼけてシラを切り、証拠を突きつけられて言い逃れが出来なくなると「誤解を招く発言をしてしまい──」と、問題を国民の理解力にすり替える。
 そして「誤解」の言い逃れすら出来ない状況に追い込まれると、入院という手段を使って逃亡する始末だ。
 例の豊田真由子代議士にもし本当に入院の必要があるとすれば、それは精神科の他にあり得ないと思うが、違うだろうか。

 それにしても。
 稲田防衛相や豊田真由子議員も酷いが、安倍首相はもっと酷い。
 安倍首相の面の皮の厚さと嘘の多さは、本当に呆れるほどである。

 この7月1日に、東京都議選の応援の為に秋葉原駅前に出た安倍首相は、『安倍やめろ』の横断幕やプラカードを掲げた人々に迎えられ、「辞めろ!」という大合唱を浴びせられた。
 それに激昂した安倍首相は、その群衆を指さし、声を荒らげてこう言ったた。
「あのように、主張を訴える場所に来て演説を邪魔するような行為を、私たち自民党は絶対にしません。憎悪からは何も生まれない。相手を誹謗中傷したって何も生まれないんです。こんな人達に私たちは負けるわけにいかない」

安倍・秋葉原②P1110750安倍・秋葉原①P1110747

 2013年3月29日の参院予算委員会で、安倍首相はこう言った
あまり人を指さすのはやめた方がいい、人としてのまず初歩です
 その“人としての初歩”が出来ておらず、反安倍の人達とは言え有権者である国民を指さし、「こんな人達」と声を荒らげたのは、どこの誰か

 秋葉原の街頭演説では「主張を訴える場所に来て演説を邪魔するような行為を、私たち自民党は絶対にしません」と言いつつ、国会で度々野党の質問に野次を飛ばし、挑発的な答弁をしてきたのはどこの誰か
「日教組はどうするんだ!」
「早く質問しろよ!」
 安倍首相自身がそうした野次を国会で飛ばしてきた事を、筆者は決して忘れない。
 日教組云々(でんでん、ではない)の野次は、西川農相の政治献金問題を追求され、「野党だって日教組から貰っているだろうが」という意の野次であったが。しかし後に野党は日教組からの献金を受けていない事実がわかり、首相が陳謝する事になる。
 また今年の6月5日の衆院決算行政監視委員会では、加計学園の問題を巡り安倍首相から「野次を飛ばすのは止めていただきたい」と野党に注文をつけておきながら。
 その僅か10分後の野党の質問中に、首相自ら「いい加減な事ばかり言うんじゃないよ!」と野次を飛ばし、委員長から注意を受ける始末
だ。
 ちなみにこの安倍首相は、衆院予算委でこうも言っている。
「品の悪い言葉はやめた方がいい。それが民進党の支持率に現れている」
 安倍首相の言動のどこに品があるかと、筆者は逆に問いたい。

 戦争法案も共謀罪も反対を押し切り、数の力で強行可決して。
 森友や加計の問題も、数の力で追求をかわして。
 そしてその度に、決まり文句のように「丁寧な説明をする」と約束してきた安倍首相だが。
 それらの法律や疑惑について、一度でも国民が納得するだけの「丁寧な説明」をした事があったか
 いつも時を稼ぎ、国民が問題を忘れるのを待つばかりではなかったか。
 筆者は断言するが、安倍首相とそのお仲間は鉄面皮の大嘘つきである。

 他人(野党や反対勢力)は責めるが、自分の非は決して認めない。
 失言はすべて国民の誤解。
 野党の野次は許さないが、自分は野次を言い放題。
「人を指ささないのは人としての初歩」と説きつつ、「安倍辞めろ!」と言われると指さして怒り出す。
 何度も約束した「丁寧な説明」も、一度たりとも果たさない。
 こんな人が、今この日本の国を率いている。


 さすがに国民もこんな政権のおかしさに気付いてか、安倍政権の支持率は下がりつつある。
 そして「こんな人達に負けるわけにいかない」と安倍首相が言った都議選で、自民党は歴史的な大敗をした。
 かつて「品の悪い言葉はやめた方がいい。それが民進党の支持率に現れている」と言った安倍首相だが、その言葉がそっくりそのまま安倍自民党に返っているようだ。

 しかしこの安倍政権下で、特定秘密保護法も戦争法案も共謀罪も既に成立してしまっている。
 戦前の日本が大好きの安倍政権の独善と危険性に国民が気付くのが、少し遅すぎたのではないかと筆者は恐れている。

 筆者はインテリ層はほぼサヨクだった学生時代から、ずっと自民党を支持してきた。
 そして小泉政権の誕生と同時に、自民党を支持するのを止めた。
 さらに安倍政権下で、はっきり反自民にスタンスを変えた。

 だが筆者は、本質的にはサヨク嫌いの保守なのだ。
 いくら安倍首相ら日本会議に近い清和会中心の自民党が嫌いでも、民進党が支持するに足る政党ではない事もよくわかっている。
 ついでに言えば、無神論者の筆者は宗教政党はもちろん、政治に口出しする宗教勢力も大嫌いだ。それが某学会だろうが神社勢力だろうが、政教分離はきちんと守っていただきたいと思っている。
 筆者は個人主義者ゆえ、自由をとても重んじる。だから共産党はもちろん、自民党より右の極右政党などの、左右両方の全体主義的な政党も嫌悪している
 となれば、どうしても自民党が“まとも”になってくれる事を期待するしか無いではないか。
 国民に天皇を人としてではなく再び神として崇拝させたい戦前大好きの神社勢力と手を切り、安倍首相や小泉元首相らの清和会でなく保守本流と言われた人達が自民党で勢力を伸ばしてくれる事を、保守でかつては自民党を支持していた者として心から願ってやまない。
 かつての自民党はこんな戦前の日本が好きで全体主義的な党ではなく、もっと国民に優しい民主的な党だったのだが。

 自民党は、英語ではこう書かれている。
 the Liberal Democratic Party.
 そうなのだ。
 自民党とは、リベラルでデモクラティックな党の筈なのだ。
 しかし今の安倍自民党のどこに、リベラルとデモクラティックがあるか

PageTop

恥知らずな本土の“ウヨク”たち

 この6月23日に、沖縄県糸満市摩文仁の平和記念公園で、今年もまた沖縄全戦没者追悼式が営まれた。

 初めに断っておくが筆者は本土の人間で、親戚にも沖縄県民はただの一人もいない。
 そして戦争映画や戦争のドラマで登場人物の軍服を見ただけで、どこの国の軍隊かだけでなく、階級まで一発で言えてしまうレベルのミリオタでもある。
 戦車や装甲車をチラッと見ても、「九七式中戦車チハ改だね」とか「転輪から見て、これはティーガー重戦車の前期型だ」とか、すぐにわかってしまう。
 ただそれだけでなく、それぞれの軍がどう戦ったか、戦史についても一般人以上に詳しく知っているつもりだ。

 で、その筆者が断言するが、あの戦争で沖縄に配備されていた日本軍は、沖縄島民を守る為にそこにいたわけではなかった
 日本の大本営は、沖縄を米軍の本土侵攻を一日でも遅らせる為の捨て石として使ったのだ。
 だから大本営は沖縄の日本軍に持久戦を命じ、そして沖縄の日本軍はそれに従い、島民まで戦闘に利用した。
 日本軍が現地の少年を鉄血勤皇隊として最前線に駆り出しただけでなく、少女まで従軍看護婦として利用した事は、誰にも否定できない史実である。

 沖縄は本土を守る為の捨て石なのだから、日本軍には「島民を守る」という意識などまるで無かった
 それで若い島民を戦場に追い立てただけでなく、沖縄の方言を使っただけでスパイとして虐殺したり、島民の食料を強奪したり、島民を壕から追い出したりもした。
 日本兵が壕の中で泣く幼子を殺すような事も、沖縄の各地で起こった。
 その結果、兵士でも何でもない沖縄県民の四分の一が亡くなった。

 何しろ「島民の命より、本土を守ることが大事」なのである。
 沖縄での戦いの特徴は、島民(非戦闘員)に対する配慮が全くなされず、正規軍より沖縄の住民の犠牲の方が多かったということだ。
 断言するが、日本軍は沖縄で住民を守らなかった
 日本軍が戦ったのは、本土を守る為にである。
 だからつい先日亡くなった沖縄県元知事の太田昌秀氏も、自ら鉄血勤皇隊として沖縄戦を戦った経験から、「軍は決して住民を守らない」という思いを強く抱くようになってしまった。

 全ての軍が、自国の民間人を守らないわけではないのだが。
 例えば大戦末期の東部戦線のドイツ軍は、残虐行為を働くロシア兵からドイツの民間人を守る為に、負け戦とわかりつつ圧倒的に優勢なロシア軍と戦った。
 そして撤退する時にも、避難民の先頭に立ち退路を切り開いた。
 だからドイツ人はナチスと戦争を起こす事に対しては今も強いアレルギーを持ちつつ、「軍隊=悪」という考えは持たなかった。
 そして日本の“軍隊”が今でも名目は自衛隊のままであるのと違い、ドイツは戦後早くに再び軍隊を持つようになった。

 ドイツ軍には「ヒトラーとナチスに従い、侵略戦争を起こした」という非もあるが、少なくとも大戦末期には国民を守ろうともした。
 そういう軍隊もあるのに、沖縄の日本軍は住民を守るどころか、住民を戦場に追い立て、その食料や命を奪い、本土を守る為の犠牲にした
 その沖縄戦の歴史と現実を、本土の日本人は決して忘れてはならない。
 軍は、少なくとも建前は国と国民を守る為のものであるが。
 しかし日本軍は沖縄で住民を守るどころか、むしろ死に追いやった。
 だから沖縄の人が「軍は住民を守らない」と思ってしまうのも、無理からぬ事なのである。
 軍に対する抵抗感が本土と沖縄で違うのは、歴史的に見て当然の事なのだ。
 そして今でも、「県のあちこちを米軍基地として接収され、米兵が治外法権的な存在として君臨し、頭上を米軍機が飛び交っている」という現実が、沖縄にはある。

 にもかかわらず沖縄の人が米軍基地に批判的な発言をすると、本土の日本人から「反日」だの「売国奴」だの、さらには「死ね!」と罵声を浴びせられるそうだ。
 そのような愚かで心ない日本人が少なからずいる事を、筆者は同じ日本人として恥ずかしく思う。

 基地に反対する沖縄の人を、「反日の売国奴」呼ばわりする日本人に聞きたい。
 貴方の都道府県に、沖縄に匹敵するくらい多くの米軍基地があるか。
 貴方の頭上に、いつも米軍機が轟音を立てて飛んでいるか。
 貴方の周囲に、当たり前に米兵とその家族が存在しているか。

 米軍基地の大半を沖縄に押しつけておいて。
 自分の家の近くには米軍基地も無く、頭上を米軍機が昼夜を問わずに飛ぶことも無く、各種の特権で保護された米兵とその家族が近所を闊歩しているわけでも無いくせに。
 なのに基地に反対する沖縄の人を「反日の売国奴」呼ばわりする本土の日本人こそ「死ねばいい」と言いたい。


 本土を守る捨て石にされた沖縄戦の現実を知り、さらに異常に米軍基地が集中している沖縄の現状を知っていれば、基地に反対する沖縄の人に「反日の売国奴め、死ね!」などと心ない言葉は言えない筈だ。
 筆者は「沖縄の米軍基地は無くすべきだ」とまでは思っていない。
 しかし日本を守るのに日米同盟と在日米軍が必要なのであれば、在日米軍とその基地の負担は各地域で公平であるべきだと考えている。
 自分の近所に米軍基地を置かれるのは嫌なくせに、過重な基地負担に苦しみ基地に反対する沖縄の人を「反日の売国奴」呼ばわりするなど、全くもって笑止千万である。
 もし米軍基地に反対する沖縄の人を、「反日の売国奴」と罵るならば。
 それと同時に米軍基地を貴方の住む地方自治体で受け入れたいと宣言して、貴方の愛国の志を見せてみたらどうかね、日本のウヨクの諸君!
 まさか「自分の街に米軍基地が出来るのは嫌だが、基地に反対する沖縄の人間は反日の売国奴」というわけではあるまい?

 ウヨクの人間達は、よく「基地が無くなり米軍が居なくなったら、沖縄はすぐ中国に取られる」と言うが。
 そう言う人間は、軍事の知識が無さすぎるし勉強不足だ。
 詳しく説明すると長くなってしまうからかい摘んで言うが、沖縄にいる米軍は、沖縄を守る為に居るのではない事くらい、その編成を見ればわかる。
 沖縄に駐留する米軍に、なぜ海兵隊が多い? そもそも海兵隊とは「攻めて来た敵を迎え撃つ為の軍」でなく、「上陸作戦の専用部隊」なのだ。
 アメリカ様が、無人の小島のたかが尖閣諸島ごときを取られたら奪い返す為に、沖縄に駐留して下さっていると思うか?
 それとも、沖縄を中国の脅威から守る為に駐留して下さっていると?
 違う。
 あの沖縄の海兵隊は、東アジアに有事が起きた際に、東アジア(台湾や韓国など)に在住するアメリカ人を救出する為に存在しているのだ。
 そもそも沖縄の米軍とはその為に存在するのであって、ウヨクのよく言う「沖縄に攻めて来るかも知れない中国軍を迎え撃つ為」に存在してくれているのではない
 軍事を知る者ならわかる筈だが、沖縄の米軍は、沖縄に攻めて来た侵略軍を迎え撃つ為の編成と装備ではない。

 本土を守る捨て石にされた沖縄戦の現実も知らず、基地の加重負担の現実にも目もくれず、米軍が沖縄に何の為に居るのかも理解せずに、基地に反対する沖縄の人に「反日の売国奴、死ね!」と罵声を浴びせる。
 そんな本土の日本人が少なからず存在する事を、同じ本土の日本人として心から恥ずかしく思うし、沖縄の人々に申し訳なく思う。

PageTop

初島に行ってはならない!(熱海市沖の鬼の棲む島)

 宮城県の田代島など、猫が目玉となって観光客を呼び寄せている“猫島”が、近年では幾つもある。
 そして島民と猫が共存する姿が、よくテレビなどで紹介されているが。
 それとは真逆の、島民が猫を虐待して死に追い込んでいる“鬼ヶ島”が、この日本に存在している事実を、貴方はご存知だろうか。
 その島は東京から楽に日帰りで行ける所に存在し、しかも観光を島の売り物にもしている。

 その島は、熱海市の南東約10kmの海上に浮かぶ初島という。

 その初島では島民が「猫に絶対餌をやるな!」という掟を作り、さらに島民同士が互いに監視をし合い、子供にも「猫に餌をやるな!」というポスターを書かせて、観光客や釣り客が通る桟橋近くの掲示板に掲示させているのだ。
 そして島民が観光客や釣り客にも猫に餌を与えないよう注意している為、猫達は哀れなほどに痩せ細っているそうだ。
 しかも周囲が海という島に住んでいる為、島民に邪魔にされても逃げる事も出来ず、食べていた蛇や蛙や虫なども食べ尽くしてしまい、一時は200匹近いたのが50匹前後にまで激減しているという。

 と言うと、「猫に餌をやるなと言う気持ちもよくわかる」と、島民を擁護する人達も必ず出て来るだろう。
 野良猫の糞などの害を減らす為、「野良猫に餌をやるな!」と住人たちが約束し合うような事は、まあよくある話だ。
 しかしこの初島のケースは、他の町での野良猫問題とは事情が違う。
 この島民に邪魔にされている猫達というのは、元はと言えば当の初島の島民が持ち込んだものだからだ。

 熱海市の初島は、数ある日本の島々の中でもかなり異色な、閉鎖的な島である。
 島民は農業や漁業をする傍ら、近年では観光にも力を入れている。
 しかし「東京から近いから」とうっかり観光に行った貴方が初島の外面だけ見て惚れ込んでしまい、「島に移住したい!」と思っても、それは絶対に無理である。
 乏しい島の耕地を確保する為、初島では江戸時代から「島の戸数は42戸」と決めて増やす事を決して認めていないからである。そして耕地はその42戸に平等に分割され、漁業も共同で行っている。
 だから観光化を進めながらも島民の団結は異様に固く、「猫に餌をやるな!」と決めたら全戸でそれを守り、子供にまで餌やり禁止のポスターを書かせる徹底ぶりである。

 そこまで初島の島民が嫌う猫達であるが、初島の島民達はかつて例の均等分割した狭い耕地で落花生やジャガイモの生産に努めていた。
 が、その落花生やジャガイモを食い荒らす鼠も増えた。
 それで「島民が鼠退治の救世主として猫を島に連れ込んだ」のである。
 その猫達のおかげで、ネズミは減少した。
 さらにその後、島民が耕地で作るものを大根に切替えたこともあり、鼠は姿を見せなくなった。
 そして不要になった猫達が、初島の島民に見捨てられ、邪魔にされたというわけである。

 で、団結力の固い初島の島民らは「猫に絶対餌をやるな!」という掟を作り、互いに監視し合い、子供にも「猫に餌をやるな!」というポスターを書かせて観光客や釣り客が通る桟橋近くの掲示板に掲示させ、猫達を餓死に追い込んでいる。
 島民の都合で勝手に島に猫を連れ込んで鼠退治に使い、要らなくなったら邪魔者扱いして餓死に追い込む
 これが江戸時代からずっと42戸で暮らしている、異様に結束の固い初島の島民の実態である。

 猫を飼えば繁殖するのは、誰だってわかっている事ではないか。
 だから島で増えて困るならば、まず島に猫を持ち込む前に避妊手術を受けさせるべきなのだ。
 実際、筆者も猫が好きで猫と共に暮らしているが、家族に迎えた猫すべてに自費で避妊手術を受けさせている。
 それもせずに猫が増えた、そして鼠退治に要らなくなった、だから邪魔だから餌やり厳禁にして餓死させるとは、初島の島民の所行は身勝手を通り越してまさに「鬼のやること」だ。

 自分達が連れて来て鼠退治に役立てた猫ならば
 たとえ鼠退治の役目が終わっても、飼い猫あるいは地域猫として生涯面倒を見るのが“人の道”ではないか。
 増えて困るなら、自費で避妊手術を受けさせれば良いだけの話だ。
 元々は島民が鼠退治に役立てていた猫達なのだ。島が地域猫として養うのが当たり前だろう。
 しかし熱海の“鬼ヶ島”である初島の島民達は、全くそうは思っていないのである。

 で、静岡県の動物愛護団体が初島に行き様子を見に行ったところ、食べ物を欲しがって近寄って来た猫を抱き上げると体は骨と皮でゴツゴツしていて、体重も紙のように軽かったという。
 子猫も体の丸さは全く無く、目は吊り上り可愛らしさが失せていた。
 そして島民も、子猫は育っていないと言っていた。

 それで動物保護団体が熱海市役所の環境企画室と熱海保健所に対し、初島の猫達に餌をやり、不妊手術、地域猫として生きられるよう島民と話合いが出来るよう申し入れた
 すると市と保健所は、当初は「とても無理、島民が聞き入れるわけが無い」と言っていた。
 それでもやがて島民との話合いの方向に動いてはくれたが、初島の区長は「8月~9月の中頃までは観光客が多いので商売の邪魔になる!」と行政との話合いを拒否したのである。

 初島の猫達のことが気になる動物愛護団体が「せめて餌だけでも与えさせて欲しい」と懇願したのだが、行政が「島民の意志を無視するような事をすれば、トラブルとなり元も子も無くなってしまうので絶対に駄目」と言ってそれを止めた。

 それで動物愛護団体が、動物愛護法、地域猫、静岡県動物愛護推進計画、餌やり等について、理解と協力を求めるチラシを島内全ての所帯・ホテル住民に撒いた。
 そして痩せた猫達への餌やりをしたところ、島民から非難と罵声を浴びせられたという。

 初島の猫達の問題で、さらに熱海市の環境課長と環境企画室長と保健所課長と係員の4名と、初島区長とで話し合いが行われたのだが。
 区長の言い分によると、「不妊手術をすることは、島民に対して金銭的、労力的に一切負担を掛けなければ認めるが、地域猫として餌をやることは認めない。猫は野生動物だから餌をやる必要はない」そうだ
 また初島の区長によれば、「動物愛護団体は宗教団体と同じだから会いたくない!」そうだ。

 そんな初島の区長に、熱海市側が「猫を観光の目玉としたらどうか?」と提案し、さらにこう問いかけた。
「過去に自分達の都合で利用した猫に餌を与えない事がテレビや新聞で報じられたら、観光で生きている島民が困ることになるのではないか?」
 すると初島の区長は、こう答えた。
「別に困ることは無い」

 初島の島民は猫を観光の目玉にするつもりは無いし、自己都合で利用した猫を餓死に追いやっている現状を知られても、全く困らないそうである
 しかも自分達が連れ込んだ猫の不妊手術の金銭や労力の負担は島民には一切かけるな、そして動物保護団体や公的機関のお金で避妊した猫に餌をやることも認めないと言い張るのだから、初島島民の面の皮の厚さは尋常ではない。

 実は初島の島民は、島の猫達をただ餓死に追い込んでいるだけではなかった。
 平成の初め頃には京都の三味線業者を入れ、猫を捕獲させていたのだ。
 ただ初島の猫達が避妊もされず餌も与えられずに放置されていたゆえ、餌の取合いや繁殖期の喧嘩の傷が皮に残っていて、三味線の業者も買い取らなくなった。
 それで三味線の皮にされる為に命を落とすことは無くなったが、狭い島にある餌、蛇や蛙や虫を食べ尽くして、次々に餓死してゆくことになった。
 また島民の中には、「よく生きた雀を紐に吊るしてそれに飛びついた猫を捕らえて、動物園の餌にしたものだ」と言う者もいる

 筆者は何も、「野良猫に餌をやって保護しろ!」と言っているわけではない
 何度も繰り返すが、初島の猫は、島民が自分達の畑を荒らす鼠を退治する為に連れて来たのである。
 初島の区長は「猫は野生動物」と言うが、本土から10kmも離れた小島に猫が昔から自然に存在していたわけが無かろう。
 今、猫を敵視して餓死に追い込んでいる島民自身が初島に持ち込まなければ、猫は絶対に初島には存在しない筈なのだ。
 だから初島の島民には、猫が増えて困るなら自費で避妊手術を受けさせ、地域猫として餌をやり一生を全うさせる責任がある
 法律云々ではなく、人としての道の問題だ。

 にもかかわらず初島の島民は、自分達が持ち込み、鼠退治に役立てた猫達を、用が無くなったら「餌は絶対やるな、三味線の皮に売れ、それが無理なら餓死させろ!」と虐待する始末だ。
 この鬼のような初島の島民には「恥を知れ!」と言いたいし、少なくとも動物を愛する心がある人には、こんな島に観光になど絶対に行ってほしくない
 今は猫ブームで、初島にも「首都圏に近いし、猫を観光の目玉に出来るかも」と考える人が出始めているかも知れないが。
 自分達島民が連れて来て鼠退治に役立てた猫達を、用が無くなったら虐待して死に追い込んだ酷い鬼ヶ島であることを、少なくとも筆者は絶対に忘れない。

PageTop

アメリカ人に問いたい!(韓国人従軍慰安婦問題を考える)

 この6月2日の毎日新聞に、僅か二段のこんな小さな記事が載っていた。

 アメリカ南部ジョージア州のブルックヘブン市議会は、韓国系の市議の提案で、市内に日本軍の従軍慰安婦問題を象徴する少女像を設置することを全会一致で決定した。
 アーンスト市長は「現在も世界で続いている性や人身売買問題に対する意識を高める」と述べ、他の都市にもこうした取り組みを促す意向を示している
という。

 前提として断っておくが、筆者はあの日本が起こした戦争を「アジアを白人支配から解放する正義の戦いだった」などと美化したり、「日本を守る為のやむを得ない戦いだった」などと自己正当化したりするつもりはないし、「あれは日本の侵略戦争であった」と断言する。
 よく右翼が「デッチ上げだ!」とイチャモンをつける南京大虐殺についても、「中国が主張する犠牲者の数には疑問はあるが、虐殺そのものはあった」という立場だ。
 だから日本の右翼に言わせれば、筆者は「日本を貶める媚中で反日の自虐史観の持ち主」なのだろう。

 しかしその筆者でも、日本軍が韓国人の少女を含む女性を強制的に慰安婦にしたことは「ほぼ無かった」と思っている。
 事実、太平洋戦争で日本軍の兵士として戦いアメリカ軍の捕虜となった韓国人も、アメリカ兵に「日本軍が韓国の女性を無理矢理に従軍慰安婦にするような事は無かった。もしそんな事をしたら、韓国人は暴動を起こしただろう」と証言している
 その事実は、毎日新聞でも大きな記事としてきちんと報じられている。

 確かにオランダ領のインドネシアでは、日本軍は捕らえたオランダ人の少女を含む女性たちを将校らにあてがい、無理矢理に慰安婦にした。
 その事実は誰にも否定できないし、だから天皇陛下もかつてオランダを訪問した時に、その事について謝罪もなされた。

 しかしそのインドネシアで捕らえられたオランダ人女性の問題と、韓国人の従軍慰安婦の問題は事情が違う。
 オランダ人女性は占領地で捕らえられ、収容所に監禁された中から強制的に性奴隷にされたのだが。
 しかし当時の韓国人は、実態はどうあれ“日本国民”だったのだ。
 二等国民扱いされたという実態はあるが、建前としては韓国人も“日本人”だったのだ。
 だからこそ、戦前の日本の高等学校や大学には韓国出身の学生が居たし、より良い暮らしを求めて朝鮮半島から日本に移り住んできた韓国出身の労働者も大勢いた。
 日本軍が大陸から捕らえてきて日本で強制労働させた中国人の労働者と、自らの意志で半島から日本に仕事を求めてやって来た韓国人の労働者を一緒くたに見てはいけない。
 日本軍が韓国人の少女をかり集めて慰安婦として性奴隷にしたという確かな証拠はどこにも無いし、建前としては“日本人”であった韓国人の女性に、そんな事ができる筈も無かったのだ。
 それに米軍の捕虜になった韓国人の“日本兵”がアメリカ軍に証言しているように、日本軍がそんな真似をしたら韓国人は暴動を起こしただろう。

 筆者の母の知人に、大戦中に民間人として中国や韓国で暮らしていた人がいる。
 その方によると、中国人は少しも怖くなく、夜も平気で中国人街を歩けたそうだ。しかし韓国人はとても恐ろしく、韓国人街は一人ではとても歩けなかったと話してくれた。
 確かに今でも中国人は腹の内はどうあれ少なくとも表面的には愛想が良く、それに比べて韓国人には気性が激しく物言いもきつい人が多い。
 その韓国人が、同胞の少女達を外国軍(日本軍)に性奴隷として連行されて黙っているなど、とても考えられない話ではないか。

 こんな話がある。
 かつての日本軍は度々野外演習を行い、そして時には演習に出た先で、民家に分かれて泊まる事もあった。
 すると必ず、数ヶ月後に泊まった民家のお父さんのうちの誰かが、娘を連れて連隊に怒鳴り込みに来るのだそうだ。
「お宅の兵隊がウチの娘に夜這いをかけて、娘が妊娠してしまった、どうしてくれる!」
 その対応にあたる古参の下士官は、部下の兵にこうぼやいたそうだ。
「兵隊は、助平と決まっているからな」

 英国のBBCに右翼のナショナリストと断言される安倍政権のもと、時代が右傾化する中で、日本の右翼たちは「皇軍の軍紀は世界一だった」と自慢する。
 しかし実態は、野外演習に出て好意で泊めてくれた民家の、同胞の日本人の娘さんにまで夜這いをかけて孕ませ、古参の下士官に「兵隊は、助平と決まっている」とぼやかせるような有り様だったのだ。
 このような兵隊が国外に出たら、どうなるだろうか。
 それがわっていたから、軍は韓国や中国に慰安所を設けたのだ。
 ただそこで働く女性を集めるよう業者(女衒というやつ)に依頼はしたものの、日本軍が直接に韓国人の少女や女性を武力でかり集めたという確かな証拠は何も無い。

 日本の公娼制度は、GHQにより1946年に廃止されたが。
 しかし現実には売春防止法が施行される1957年まで、遊郭で買売春が公然と行われていた。
 問題とされる韓国人の従軍慰安婦がいた時代には、日本の国内でも、日本の貧しい家の少女がその意に反して借金のカタとして売られていた。
 二・二六事件そのものは暴挙だが、決起した青年将校たちには、そうした国内情勢に対する怒りもあった。

 当時の日本国内では、貧しい農村の娘たちがそれくらい当たり前に売られていた。
 それと同様に、韓国人の従軍慰安婦も、その親により業者に売られ、そして売られて行った先が日本軍の慰安所だったに過ぎない。
 その少女としては不本意であったろうし辛かったであろうとも思うが、「恨むならまず貴女を売った親にしてほしい」と思ってしまう筆者は、冷酷なのだろうか。

 無論、兵士が慰安婦、平たく言えば売春婦を買うことは誉められた事ではない。
 しかし慰安所を設けて買売春を行ったのは、決して日本軍だけではない。
 例えば今では「韓国人従軍慰安婦=日本軍の性奴隷」というイメージだが。
 しかしそのイメージと違って、韓国人の女性は韓国に駐屯した米軍にも、同国民である韓国軍に対しても従軍慰安婦として働いていた。
 韓国人の従軍慰安婦は、米軍もそして韓国軍も利用していたのだ。
 その事実を日本人も韓国人もそしてアメリカ人も、もっとよく知っておくべきである。
 にもかかわらず日本だけが悪者にされて責められ、謝らせられているのである。

 筆者も「韓国人女性を従軍慰安婦に使って何が悪い、米軍も韓国軍も使ってたじゃないか!」と、ただ居直るつもりは無い。
 しかし従軍慰安婦の問題は、韓国政府と既に解決済みである。
 非は詫び、お金も出している。
 にもかかわらず韓国人は従軍慰安婦の、ことさら幼い少女の像を各地に設置して日本を「ロリの性犯罪者」と貶めようとしている。
 それが実に腹立たしい。
 同じように慰安婦を使っていた韓国とそしてアメリカに、「その問題で日本を責める資格があるのか!」と問いたい。

 アメリカと言えば、米兵は戦後に日本に進駐した後、日本の女性をよく買っていたではないか。
 いや、買うどころではなく、権力をかさに着てその意に反した性的暴行もした。
 アメリカに占領された沖縄で、「アメリカ兵は昼には民主主義を説き、夜には女を求めて民家に押し入ってきた」と、当時を知る沖縄の人が証言している。
 また、沖縄で捕らえた民間人のうち若い女性だけを選んでトラックで連れて行き、性的暴行を加えたという話もある。
 占領地で日本人女性に性的暴行を加えた話については、まずソ連(ロシア)兵が問題にされるが。実はアメリカ兵も、決して誉められた行動をとっていたわけではないのだ。

 韓国の従軍慰安婦の問題について、日本が謝罪しお金も出して政府間で最終合意に至った筈だ。
 にもかかわらず、その後も各地に慰安婦像を設置しようとする韓国人の姿勢にも腹が立つが。
 筆者はそれ以上に、「自分達は正義の味方で清廉潔白」のような顔をしているアメリカ人の方が、より憎らしい。
 日本軍の従軍慰安婦問題を象徴する少女像の設置を決定し、「現在も世界で続いている性や人身売買問題に対する意識を高める」と言った、ジョージア州ブルックヘブン市のアーンスト市長に問いたい。
米軍も韓国では、韓国人女性の慰安婦を利用していた事実を知っていますか? 米兵は日本でもさかんに女性を金で買い、時には性的暴行もしているのに、アメリカ人に他国を責める資格があると思ってるのですか?

 世界各国に今も駐留する米兵たちは、性犯罪も犯さず、女性も買わずに清廉潔白に過ごしているのだろうか?
 いや、在日米軍の兵士は今日もどこかで日本女性を買っているのではないかと思うが、それは筆者の勘違いだろうか。
 薄っぺらい正義感と「アメリカ・ファースト」の意識に駆られてか、正しい事をしていると信じてアメリカ国内に日本を責める韓国人従軍慰安婦の像を設置するアメリカ人の無神経さが、心の底から腹立たしくてならない。

 どこの国にも「自分の国は絶対悪くない!」と他国ばかり責めるナショナリストは存在する。
 靖国神社の遊就館の歴史観を見ればわかるように、事実を認めず「自分の信じたいものしか見ない」偏狭な国粋主義者は、この日本にも存在する。
 だから韓国国内に慰安婦の少女像を設置する人達の存在は、百歩譲ればまあわからないでもない。
 だが自国の兵士が日本を含めた占領地で女を買い、あるいは性的暴行もしているのに、己は性や人身売買問題に対する意識が高いつもりで、日本を貶める韓国人従軍慰安婦の少女像を設置するアーンスト市長とジョージア州ブルックヘブン市民とアメリカ人の「盗人猛々しい」としか言いようのない神経の図太さは、百万歩譲っても筆者には理解できない。

PageTop

読売新聞と一部テレビ局にもはや“報道”は存在しない


 安倍政権下で特定秘密保護法と戦争法案が押し通され、共謀罪もまた可決目前となって。
 戦後レジームを敵視する安倍首相の政策により、日本は今や戦前の大日本帝国に姿を戻そうとしている。
 それと同時に、安倍首相のお友達ばかりが“えこひいき”される森友学園や加計学園などの実状が明らかになりつつある。
 そんな中、今もなお安倍政権を支持している貴方に聞きたい。

 貴方は“良い人”ですか?
 それとも“悪い人”ですか?

 その問いに、スパリと躊躇うこと無く答えられる人は、おそらく殆どいないだろうと筆者は思う。

 筆者は作家の池波正太郎氏を、今も大好きである。そしてその池波氏が、作品の中でこんな事を書いていた。
 人は良い事をしながら悪い事もし、悪い事もしながら良い事もするものだ……と。

 悪い事しかしない完全な悪人も、良い事しかしない完全な善人も、おそらくこの世には殆ど存在しないのではないか。
 善が1で悪が9だったり、またはその逆だったりしても、悪人だってたまには良い事もするし、良い人だって後ろ暗い事の一つや二つくらい抱えているものである。
 それが人間というものだ。

 だから権力者は、自分に刃向かう者や、政権に都合の悪い事を言う者がいれば、警察の力を使ってその敵対する者の後ろ暗い部分を洗い出し、名誉を失墜させて「こいつの言うことなど信用ならない」と“印象操作”しようとするものである。
 安倍首相とそのお仲間たちが、文科省前事務次官の前川喜平氏にしている事は、まさにその悪い権力者が刃向かう者にする典型的な行為である。

 天下り問題で引責辞任した事については、「地位に恋々としがみついた」と言って。
 さらには出会い系バーに出入りした事を取り上げ、「そういう店に出入りして(女性に)小遣いを渡すようなことは到底考えられない」と言って。
 前川氏の告発に対し、安倍首相のお仲間は前川氏に対する人格攻撃に徹し、前川氏を貶める事でその証言の信用を無くそうと躍起になっている

 そうした権力者の汚いやり方も情けないし腹が立つが、もっと情けない上に怒りを禁じ得ない危険な行為が、政権の情報操作に大マスコミが手を貸している事である。
 以前にもこのブログで書いたが、出会い系バーに行くことは決して違法な行為ではないし、前川氏が出会い系バーに行ったのも勤務時間外の私的な時間だ。
 それに対し、首相がお友達に便宜を図る事は、誰がどう見ても不正な行為である。
 この「首相がお友達に便宜を図る為に圧力をかけた事」と「前川氏が勤務時間外に私費で出会い系バーに行った事」を同一に論じては、絶対にいけない
 にもかかわらず安倍首相に媚びへつらうテレビや新聞は、前川氏と出会い系バーの問題を興味本位に取り上げ、加計学園問題の本質から国民の目を逸らすよう誘導している

 テレビ報道記者の金平茂紀氏によると、5月25日に弁護士会館で前川氏の記者会見が急遽行われたが、その部屋は空調が切られていて、記者もカメラマンも前川氏も汗が噴き出る中で会見が続いたという。
 が、あるワイドショーは、その会見についてこう報じたという。
前次官は会見で出会い系バー通いの質問が出ると、汗を拭き拭き答えていた
 前川氏だけでなく金平氏も含め、その部屋に居た全員が汗だらけだったにもかかわらず、である。
 金平氏はそのテレビ放送を後で見て驚いたと言うが、これが今の日本のテレビの実態である。
 加計学園の問題に迫るより前川氏の出会い系バー通いの問題を取り上げ、その内容をねじ曲げて情報操作までする
 安倍首相の意を忖度しているのか、自ら首相に尻尾を振って見せているのかは知らないが、今の日本の一部のテレビは戦時中の大本営発表と何ら変わらない

 テレビと言えば、加計学園の問題に対するニュースでの報道の仕方がかなり違う。
 TBSやテレビ朝日系列では、加計学園に関する報道が連日トップに近い順で出て来るが。
 少なくともNHKでは、忘れた頃に終わりの方で短くしか報道されない
 しかも必ず、「野党や前川氏の発言に対し、安倍首相とそのお仲間が反論して否定する」という形で報道されている。
 NHKしか見ていない事情を知らない者には、まるで安倍首相側が野党や前川氏を言い負かしたように思えてしまうだろう。
 テレビ朝日系やTBS系のニュース番組に比べ、NHKがニュースで加計学園の問題を取り上げる時間は明らかに短いし、政権に真相解明を求める姿勢も甘い。
 実際、TBSの『ニュース23』では前川氏の長時間インタビューを放送するだけでなく、その中身も検証していたのに、NHKでは事前に撮っていた前川氏のインタビューの放送を見送ったりもした。

 加計学園の問題の本質から国民の目を逸らすかのように、政権の走狗となって前川氏の出会い系バー通いについて事実をねじ曲げて放送する民放のワイドショーも許し難いが。
 よく、「イジメをする者も悪いが、イジメを見て見ぬふりをする者もイジメに加担しているのと同じだ」と言うではないか。
 イジメに例えれば、読売新聞や例のワイドショーはイジメの主犯(安倍首相とそのお仲間)に媚びて従うイジメグループの一員で、NHKはイジメを見て見ぬふりする者と言えよう

 だいたい、NHKは政府から金を貰っているのではなく、国民から受信料を半ば強制的に徴収して経営を成り立たせているのではないか。
 NHKの受信料の取り立てに対する執念は凄い。レオパレスのような、元からテレビなどの家電が備え付けられた短期滞在型のアパートに入居した者からも、「テレビを受信できる人には支払う義務がある」という理由で受信料を取り立てている。
 そこまでして取り立てた“皆様の受信料”で、その経営を成り立たせているのだ。ならばあくまでも国民の為の放送局であるべきで、政権の意向など忖度する必要など無い筈ではないか。
 と言うより、国民の皆様の受信料で経営しているNHKの経営陣に、首相がそのお仲間を送り込んでくること自体が間違っているのだ。
 その事に、NHKの記者や職員らは何故抗議の声を上げないのか。
 抗議の声を上げるどころか、政治部の岩田明子記者など、首相と仲良しで有名で、ニュース番組に“解説者”として出ては、御用記者らしい政権に媚びた発言を繰り返している始末だ。

 経営陣や上層部に政権に近い者達を送り込まれている為、ただの記者や一職員が抗議できないのは無理も無いことかも知れない。
 しかし筆者は、「受信料を払っている(むしり取られている)国民は、もっと怒るべきだ」と思っている。
 国民の受信料で経営しているのだから、NHKは時の政権とは距離を置き、常に公正な立場で批判すべき時には政権をも遠慮なく批判すべきではないか。
 それでこそ真の報道機関で“皆様のNHK”と言える。
 ところが今はどうだ。
 国民の皆様の受信料で経営している筈のNHKは経営陣に首相のお仲間を送り込まれて“アベ様のNHK”と化している。
 国民の受信料で成り立っているNHKをタダで私物化し、自らの広報放送局としているのだから、酷い話ではないか。
 政権の闇を追求する姿勢が見られないだけでなく、この安倍政権下で、首相の長時間の記者会見の放送がNHKで妙に増えているのも間違いのない事だ。政権に近いと言われる民放ですら通常の番組が放送されているのに、NHKでは番組を中断して首相の一方的な談話がリアルタイムで長々と放送される事が、近年妙に目立つ。
 しかし国民の約半数はこれにまるで怒らず、こんな政権を相変わらず支持し続けている

 安倍政権の前の民主党政権は、確かに無能で酷かった。
 しかし民主党政権は“無能”で済んだが、安倍政権は放送法でマスコミを恫喝する一方で、マスコミの経営者や親しい記者達と盛んに会食などをして、まさに“飴と鞭”で政権批判を抑え込もうと務めている
 安倍首相の狙いはマスコミを戦時中の大本営発表のようにすることであろうし、事実、読売新聞と一部の民放とNHKは“報道”とは名ばかりで、現実には“政権の広報”に成り下がっている
 そしてマスコミが“親安倍政権”とそうでないものに見事に分断される中で、数の力で特定秘密保護法や戦争法案や共謀罪が制定され、時代は日本会議や神社本庁の念願通りに戦前戦中に戻ろうとしている。

 毎日新聞の記事によると、例の文科省の前川喜平前事務次官は、貧しい子供たちの為にボランティア活動をしている東京都中央区のNPO法人キッズドアに、一般の人と同じようにホームページから説明会に申し込み、子供に勉強を教えているという。
 その今年度の学習会20回すべてに参加予定で、キッズドアの理事長渡辺由美子さんも、「生半可な思いでは出来ない」と言っている。
 そして前川氏は会の運営にも建設的な提言をし、スタッフにも「信頼できる」と評価されていたという。
 その貧しい子供たちの為のボランティア活動に加わるに際し、前川氏は前職や経歴をひけらかすような事は全くしなかった。
 で、一連の報道と記者会見を見てNPOのスタッフ達は「あのおっちゃん、偉い人だったんだ」と驚き、心配しているそうだ。
 出会い系バーの事ばかりが注目され、菅官房長官にも「地位に恋々としがみついた」と中傷される前川氏にそんな一面もある事を、毎日新聞はしっかり報道した。

 それに対し、加計学園の問題で前川氏が証言すると、誰の意を受け、誰から情報をもたらされたのかは知らないが、間もなく前川氏と出会い系バーの問題を八段抜きの記事で大々的に報じた読売新聞は本当に腐っている。
 ただ出会い系バーの問題を報じただけでなく、前川氏の記者会見で、読売新聞の記者がこう質問したという。
こういった在職中に知り得たものを明かすのは(国家公務員法の)守秘義務違反に当たらないかという指摘もされると思うんですけれど
 ……呆れたものだ。
 新聞記者だけでなくジャーナリストというものは、その公務員が在職中に関して知り得た国事や犯罪に関する情報を何とか取ろうと、夜討ち朝駆けなどして張り付き、公益の為にその守秘義務の壁にぶつかってきたのではないか。
 その首相とそのお友達である加計学園の癒着の問題で、せっかく勇気をもって証言してくれた前川氏に感謝するどころか、出会い系バーの問題を報じて貶め、さらには「守秘義務違反ではないか」と糺すのが、読売新聞という“マスコミ”の正体である。
 読売新聞は役所や役人が隠している秘密を暴くつもりはまるで無く、ただ政治家や役所の公式発表を垂れ流せば良いと思っているようだ。
 これで“新聞”とか“ジャーナリスト”とか名乗っているのだから、笑わせてくれる。
 読売新聞は今後“読売アベ広報”と改称すべきだし、国民もそうした認識をもってその記事を読むべきだ。
 筆者は読売グループについて、「政治色の強い社長兼主筆の命で心にも無い記事を書かされる、気の毒な記者たち」と思っていた。
 だが実は、社長兼主筆だけでなく末端の記者まで腐っていて、ジャーナリストの精神など全く無くしているようだ。

 安倍政権下で、マスコミが政権に取り込まれたものとまだそうでない抵抗勢力に分断されている今。
 筆者は思うのだが、「読売新聞を読んで、ニュースは主にNHKを見ている人」と、「毎日や朝日や東京新聞を読んで、TBSやテレビ朝日のニュースを見ている人」とでは、同じ日本に住んでいながら見えている世界がまるで違うのではないだろうか。
 そして政権と仲良しの読売グループやフジ産経グループ、および政権に屈服したNHKの報道に対する姿勢が、特定秘密保護法や戦争法案や共謀罪を無理押ししようが、森友学園や加計学園のスキャンダルがあろうが何のそのの、安倍政権の高支持率を支えているのだろう。

 安倍政権の飴と鞭に屈せず頑張っている新聞社や放送局が一部残っている今は、まだ良いが。
 もしマスコミすべてが政権に取り込まれるか屈服した後の事を考えると、筆者は恐ろしくてならない。
 少なくとも安倍首相が敵視する戦後レジームの時代の日本人は、国民だけでなく自民党の首相ですら「記者は政権を批判するのが仕事だ」と、ちゃんとわかっていた
 だから筆者は戦後レジームの時代には、少なくとも小泉政権が誕生するまではずっと自民党を支持してきた。
 しかし今はどうだ。
 首相は批判するマスコミを敵視し、マスコミの中にも政権に媚びる腐ったゴミ虫が増殖しつつある。
 首相の姿勢もクソだが、今の日本のマスコミの半分近くから腐臭が漂いつつある
 そしてすべてのマスコミが政権に膝を屈して権力を批判するのを止めた時に、日本はまた戦争と独裁の暗い時代へと戻るのだろう。

 国民の皆さんに問いたい。
 民主党の時代はもう懲り懲りというのはわかるが、我が国の首相は本当に安倍氏でなければならないのだろうか?
 戦後の平和な個人の自由と人権が保障された日本が嫌いで英国のBBCにも「右翼のナショナリスト」と言われ、いろいろな危険な法案をゴリ押しする上に疑惑が深まるばかりの安倍氏の他に、自民党に首相にふさわしい人材は本当にいないのだろうか?
 日本の言論の自由が、一部なりともまだ何とか守られている今のうちに。
 保守だが無神論者で自由と戦後の平和な時代を愛する元自民党支持者として、その事を今も与党を支持する保守の方々に問いたい。

PageTop

政権の飼い犬と化した大新聞

 筆者が好きな漫画に、鳴海けいさんの『ピース*2』という作品がある。
 そしてその中に、こんなシーンがある。

 主人公は潔癖で成績優秀な模範生の高校生なのだが、外見は童顔で文学少女風の同級生、間宮さんが気になっている。
 そしてその間宮さんの兄は生徒会長なのに遊び人で、公私混同して生徒会長の地位も悪用してばかりのいい加減な人間なのだが。
 で、その間宮兄が、妹に気があるらしい主人公を脅すのだ。
「俺は全校生徒の情報を握ってる。お前の秘密を、校内放送で流してやろうか」
 しかし主人公は動ぜず、真顔でこう返す。
「別に構いませんよ、俺は知られて困るようなことは何もありません。清く正しく生きてますから」
 で、間宮兄はドン引きして、妹にこう囁くのだ。
「おい……あいつ怖いぞ。あいつはやめとけ」

 その主人公のように真顔で「清く正しく生きている」と言い切れる人間が、果たしてどれだけ実在するだろうか。
 堅い仕事に就いている真面目と思われている人だって、知られて困ることの一つや二つ、抱えているのが普通ではないか。
 女性にぶたれたり踏まれたりするのが快感だったりとか。
 小さい女の子(幼女)が大好きだったりとか。
 三十過ぎていてしかも妻子持ちなのに、まだアイドルオタクだったりとか。

 他人に知られたくない恥ずかしい事なら、筆者だって幾つも抱えている。
 実はツインテール&オーバーニーソックスの女の子には弱いし。
 大の猫好きのせいか、猫耳の似合う女の子も「可愛い!」と思ってしまうし。
 それに何より、若い頃の中二病的な痛すぎる言動については、今でも思い出すだけで赤面するだけでなく、「皆に知られたら」と想像するだけで死にたくなる。

 今、政界では加計学園と安倍首相に関するスキャンダルが問題になっている。
 そしてさらに、「総理のご意向」として加計学園獣医学部の新設を促す文書が「確実に存在した」と証言した文科省の前川喜平前事務次官が、「出会い系フーゾクに通っていた」という情報も読売新聞にリークされて話題になっている。

 この二つのスキャンダルを混同してはならない。
 フーゾク通いは、別に高級官僚でなくても決して誉められた事ではない。しかし違法では決してないし、迷惑は誰にもかけていない。
 だが総理が自分の権力を笠に着て、お友達の為に便宜を図るよう文科省に圧力をかける事は、明らかな公私混同の総理にあるまじき行為である。
 この二つの問題は決して「どっちもどっち」ではないし、もし「そんなフーゾク通いをする前事務次官の言うことなんて信用できないね」と思った人がいるならば、その人は馬鹿である。
 前事務次官のフーゾク通いは、あくまでも個人の性癖の問題であり、違法では決してない
 しかし総理がお友達の加計学園の為に権力を使って便宜を図るのは、明らかに「してはならない、悪いこと」である。

 それにしても、最近の総理とその周辺の、スキャンダルに対する対応は酷い。
 あの森友学園の籠池理事長については「しつこい」と言い、加計学園に関する文書の存在を証言した前川前事務次官については「地位に恋々として」とけなし、さらにはフーゾク通いを仲良しのマスコミにリークして。
 とにかく相手の人格を貶めることによって、相手の証言の信用性を薄れさせ、スキャンダルそのものを無かったことにしようとしている。

 それにしても情けないのは、一部マスコミがその安倍総理の意に従い、前川氏を貶める報道をして安倍総理のスキャンダル隠しに手を貸していることだ。
 繰り返すが、違法ではないフーゾク通いと、総理の公私混同のお友達に便宜を図る為の政治的圧力は同列に語れない。
 しかし恥ずかしいことに、日本で一番発行部数の多い大新聞、読売新聞が総理の意を汲んだかのように動き、加計学園と総理のスキャンダル隠しに手を貸しているのだ。
 で、少なからぬ国民が「総理も問題ありかも知れないけれど、証言しているのがフーゾク通いのお役人だからどっちもどっち」と思いかけている。

 そんな現状だからこそ、筆者はあえて繰り返し言いたい。
 一個人の違法でない性癖の問題と、国家権力を総理がお友達の為に公私混同して使う事は、全く別の次元の話である。
 だからそれは、決して「どっちもどっち」ではないのだ。
 前川前事務次官のフーゾク通いを非難できる人は、例の『ピース*2』の主人公のような、「俺は知られて困るようなことは何もありません。清く正しく生きてます」と言い切れる人だけだ。
 しかし総理が文科省に圧力をかけてお友達の学園の為に力を貸す事は、誰がどう考えても公私混同の悪い事だ。

 にもかかわらず日本のマスコミには、しかも大新聞には、総理と仲良くして総理の意を汲んで働く、報道の名に値しない恥ずかしい組織が存在する
 読売新聞の社長で主筆を務めるお方が総理と会食し、間もなく総理の憲法改正についての独占記事を紙面に載せて。
 そして総理は国会で野党議員の質問に、「読売新聞を熟読して」と答える。
 さらに加計学園と総理の関係の問題になり、前川前事務次官が総理に都合の悪いことを言えば、読売新聞が前川氏のフーゾク通いについて八段抜きの記事で大々的に報じる。
 この総理と大新聞が癒着したズブズブの醜い関係には、一国民として反吐が出る思いがするほど気分が悪い。

 かつて田中角栄元総理は、記者たちにこう言った。
君たちは年がら年中わしらを批判する。どんどん批判しろ。それが君たちの仕事だ
 そう、それこそ与党の政治家とマスコミの正しい関係だ。マスコミは権力を批判し、権力を持つ政治家もそれを当然のことと受け止める。
 ところが今はどうだ。
 与党の政治家はマスコミを統制しようとし、そして日本で一番売れている大新聞も政治に対する批判を忘れ、それどころか権力にすり寄り、その意を忖度して記事を書いているのだから呆れる。と言うより、恐ろしい。

 戦時中には政府により報道が厳しく管理され、マスコミも国民の戦意高揚に手を貸した。
 その反省に基づいて、戦後のマスコミは権力の監視に努めてきた筈だが。
 今の安倍政権下で、幾つものマスコミが「政府や軍部の圧力に屈して」ではなく、「自ら進んで」総理の意を汲みそのお先棒を担ぐような真似をし、“報道”ではなく“政権の広報”としか言えぬ情報を臆面もなく発信し続けている。
 特に読売新聞の記者には、報道にかかわる者としての矜持など既に無いのであろう。
 そして安倍政権下で、世界の中で見る日本の報道の自由度のランクはガタ落ちしている
 あの愚かで悲惨な戦争に至る歴史を知る者にとっては、実に怖いことである。

PageTop

日本の新聞やテレビは政府の広報と化しつつある

 アメリカのトランプ政権の誕生で再び注目を浴びている小説『1984年』の著者であるイギリスの作家ジョージ・オーウェルが、こんな言葉を言っている。
ジャーナリズムとは、報じられたくない事を報じることだ。それ以外は広報にすぎない

 さて、このジョージ・オーウェルの言葉に当てはめると、日本の新聞に“ジャーナリズム”の名に値するものが、どれだけあるだろうか。

 ここのところ、安倍首相の周辺の人物にスキャンダルが相次いでいる。
 そしてそれらを暴いているのはほぼ週刊誌で、新聞やテレビはそれを引用して後追い報道しているだけである。

 そもそも報道とは権力を監視し、その行動を見張って不正があれば知らせるものである。
 それが出来ている新聞やテレビが、今の日本にどれだけあるだろうか。

 報道の王道とは、隠されていた真実を探り出し、裏付けを行って記事にする「調査報道」である。
 それこそがジョージ・オーウェルが“ジャーナリズム”と認める、「報じられたくない事を報じること」であろう。
 メディア論を教える羽衣国際大の浮田哲教授によれば、その調査報道の対極にあるのが、政府や官庁が発表する情報をそのまま流す「発表モノ」と呼ばれるものなのだという。
 そしてこの「発表モノ」が、欧米に比べ日本の新聞記事には多いとよく言われているそうである。

 政府や官公庁など権力の側が言うことを、疑いもせず裏も取らずにそのまま垂れ流す。
 これが報道の名に値するだろうか。
 ジョージ・オーウェルの言葉を、もう一度繰り返そう。
「ジャーナリズムとは、報じられたくない事を報じることだ。それ以外は広報にすぎない」
 そして日本の新聞やテレビは、政府や官庁の“広報”に成り下がりつつある

 日本の新聞には、かつて大本営発表を垂れ流し、それどころか軍部のお先棒を担いで戦意高揚の為に働いた過去がある。
 その反省を胸に刻んで権力と対峙して良い記事を書くどころか、一部の大新聞やテレビは進んで権力にすり寄り、記者のみならず社長まで首相と会食し、政権に都合の良い独占会見記事を紙面に載せたり、首相の談話を長々と放送したりしている
 まさに「歴史は繰り返す」で、無反省な一部のマスコミは平気で「いつか来た道」を再び辿ろうとしている。

 先日、国会で民進党の長妻議員が安倍首相に自民党の改憲草案についての考えを問うたところ、首相はこう答えた。
自民党総裁としての考え方は読売新聞に相当詳しく書いてあるから、ぜひ熟読していただきたい

 実はこの数日前、読売新聞グループの代表取締役社長で主筆の渡辺恒雄氏は安倍首相と会食し、そしてその後、問題の安倍首相が改憲について語った独占記事が読売新聞の紙面に大きく出されたという過程がある。
 渡辺恒雄氏は以前から政治に強い関心を持ち、政界フィクサーとも呼ばれながら主筆として紙面の編集にも深く関与している。そして政治的に、安倍首相ととても近い。
 それで読売新聞の論調も、常に安倍政権に寄り添い、安倍首相に好意的だ。

 実際、今村雅弘氏が「まだ東北だったからよかった」と発言して復興相を辞任に追い込まれた件についても、他の新聞は社説で「内閣の緩みはすさまじい」、「おごる政権、見過ごせぬ」、「待っているのは懲罰投票だ」、「寄り添う姿勢を損なった」などと、普段は政権寄りの日本経済新聞や産経新聞まで厳しく批判している。
 しかし読売新聞だけは、「『緩み』排して態勢を立て直せ」と、まるで安倍政権を応援しているようである。
 さらに「今回の発言を放置すれば、安倍内閣の復興に対する姿勢が問われかねなかった」と、まるで安倍首相の迅速な処置と指導力を誉めるかのごとくの論調に持って行き、首相の任命責任等については一切触れなかった。
 そして社長が安倍首相と会食し、改憲についての独占記事を「相当詳しく」紙面に載せ、首相も国会で議員の質問に答えず「読売新聞を熟読して」と言い放つ始末だ。
 つまり読売新聞とはジャーナリズムとしての“新聞”ではなく、安倍官邸の広報紙だということだ。
 あの戦争の時代の、大本営発表をそのまま伝えて民衆を政府の言いなりに洗脳しようとした“新聞”と何も変わらない。
 ついでに言えば、その読売系列の日本テレビもまた、安倍政権寄りの姿勢がひどく目立つ。マスコミのくせに政権に何を忖度しているのやら、例の森友学園の問題でも、報道や疑惑の追及に最も腰が引けていて消極的だから笑える。

 しかし残念ながら、その読売新聞が、この日本では最もよく売れているのだ。
 日本の民度はその程度、という事だろう。
 そしてこの先の日本に待ち構えているのは、あの戦争の時代のような、ジョージ・オーウェルが『1984年』に書いたような、思想信条や言論の自由の無い暗い時代ではあるまいか。
 オーウェルの言うように「ジャーナリズムとは報じられたくない事を報じることで、それ以外は広報にすぎない」のだとしたら、既に日本の新聞やテレビは報道から広報に大きく変わりつつある。

PageTop